#6 ゲーマー少年はツッコミを入れまくる
「橘さん!」
朝のホームルームが始まるより随分と前、橘さんの席に1人の女子が来ていた。
「どうしたの、灰原さん……?」
自分の席でぼーっとしていた橘さんが少し小さめの声で言った。
「あっ、覚えていてくれたの? ありがとう!」
灰原さんがとても嬉しそうな顔をしていた。
2人の様子が。というか、橘さんの様子が気になっているのか、葵はそのやりとりを何も言わず、じっと眺めていた。
橘さんが来た日から、葵は橘さんのことを気にかけていたからな。
「黒崎ー! 遊ぼうぜー!」
勢いよく入口のドアが横にスライドする音と共にそんな声が聞こえてきた。
どうやら別のクラスの男子が誘いに来たようだった。さて、付き合うとするか。
俺は立ち上がると、適当にいらえを返した。
***
「今日のご飯、一緒に食べよ! 今日も」
私は意を決し、橘さんにむかってそう言った。
「いいけど、遠野くんは……?」
橘さんは遠野の方を向いて言った。
やっぱり、遠野なんだなぁとか思いながら、遠野を見ると、「ああ、別に構わないぞ」と言ってきた。
本当に、仲が良いな……遠野よ。そこを変われ。
割と真面目にそんなことを考えていた。
「ふう……疲れた」
午前中の授業が終わった。いつもなら苦にしか感じない授業も、これが終われば橘さんとご飯を食べられると思うとそこまで苦に感じなかった。
授業はあんまり頭に入ってこなかったけど。
あんまり頭に入ってこなかったけど。楽しみすぎて。
「灰原、行くか」
2つの弁当箱を持った遠野が私の前に来て言った。その後ろには橘さんがいた。
「うんっ!」
私は勢いよく返事をして、机の横に掛けておいた弁当を取った。
ぱっと立ち上がり、2人についていこうとする。
「あっ」
教室の外に出ようとした私は、なにか忘れ物をしたように立ち止まり、中にいるあいつに向かって言った。
「隆俊ー! 早く来いよー!」
「俺もかよっ! あらかじめ言っとけ、猿が!」
隆俊の怒った声が聞こえたが、気にしない。
私は機嫌良く遠野たちの後ろをついて行った。
「遠野くん、今日もおいしいね」
「そうか、ありがとう」
「お礼を言うのはこっちだよ」
「まあ、いいじゃないか。別に」
とりあえず、1つでいいからつツッコませてくれ。
いや、本当なら1つどころでは足りないんだけど、とりあえず1つツッコませてくれ。
「お前ら、どこの、バカップルじゃああああっ!」
目の前でいちゃつく2人に向かって言った。堂々といちゃついている2人に。
「いや、付き合ってないけど」
「うん。付き合ってないよ」
もはや安定とも言えそうなこの返答。前回も聞いた気がする。
ついに世界がおかしくなったのかな? それとも私がおかしいのかな?
「付き合ってるバカップルにしか見えない」
私は真剣な顔でそう言った。
遠野と橘さんはお互いに顔を見合わせて、首をかしげた。理解してないんだな。うん。
「あのね、灰原さん、気になったんだけど……」
橘さんが口の中の唐揚げを飲み込んで言った。というか、あれって冷凍食品じゃないよな。遠野、朝から唐揚げ揚げてるのかよ……
私はご飯を口に入れて聞いた。
「どうしたの?」
「灰原さんは蓬莱くんと付き合ってるの?」
「ごふっ、げほっ……げほっ」
思わず口の中に含んでいたご飯をのどに詰まらせた。
彼女は慌てて私の背中をさすったり、心配してくれた。
「き、急にどうしたの? 付き合ってるかどうかなんて……」
なんとか詰まらせたご飯を飲み込んだ私は、心配してくれた橘さんに聞いた。
「いや、私たちに聞いてきてるし、仲いいし」
「橘さん、俺たちは仲良くないよ?」
急に隆俊が参戦してきてそう言った。こいつに賛成するのは悔しいが、私も同意見だ。
「それに、こいつが彼氏とか、考えただけでも……」
私は顔をゆがめながら言った。
「はあ? お前みたいな猿、こっちから願い下げだ!」
「なんだと!?」
***
仲いいな。
「てめえ、誰が猿だとー!」
「おめえのことだよ!そんなこともわかんねーのか?」
本当に、仲いいな。この2人。ギャーギャー騒いで、相手のことを嫌い嫌いって言ってる割には、互いのことを心配しあってるって感じがするんだよな。
「ごちそうさまでした」
あ、もしかして遠野くん、今までこの2人のことを気にせずに食べてたの……? 凄い。
遠野くんって、結構マイペースなのかな?
普通目の前でこれだけ騒がれていると、気になって食べられないと思うんだけど。まあ、いいか。
遠野くんだし。
昼食後、昨日と同じ廊下を同じように2人で歩いていた。灰原さんたちは「私たちはちょっと寄るところがあるから先に帰っといて!」と、どこかへ行ってしまった。
にしても、この廊下は昨日の印象が強かったから、覚えている。
「そういえば、昨日……」
「そうだな。ここで昨日すれ違ったよな」
そう。昨日、すれ違った。あの小さな少女と。
「先生に聞いてみるか?」
「うん」
先生なら職員室にいるはずだ。とりあえず、職員室に向かおう。
歩き始めようとして、私は止まる。
「……ねえ、職員室ってどっち?」
「こっちだ」
やはり遠野くんは頼もしい。
「収穫は無かったな」
「だね」
担任の先生に聞いてみたが、どうやら、そのような少女が入るようなことはないようだった。
『お前らの見間違いかもしれないが、遠野までそう言ってるってなると、そのことについて無下に判断するのは俺個人としてはどうかと思うから、まあ、調べとくよ』
先生はそう言ってくれた。けれど、今現在は有力な情報はないようだった。
「でも……見たよね?」
「ああ」
確かにあの時、私と遠野くんは見た。
あの、小さな少女のことを。
***
「雨だぁ」
昼1番目の授業が終わり、休み時間が始まって最も始めに灰原が放った言葉はこれだった。
外ではさっき降り始めた雨が地面を濡らしていた。焦げ茶色のような地面には、ところどころ黝い水溜まりを作り、鈍い光を反射させていた。
「雨っつっても、お前は剣道部なんだから雨でもクラブはあるだろ」
「あるけどさぁ、ほら、気分的なものが上がらないって言うか、なんというかさー。下校のときに走りながら帰れないーとかさ」
傘危ないしー。という愚痴がボロボロと灰原の口から漏れてくる。「てか、走りながら帰るってガキかよ」と、隆俊が苦笑いしながら言っている。
「あー?なんだよ。走りながら帰ったらダメなのかよ」
灰原は隆俊の言葉を聞いて不機嫌になったのか、不満そうな声でそう言う。
「いや?ダメではないが、ガキっぽいな……って」
「なんだと! 隆俊、私はガキじゃね――」
なかなかの怒り声で抗議を始めようとした灰原の耳に、1つの声が聞こえた。
「灰原さんって、剣道部だったんだね」
俺の横、橘がそう言う。すると一瞬にして、
「うん! そうだよ!」
灰原は先程までの機嫌の悪さなど全くなく、むしろものすごく機嫌のいい表情、声でそう言った。
橘が「小手、面、胴?」と聞くと、「小手、面、胴!」と、やはり機嫌良さそうに言った。
そんなに橘に興味を持って貰ったことが嬉しかったのだろうか。
その機嫌の変わりようが面白かったのか、隆俊は笑うのを必死にこらえていた。
「橘さんは、なにか部活はしないの?」
灰原は橘にそう聞いた。
「部活……?」
少し困った様子で橘はそう言った。
よく考えてみるとこいつ、この学校にどんな部活があるのか知らないんじゃないだろうか。今までは教室にすら来てなかったわけだし、それに、
眠れば記憶がなくなるわけだし。
キーンコーンカーンコーン……
「あ、この話はまた後で!」
灰原はそう言うと、大急ぎで自分の席へと戻っていった。
「でね、橘さん、部活には入らないの?」
休み時間では時間が限られている、ということで放課後。灰原はまた橘にそう尋ねた。
「うーん……」
橘はそう言ってなにか考え始めた。
今この教室には何人か人がいるが、橘の近くにいるのは俺と灰原、それから隆俊だった。
周りでは、それぞれがそれぞれの会話を行い、人によっては担任の先生になにか話しかけにいっているようだった。
橘はしばらく思案にふけていたが、なにか思いついたのかぱっと頭を上げると、口を開いた。
「遠野くんと蓬莱くんは何部なの?」
「俺らかよ!」
鋭い切れ口で隆俊がツッコミを入れる。相変わらずいいツッコミだ。
「うん。参考程度に」
相対する橘は、こちらも相変わらず天然なようで、マイペースを貫き通している。