#66 忘却少女は尻込みする
「ん……うう……」
少しの気持ちよさに私は目を覚ます。柔らかな光がまだ瞼を閉ざしている瞳を刺激する。
カーテン越しに和らいで日差しは、時折吹いてくる風でその強さを変えたりする。
年数の経った扇風機からはカラカラと音がしていたり。
私は薄い掛け布団を体の上からのけて、ついでに上半身を起こす。
「優奈ー! 朝ごはんできてるわよ!」
ドアの更にその向こうから聞こえてくるお母さんの声に、私の意識は劇的に覚醒する。
朝だ。
当然のことを私は確認。そしてベッドから立ち上がる。
いつもどおりにメモを確認。昨日の私からの今日の私へ宛てた手紙。
へえ、文化祭。文化祭……衣装……いしょう…………。
なんでだろうか、とんでもなく、とてつもなく、行きたくなくなってきた。シフトは最初の1つ目だけらしいけど、ええ、なんか昨日の私の報告を見る限り、
絶対に、着たくない。
他にも色々書いてるみたいだったけど、お母さんから催促の声が届いたので、料理が冷めないうちに食卓へと向かった。
おっと、扇風機とクーラーを消し忘れていた。
食パンとハムと目玉焼きだった。目玉焼きは半熟だったので食パンをちぎって黄身に浸して食べる。あー、おいしい。
……マジでどうしよ、本気で学校行きたくない。昨日の私もこんな気持ちだったのだろうか。
ガラスコップに注がれていた牛乳をコクッコクッコクッと、3段階くらいに分けて一気に飲み込む。
あ、これダメなやつだ。ちょっと気持ち悪い。
皿の上に残っていた残りをパパッと食べてしまって、食器をシンクに置きに行く。ガラスコップには水を張っておく。
「ご……ちそうさま」
まだちょっとだけうぷうぷしている。とりあえずちょっと休憩したくて自室へと足を速める。
うーん、ちょっと気持ち悪い。どんだけ牛乳引きずってんだ私。
机の上にはさっき途中まで見たメモが。それを取る。
手に持って読む。時折扇風機の風がピラピラと紙を遊ぶ。
文化祭、楽しいのか。そうか……。
でも昨日の私も嫌々行った(という予想)ので、それで楽しかったのなら、今日の私もきっと楽しいと思えるは……いや、そこについては微妙だなあ。
時計を見てみると、流石にそろそろ家を出ないと。
と、とりあえず家から出よう。このまま居続けたらお母さんに怒られる。
自室から出て、階段を静かにタッタッタッタッと降りる。別に普段どおりに音を立ててもよかったんだけど、なんとなく、嫌だった。
廊下を歩いて玄関までたどり着き、靴を履く。ノブに手をかけて、いつもよりかは小さめの声で、
「いってきまーす……」
と、ノブをねじったままで押し開ける。
日差しはまあまあ強い。一瞬「うっ」と躊躇ったくらいだった。とんでもない快晴。
「行くか……」
私は玄関の先、門を開いて道へと出る。ちゃんと門は閉じておく。
うん、中からお母さんが出てくる様子はない。
改めて私は歩みを進め始める。もう9月だというのに、暑い。
まあ、そんなことは気にしてる暇はない。とりあえず早く行かないと。
「ん? 橘?」
ビクリ。え、嘘でしょ?
ぎこちない動きで後ろを振り向いてみる。そこにいたのは――遠野くん。
「なにやってんだよ、早く行くぞ」
「え、あ、うん」
なんでもって、こんなところに遠野くんがいるの!?
「それにしてもな、お前学校に来れないのならちゃんと言えよ」
「な、えっ!? ちゃ、ちゃんと行けるよ! 道だってわかってるし」
「……でもさ、今、真逆の道に行こうとしてたよな?」
そーっと、目をそらす。足は前へと動かしたまま。
「ああ、うん、なんとなくちょっとあっちから行ってみようかなーとか思っちゃって……ね」
嘘である。真っ赤な真っ赤な嘘である。というか、バレるだろこんな嘘。
「ふーん、そうだったのか。てっきり俺は」
「あーそうですよ、そのとおりですよ、文化祭サボろうと思って逃げようとしてただけですよええ、そうですよ!」
「あ、いや、別にさっきも言ったように道忘れただけかとって言おうと思ってたんだけど」
あーうん、あ、これ、あれだ。
やらかした。
「ちゃんと来てよかった。昨日はちゃんと来たから今日もちゃんと来るかな? って思ったんだけど、念の為来て正解だったな」
「あーうん、そうだね……」
私としては、どちらかというと不運である。
しかしまあ、わざわざ電車だって混んでるだろうし、運賃だってかかるだろうに。それでも来てくれるって、それはそれで嬉し……。
いや、それだけ信用されていないのか。サボろうとするかもしれないとか、思われているのか。
実際しようとしていたけども。いたけども!
「次は、青ヶ崎駅、青ヶ崎駅――」
最寄りだ。やっとついた。……ついてしまった。
「降りるぞ」
「……うん」
できればこのまま電車で通り過ぎたいなあとか。まあ、無理だけど。
何人かの人がザラザラっと降りる。同じ学校の生徒もちらほら見える。
誰なのかは全くわかんないけど。
「遠野くんは今日どうするの?」
「どうするっても、ほとんどは店にいるかな」
「……え? 遠野くんは朝の最初だけじゃないの?」
「え、俺のシフト、朝イチだけになってるの?」
「うん、そのはずだよ?」
昨日の私曰く、だけど。メモにそう書いてた。
なんでも雨宮さんって人と一緒に直談判で交渉しに行ったりしたらしい。
「ふーん、まあいいか。……で、なんでそんなこと知ってるの?」
「さささ、さあ? なんでかなあ? 昨日の私に聞かないと、ちょっとわかんないなあ……」
遠野くんは世話好き(多分)だし、まあ、だからこそ休んで欲しいって思ったんだけど。
でも、シフト減らされたこと怒ってるのかな? ……だめだ、いつもどおりの無表情でわっかんない。
「ま、それなら仕方ないか。それにしても、なにをするのか、かあ。全然考えてなかったし、どうしようか」
珍しく遠野くんが少し困ってる様子だった。勝手にシフト変更っていう選択が正しかったのか、少し不安になってきた。
……いや、正しいか。うん。あんなシフトだめだよ。うん。
あのまんまだと過労死するよ過労死。かろーし!
でも、きっと遠野くんなら「大袈裟だ」とか「大丈夫だ」とか「そんな思ってるほど働いてないぞ」とか言いそうだなあ。いや、言うだろうな。
病気だな。これは。なんていう病気だろう。過労病?
でも、このままいつまでも他の人の仕事請け負ってって、自分から仕事拾ってってしてったら、いつかは本当に過労死しそうでほんとに怖い。
そういえば、昨日の私のメモ(というかどちらというか日記に近い方のメモ欄)にあったけどなんで「死」とか、そんなことについて考えてるんだ? 昨日の私。
いや、ほんとになんでそんなこと考えてたんだ?
昨日の私が全くわからない。
「……ばな、橘!」
「ふえっ!? ど、どうしたの遠野くん」
「いや、せっかくだし一緒に回るか? って。どうした? ボーッとして」
「ううん、なんでもないよ! あ、ほらもうすぐ学校だよ!」
まずい、マジで呆けていた。
「お、そうだな」
「……頑張るね、私」
「ああ、頑張れよ。橘」




