#59 少年は過ちを犯す
待ち合わせ場所に急がねばならない。
しかしどうしたことだろうか。
「うぐっ…………」
やはりどうしても、人混みの中に入るのには抵抗があるのか、意志と行動とが噛み合わない。
早く行かないといけないとは、頭では理解しているはずなのに。
***
「遅いですね」
「そうだな」
人通りの少ない廊下、俺は黄乃と並んで壁に体重を預けていた。
「道に迷ってるとか?」
「まさか、単に人混みに入ってるのを渋ってるだけだろ。白石のことだし」
そう静かに返答を告げる。
会話が、続かない。
理由は1つ、異様なまでの緊張。
なるべく押さえ込んでいるものの、今の心境はとんでもなく、怖い。黄乃もきっと同じようなことを思っているだろう。余裕ぶっているつもりだろうが、めちゃくちゃに動揺してるし、冷や汗もかいてるようだった。
「暑いな、汗かいてるぞ」
「りゅ、龍弥こそ」
そんな皮肉でも、たったこれだけしか繋げられない。
人通りが少ない廊下、稀に通る人からの視線が酷く痛い。
チラリ、チラリとなにか言いたげに見てくる。
しばらくの間目を伏せ、なにも考えないように務める。
視線から逃げたかっただけだし、白石が来るまでの間に焦る気分を抑えておこうと思ったからだった。
目を開けてみて横を見ると、未だソワソワしている黄乃がいる。緊張からか、はたまた文化祭が楽しみなのか。
そして、プッツンと彼女の我慢が途切れた。
「わ、私、ちょっと近くまで様子見できますね!」
「おい黄乃、やめと――」
そう制止はかけたものの、彼女には届かなかった様子で、とてててっと小さく駆けて行った。
「ったく、あいつ…………」
頭をポリポリかきながら呆れ、ゆっくりとその場から動き出した。
それにしてもどうしたことか、今日はいつもより黄乃が子供っぽい気がする。やはり文化祭が楽しみなのだろうか。
まあ、黄乃にとってこういう体験はきっと初めてなのだろう。少なくとも、俺と出会ってからは1度もこういうところに訪れたことはなかった。
「今度、秋祭りでも連れてってやるか」
ここから少し距離はあるが、地元の祭りもそろそろの時期だろう、と。
刹那。
「きゃーーーかわいいーーーっ!」
「うっそ、なんでこんなところにいるの? 迷子?」
酷く騒々しい声が聞こえた。
黄乃が向かった先から、聞こえてきた。けれどもちろん、黄乃の声なんかではない。
額やこめかみあたりからツーと汗が通るのが感じられた。
まず俺の中で動いたのは「まさか」という考え。今までゆっくり進めていた歩みを急激に加速させる。
女子高生の集団、それに遭遇した。普段なら絶対関わらないようにしてスルーするそれに、今回ばかりは目を向ける。
「とりあえず事務所に連れてこっかー」
「そうだねー、よーし、今からお父さんお母さん探してもらいに行くから、安心してよね」
「どうする? SNSとかでも探してみる?」
彼女らは親切心からそう言っているのだろうが、そんなことされてみろ、俺がたまったものではない。
事務所ということは、教師がたくさんいる。それだけでも嫌だというのに、そこに黄乃を迎えに行くとなると、ほぼ確実に面倒ごとだろう。
まずすぐに黄乃を迎えられて帰られる……なんてことはありえはしない。俺だからだ。
鈍川や白石でさえおそらくすぐにとは行かないだろう。少なくとも、関係性は聞かれる。
それに加え、俺というおもりを背負ってとなれば、なかなかだろうし、下手をすれば――
ならば、やるべきことはただ1つ。
「すいません、その子」
この場で、連れて行かれる前に。
怖くないかと聞かれれば、とんでもなく怖いし、逃げ出したいかと聞かれれば、全力で頷くだろう。
けれど、けれども。
やるしか、ないだろう。
向けられたのは、キッと鋭い視線。それも複数。
中にはスマホを構えている人もいた。さっきから写真なのか動画なのかを撮っている様子だった。
思わず1歩後ろに後ずさりそうになるが、なんとか堪える。
「なに? てか、誰?」
「ほら、アレだよ! 学校1の不良の……!」
「ああ、あの強姦したっていう?」
「ちょっとやめてよねっ! 私初めてまだなんだから!」
「そういうこと言わないほうがいいって、ほらこの子連れて早く事務所行こ? 流石に先生いたら手出ししないっしょ?」
女子生徒たちは口々にそういうことを言っていた。心当たりが無きにしもあらず、というか割とあるのが少々心が痛い。
とりあえず、極力穏便に進めよう。もともとの立場が悪い上に、下手をすると記録媒体に残る可能性もある。
極力、穏便に――
女子生徒の腕の中に抱えられている、黄乃。その顔は、酷く歪んで不安さが露わになっている。
女子生徒たちは話し合う様子もなく、黄乃を事務所へと連れて行こうとする。黄乃の顔が一層歪む。
躊躇っている暇など、ない。
もとより俺のことなど、どうでもいい。
いったいなにを躊躇っていたのだろうか。
俺は数秒前の俺を貶す。
女子生徒は複数人。黄乃を連れているのは1番前。下手に迂回するのは悪手。他の人に阻害されてしまえば追いつけなくなりかねない。
ならば。
1番後ろにいた2人、その肩を最低限だけ軽く触り、横へとずらす。人混みを掻き分けるように。
加減は、しているつもりだった。けれども焦りや怒りやその他諸々の感情が加減の程度を狂わせた。
押しのけた女子生徒が倒れた。尻もちをつく形で。
ハッとしてカメラの方に目を向けてみると、これまたきっちり撮られている様子だった。
まずい、まずい。
女子生徒には心の中で謝罪しながら、しかし、足を止めているわけにはいかない。今の写真ないし映像があったとして、それごと持っていかれては、俺では本当に黄乃のことを迎えに行けなくなる。
足を早め、黄乃を抱いている女子に追いつく。
追いつかれたことに気づいた彼女は悲愴に満ちた顔をしていた。が、すぐさまキッと鋭くこちらを睨んでくる。
その腕の中には、そこから脱しようと身じろぎをしている黄乃がいた。
「そいつは迷子じゃない、保護者は俺だ」
「あんたなんかの言うこと、信用ならないんだけど」
随分な言われようをしたが、まあ仕方ないだろう。俺にまとわりついている噂の数を考えれば。
睨み合いがしばらく続いていた。その間にも黄乃はもがいて、もがいていた。
そうして、そのもがきが功を奏したのか、黄乃の体はスポンと腕から抜けた。
ふわり。空中に投げ出された黄乃の体。俺とその女子とは受け止めんと動き出す。
きっとここまでの彼女の行動、すべて善意から起こしたものなのだろう。彼女に非はない。
けれども、悪いがこればっかりは譲れない。
抜け出す直前、黄乃に胸のあたりを蹴られた彼女。1歩後ろに後ずさってからの、遅れての反応だった。
それに加え、黄乃は蹴ったことにより推進力を得て、若干俺の方に向けて飛んできている。
僅かなその差から、軍配は俺に上がる。
両手で黄乃を抱え、そのまま抱きしめる。
黄乃も俺の首に腕を回して、力強く抱きついてくる。
ちょうど耳元にある口からは、小さく俺の名が繰り返し呼ばれる。
さっきまで黄乃を抱えていた彼女からは、まさに驚愕、という表情が見てとられる。
ついでになにか言いたげだったが、うまく言葉にならないらしかった。
しかしまあ、言いたいことがなんなのかは、言われずともだいたいわかる。
「そういうことだ」
聞かれなかった質問に俺は1人答える。
ふと周囲を見ると、スマホを構えていた少女は未だそのままで、というかその状態から動けないでいたようで。
「と、止めなきゃ……!」
という声の後に短く電子音がしたあたり、動画だったことがわかる。
しかしまあ、これは困ったことになった。




