#5 少年少女は希う
「ここ、高校だよね?」
私は遠野くんに確認をとる。
「ああ、でも今のって……」
どう見ても高校生には見えない子供……だった。
遠野くんすら知らないようだった。
私は、この出来事を忘れずに覚えていられるよう、深く願った。
***
廊下を歩いていると、前から2人の人物が来た。何かを話ながらこちらへと来る。近くになるとその人物がよく見えた。1年生の男女だった。
その2人はこちらに気づくと軽く会釈をしてきた、すると、後ろから服を引っ張られる感覚がした。
どうやら、彼女は気づかれたくなかったようだ。
「………………」
会釈を返す余裕もなく、彼らは過ぎ去っていった。
「相変わらずのコミュ障ですね。龍弥」
「お前にそのままその言葉を返してやる。黄乃」
誰もいなくなった廊下の中、俺とこいつ……黄乃は言った。
紫崎 龍弥:対人恐怖症
月見里 黄乃:人間不信
いつものように暴言を言い合った高2男子と小1女子。入学早々周りから隔絶され、周りを隔絶した俺たちは、さっきの2人のことなど早々に忘れ、帰路へ立とうとしていた。
まだ、午後の授業はあるのだが。
どのみち教室の端っこに追いやられた俺の席にさえ、俺たちの居場所はないのだから。
***
「帰ったみたいだね。ほら、この書き置き」
「あー良かった。怖かったー。てか、来る必要あるの? 早退するくらいならいっそのこと来なけりゃ良いのに……あ、私先生にこの紙見せてくるね!」
さも嬉しそうな声で女子が教室外へと駆けだした。
ガラッという扉の音がした後、教室に溢れたのは1人の男子生徒が残した書き置きを見た生徒たちが安堵する声だった。しかし俺は、正直不快であった。
おそらくその紙には「用事があるので早退します」という趣旨のことが書かれているのだろう。どうせ。あいつの書いたものだろうし。
俺はつけていた耳栓を少しだけ強く差し込んだ。
嫌なものだな。この体質。
「本当に、反吐が出るわね……」
目の前に女子が現れた。
「ん、空気悪いか? 換気する? 白石」
俺はその女子、白石 英莉に聞いた。
「そういう意味じゃないわよ。この教室内の紫崎くんに対する雰囲気。それに対して反吐が出ると言ったの。ってか、そこまで潔癖症酷くないし。それより、鈍川くんこそ、大丈夫なの?」
「まあ、もともと耳が良い上に、聴覚過敏っつーこのめんどくさい体質のせいで、あいつらのヒソヒソ声がまる聞こえな上にすっげー不快で気分悪い」
そう、そして、その陰口のすべては龍弥へのものであった。
鈍川 仁志:聴覚過敏
白石 英莉:潔癖症
「まったく、どいつもこいつも噂に流されすぎだ」
「本当にそうね。どうしてああも根も葉もない噂を信じられるのか……本当に理解に苦しむ」
俺の言葉に白石が同意する。クラスには数多くの龍弥への陰口が存在した。
中学の頃、1対大多数で喧嘩をし、そのほとんどを病院送りにしたという噂。人を殺したことがあるという噂。1年生の時にこの高校を中退した子がいたが、その子を強姦をしたという噂。酒やタバコ、薬物にさえ手を出しているという噂。エトセトラエトセトラ……
しかし、そのほとんどは、いや、全部と言っても語弊はないくらいの噂は、作り話だったり、事実の改変や、誇張されていたり、とにかく、クラスから、いや、先生からまで「紫崎は不良。関わらない方が良い」というレッテルを貼り付けられている。先生からも理解されない。
紫崎のことをきちんと理解している人はいなくはないが、ごく少数のため力がなく。故に、クラスに居場所がない。だからこうして、最低限の授業を受けた紫崎が、書き置きを残して早退することは珍しくはない。
しかし、
「この状況は、どう考えてもおかしい」
「ああ」
いくら、変な噂が立っているとはいえ、それに先生まで影響されているようでは、教育者としてどうなのだろうか。
変えたい。この状況を。でも、
俺たちは無力だ。
どうにかしてこの誤解を解きたい。
しかし、このままでは誤解が解けたところで彼は来ないだろう。
「本当に、どうすりゃ良いのやら……」
誰か、答えを教えてくれ。
***
放課後、遠野くんに連れられ、図書室に来ていた。
いや、この言い方には語弊がある。私が勝手についてきた。
「なにか読みたい本でもあったか?」
それなのに遠野くんは図書室に入ってから、常に私のことを気遣ってくれている。
「自分の本を探さなくて良いの?」
「ああ。なんとなく来ただけだし」
何度聞いてもこう返される。私も遠野くんが行ったから来ただけなんだけど。
というか、この会話、完全に膠着状態になってる。
私たちはなにをするでもなく、図書室を彷徨うことを決められた瞬間だった。
しばらくたった。結局、やっぱり何も借りないまま帰ることになった。
廊下に出て、ふと思い出したのはやはり昼休みのこと。
それにしても、昼休みの女の子が気になる。
「ねえ、遠野くん。あの女の子って一体……」
「さあ? 俺にもわからない」
この高校の廊下には、些か異様さまで発揮してしまう少女の記憶が、私の思考を奪おうとした。
「おい、危ない」
腕を掴まれたのか、ぐいっと体を引っ張られた。必然的に遠野くんの体にくっついてしまった。不覚とはいえ、なにかとても言い表せないなにかがそこにはあった。
ハッと理性に戻り、いままで私が歩いていまところを見てみると、明らかな柱がそこにはあった。
私は小さくありがとうございます。と呟いた。
帰り道、いつも遠野くんは駅までついて来てくれる。何度断っても、「危なっかしいから」の1点張りである。
本当は帰り道、こっちじゃないのに。どうしてついてきてくれるんだろう。
本当に、わからない。
この胸の騒ぎ立てる訳もわからない。
誰でも良いからこのうるさい心臓を、静かにして。
誰か、教えて。
遠野くんといると、とにかく頭が上手く回らない。
***
「じゃあねー。栗子ー」
「うん、バイバイ!」
少し向こうで2人の女子が挨拶をしていた。栗子と呼ばれた女子が小走りでこちらへ向かってくる。
「お待たせ! 氷空。待った?」
「いや、全然」
俺は走ってきたお姉ちゃんに返事をする。かれこれ約30分程度待っていたが、かわいかったので気にしない。
「帰ろっか」
「うん。帰りにスーパーによって買い物しないとね」
お姉ちゃんの問いに補足を加えて答える。
毎日、こうして2人で帰っている。もちろん、登校も一緒だ。
だけど、お姉ちゃんは、3年生。つまり、あと1年で大学生になる。
願わくば、いつまでもこのまま一緒に過ごしていたい。
でも、それは叶わない願い。
***
「明日も一緒に食べられるかな?」
「さあ、また明日も誘えば?」
素っ気ない声で隆俊が答える。
「それにしても、忘れっぽいって本当なんだな」
隆俊が言った。確かに私もそう思う。橘さんに自己紹介をしたのは何度目だろうか。別に自己紹介くらい構わないけど、
「すごい、違和感を感じるよね。忘れっぽいってだけじゃない感じが」
「そうだな」
隆俊も同意見のようだった。
本当に、ただ、忘れっぽいだけなんだろうか。
***
私はメモに言葉を書き足す。蓬莱 隆俊くん。灰原 紀香さん。今日一緒にお昼ご飯を食べた2人の名前をメモに書き足して、明日着る制服の上に置いた。
「増えたなぁ……」
制服の上には、沢山のメモがあった。朝起きたとき覚えていないようなことはもちろん、覚えているようなことでも。
こうして、増えていくメモを見ていくと学校に行って。遠野くんに連れて行ってもらって本当に良かったと思う。そう思いながらメモをペラペラと捲って眺めた。
色々書かれているメモには、今朝起きたときには覚えていたようなことでも、万が一のときのために書いてある。
明日も今日の記憶が少しでも多く残っていることを願って、
「おやすみなさい」
部屋の電気を消し、布団を上から被る。
静かな部屋の中、私は今日も眠りに誘われる。
***
「疲れた……」
俺は家のベッドの上に座り、そう呟いた。
「もう、こんなこと……できるならしたくない……」
そう呟くが、きっとそれは叶わないと心の中で反論する。
「匠ー!ご飯よー!」
母が俺を呼んだ。
「ああ。わかった」
「どう? 学校楽しい?」
晩ご飯中に母が聞いてきた。
「ああ。楽しい」
これは半分本当、半分嘘だ。
「勉強……ついていけてる?」
「……いつも通りだよ」
嘘だ。これは完全に嘘だった。
「そう、もし、あれだったら塾とか行ってもいいのよ?」
「いや、遠慮しておく」
母の心配を、完全に無為にしてしまっている。
やっぱり、本当に、俺は最低だ。
心配される価値など、ない。
晩ご飯を食べ、ベッドの上にうつ伏せになる。
「最低だ……」
頭の中を目まぐるしく走り回るその言葉がつい口から漏れ出した。
もし、もしも何か、1つだけ叶うなら……
願わくば、あの頃が再来しないように、
ただただそう願うばかりだった。