#52 少年は正鵠を射られる
「うわあ、これはすごいな」
ダダダダダダとミシンの動く音で溢れている。
見えないほどの速度で上がり下がりする針たちは、重ねられた布たちを縫い合わせているようだった。
あるところでは衣装を。あるところでは飾り付けを。あるところでは旗かなにか作るのだろうか、長方の布の1辺を輪のようにして縫っていた。
「ミシン、全部稼働してて空きは無さそうだね」
「そうだなあ。まあ、最悪手縫いでやればいいだろうし、時間もあるっちゃあるから手縫いで間に合うなら手縫いの方が丁寧な仕事――なんてな。まあ、すごい手間ではあるけど」
黒崎くんにそう言われ、私はギョッとする。
「ほんと私、なんでこの仕事選んだのかしら……」
「俺に聞かれてもなあ。まっ、そんなことより早くできることはやっちまおうぜ。アイロンは空いてるみたいだからよ」
彼は少し楽しげに空いているテーブルへ向かう。私は驚いて、急いで彼のもとへ駆け寄る。
机の上に白い布を真ん中に置いた。アイロンには水をセットしておき、電源コードはコンセントへと刺しておいた。
「じゃあスチーム使えるようになったら、アイロン当てようか」
「その前に、まち針刺そうね、碧原さん」
黒崎くんはそう言う。ハッとして焦る。そういえば、そんな仕事もあったな……
針山を1つ渡され、彼も私も布を1枚取る。あらかじめ書いておいてくれたチャコペンを目印に折り、ズレないようにまち針を刺す。大量のまち針が刺さっているその中から1本だけを慎重に引き抜き、布に刺す。慎重に引き抜き、布に刺す。
ふと前を見てみると、黒崎くんはとても集中している様子で、ものすごいスピードでまち針を刺していっていた。それも適当に刺しているわけではなく、1本1本丁寧に刺していた。
それで速いんだから、本当にすごい。ものの見事に短時間で1枚分のまち針を刺し終えていた。
私はというと、やっとこさ3本のまち針を刺せていただけだった。
パチンッと、アイロンから音がした。2人して音の方向を見ると透明色した水タンクの中がブクブクと沸き立っていた。
「あ、わ、私アイロンかけるね!」
「おう、頼む」
絶対、絶対、絶対に私がまち針を刺していたらとてつもない時間を使ってしまうだろう。
彼が1枚分刺している間に3本分しか刺せないんだから。
とはいえ、
「……うっ」
私、アイロンかけられたっけ。
「はい、お疲れ様ー」
日もかなり傾いてきたころ、すべての布のアイロンがけが終わった。ちゃんと三つ折りになるように2回アイロンがけをした。
「ちょっと待っててね」
もう人もいなくなった被服室で黒崎くんはそう言って立ち上がった。
そしてどこかへ行ってしまった。
「ほんっと、私なんでこの仕事についたんだろう……」
まち針を刺すのも遅かったし、なんならその前のハサミですら遅かった。更にはその後のアイロン。遅いはなんので、まち針を終わらせてからやったはずの黒崎くんが半分くらいをやってくれていた。
まち針を抜かずにアイロンをかけようとして黒崎くんに言われたときは、もう申し訳なくて仕方なくなっていた。
「ごめん、待たせたな」
扉を開けて入ってきた黒崎くんが缶ジュースを1本差し出してくれた。
「今日はありがとうな。手伝ってくれて助かったよ」
「ありがとう……」
グサリ、と。思い切り、刺された気がした。
「しっかし、当たらねえもんだなあ。あれって確率どれくらいなんだろう。1%くらい?」
役になんて、立ててなかったはずなのに。どうして、どうしてそんなことが言えるんだろう。
どうして「助かった」だなんて、足手まといだった人間に言えるんだろうか。それも、その瞳に、声色に、顔色に。ただ一欠片すらの嘘を込めずに。
私は、とにかく生まれてくる感情を抑えることで必死だった。声なんて出せなかった。
黒崎くんの心配してくれている声が聞こえてきたりしたが、聞き取れなかった。嗚咽がうるさいと思えば、私の嗚咽だった。
「なにがあったのかは俺にはわからないけどよ。なにかあったのなら、言えよな」
「うん……ずびっ」
本当に情けない。帰り道、黒崎くんはまだ半泣きだった私に付き合ってくれていた。
なんでこの仕事についちゃったんだろうって、そう聞きたかった。でも、聞けない。何度も聞いちゃったけど、聞けない。
だってわかってるから。なんでこの仕事を選んだのかを。
それから、その理由が酷く私事だったから。情けなくて、情けなくて。
***
「今日も今日とて、酷く混んでますなあ」
「なんでそんな口調なのよ」
「なんとなく……かなっ!」
そう言ってみると、とても大きなため息をつかれる。正直傷つく。
「仕方ない、手縫いしかないか」
すぐ隣にいる碧原から、なんというか、真っ黒のオーラを感じる。威圧ともとれそうだったが、なんとなく、不安に満ちているような。
「ち、ちなみにさ。裁縫はできる?」
なんとなく彼女のオーラに気圧されたというか、俺まで不安になったというか。とりあえず聞いてみた。
「で、できるわよっ! さ、裁縫くらい小学生の頃にやってるものっ!」
酷く焦っていた。きっとできないんだろうなあ。とか思いながら「そうか」とだけ言っておいた。
まあ、あれだけ裁ちばさみとかまち針とかアイロンとかの扱い見てれば普段使いに慣れてないのは見て取れるし。
碧原さんってどっちかというとプライド高そうだからなあ。ここで「できない」っていうのはそれに触るんだろうな。
まあ、あとでできなかったときの方が余計に傷つきそうな気はしたけど、もしも本当にできているのなら失礼に当たるだろうなあ。と思ったからやめた。
案の定、出来なさそうだった。
「ぐう……ぬぬ……」
針を持ったままで彼女はかれこれ10分程度。そのままの体制でいた。
やっぱり苦手だったんだなあ。そう思い、俺は手を早める。丁寧にはするけれど、彼女の負担を少しでも減らしてやろう。
いらないお世話かもしれないが、少しでも彼女の尊厳を保とうと。
「すごいね」
と、突然言われた。ふと顔を上げてみるとじんわりと涙が滲み出している彼女がいた。正直焦る。
「な、なにが?」
「黒崎くんって、本当はいろんなことできるんだねって。裁縫も、気遣いも」
ここで気づく。表情に出さないように心の中で焦る。やばい、と。
やらかした、と。
これは、マジの方でバレる。まずい、と。
「そ、そんなことないよ。俺、不器用だし」
「ううん、そんなことない。それに、それに、黒崎くんは――もできるし」
ピシャリ、と。俺の中のなにかが凍らされた。
なんで、なんでそんなこと言ってるんだよ。なんでそんなことを言えるんだよ。
碧原。お前はなにを知っているっていうんだ。
「でも、本当にごめんね、こんな私が相方じゃ、迷惑ばっかりでしょ?」
「いや、そんなことない。十分助かってる」
顔から血の気が引いているのがわかる。碧原はたしか顔を見て考えてることがだいたいわかるって言ってたっけ。でも、こんな顔じゃ碧原じゃなくてもバレるか。
まあ、今の言葉に嘘はないから、それには問題はないけど、さっき言われた言葉、俺が――できるっていう、それ。今はそれに動揺している。
「私さ、何回もなんでこの仕事についたんだろうって言ってるでしょ。あれね、ただ裁縫ができないからじゃないんだ」
唐突な告白だった。彼女のその告白に、さっきの動揺が少しは和らいだがそれでもまだ残っていた。
「絶対にバカだって言われると思って言わないでいたんだけど、ここまで迷惑をかけておいて、言わないのはどうかと思ったから。聞いてくれる?」
頷くことしかできなかった。
――私ね、針が怖いの。針だけじゃなくて、ハサミも、包丁も。今では相当なれたけど、鉛筆やシャーペンなんかもそうだった。
小さな声だった。周りはミシンの音でうるさくて、きっと俺以外には聞こえていなかったろう。
そんな、彼女の、告白だった。
碧原 風子:先端恐怖症




