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#46 少女はダダをこねる

 黙々と砂をいじる。いじっているものの特に楽しくもない。適当に山でも作って、それから適当にそれを――


 ふと目に入る紀香の姿。さっきまでの様子なんてどこにも見られない彼女を見て安心したような、拍子抜けしたような。

 まあ、元気そうでなによりだ。

 砂の山に手を延べると乾いた砂が手にしたがってサラサラと動いている。


『隆俊さんは、灰原さんのことが好きなんですか?』


 つい1時間か2時間かそれくらい前のこと。今はというと目の前の海で紀香に付き合わせられている彼。葵の弟である卓が聞いてきたことだった。

 俺はそれに対してなんとも返すことができず、結局そのままになってしまっている。


 紀香のことが好きかとか、そんなことわかりそうもない。というか、考えようとしたことも、なかった。……たぶん。


 だ、だって紀香だぞ? あの、紀香だぞ!?


 紀香は幼馴染みだし、好きとかそういうのは……


 瞬間、今まで触っていた砂の一部の色が突然濃くなった。続いて背中にひんやりとした感覚が走る。


 なにごとかと思い、急いで周囲を見回そうとしたが、別にそこまでしなくてもすぐに正体はわかった。


「なんだ、雨か」


 パラパラと、極めてまばらに地面を黒く染める雨がそこにはあった。

 いつの間にやら空は黒い雲に覆われていた。




「うー、まだ遊びたいー」


 まるで小さな子供がごねるような口調の声が聞こえた。


「ったく、この雨の中でいったいどうやって遊ぶっつーんだよ」


 その声の主、紀香に俺はそう尋ねた。「そりゃあ」となにかを提案しようとした彼女だったが、しばらくの間「あ」の口のままそれを動かさず、そのうちにだんだんとその口が閉じていった。

 そして完全にそれが閉じたかと思うと暗い顔をして、「ごめん」と言っていた。


 雨は降り初めはぽつぽつとした小雨だった。それは降り出したかと思えば止んだり、止んだと思えば降り出したり。

 勢いが強くなっては弱くなったり。そんなことを繰り返していた。海水浴客の一部が。いや、大半、むしろ大部分はこの時点で帰って行っていた。


 しかし紀香が「まだ遊びたい、この程度ならまだ遊べる!」の言いだしたがためにそのあとも帰ることなく遊び続けていたのだが、それくらいからだんだんと雨は強くなり始め、しまいには轟音を掻き立てて降っている。


「それにしても、ほんっとうに、遠野って準備いいよな」


 紀香のその言葉に俺は頷く。しかし本人は、


「いや、そんなことはないよ。実際本数だって足りてないわけだし」


 とまあ、本人はこのように供述しているが、決してそんなことはない。決して。

 だってここにいる人で葵以外全員、誰1人として傘を持ってきていなかったのだから。


『はい、これ』


 雨が本格的に降り出したころ、後ろから声がしたかと思うと、そこにいたのは1本の傘を差しだした葵だった。


「しっかしまあ、傘なんてよく持ってきてたもんだなあ」


「まあ、それなりの遠出だったし、天気予報は沿岸部は天気微妙だったけど内陸部では雨って言ってたから、雨に降られたら帰りに困るかなーって。まさか海で降るとは思ってなかったけど」


 さすが葵クオリティ。やっぱりこいつに任せておけば基本的なことはなに1つとして滞ることなく、問題や困りごとなどなく進む。


 葵が持ってきていた傘は全部で8本。それに対して人は全部で11人。そのため、全員が傘に入るためにはどこかに2人以上で入る傘ができるということになる。


 誰が2人になるのか。という議題になったとき、


『じゃあ、私は氷空と一緒に入るー!』


 まず真っ先に声を大にしていったのは栗子さんだった。


 瞬間、明らかな焦りが顔に現れる氷空だったが、栗子さんはそんな氷空に反論する暇など与えずに、それは決行されてしまった。

 今の氷空の様子はというと、大好きな姉が至近距離にいるというその状況に、顔は高熱を思わせるほどに真っ赤。指先や膝関節はブルブルと震えていた。


 頑張れ、氷空。


 しかし、これでもそのままでは傘は足りないので、残りは葵の弟である幹人くんと啓太くん……だったよな? と、妹の美弥ちゃんと舞綾ちゃんとがそれぞれ一緒に入って、現在はいちおう傘の本数は足りてはいる。


 葵曰く、「天気予報を信じるならば長めの夕立程度」らしい。が、それでも小1時間は降ってもおかしくはないらしい。まあ、長めだし。




「まあ、予定よりかは早いんだけど、雨が止んだところで時間もそんなに残らないだろうし、着替えて帰るか」


 葵のその言葉に若干名が少し不服そうな様子であったが、誰1人としてそれに反論しようとする者はいなかった。


 結局、着替えて帰ることとなった。




   ***




 電車に乗ってしばらくしたころには、随分と雨の様子も穏やかになっていた。車輪の音が結構ハッキリ聞こえるくらいに。


 目の前には壁に沿って設置された座席に、相当に疲れたのか、卓以外の弟妹たちや灰原、橘や隆俊なんかは座ったたますっかり眠ってしまっていた。


 卓は今、俺の隣で立っている。氷空と繰り込さんはというと、


『あー、すまん。お姉ちゃんがなにかまだしたいって言ってるから、いってるから、みんなで先に帰っちゃって』


 と言ったので、今は一緒にはいない。傘は1本だけ貸しておいたけれど、1本で足りているのだろうか。濡れてはいないだろうか。


「なあ、兄ちゃん」


 ぽつりと、俺の横でつり革を持って立っていた卓が小さな声でそう言った。声が聞こえたかと思うと車輪の音と雨の音とが再び目立って聞こえてくる。


「どうした?」


 俺がそう聞くと、卓は少し躊躇った様子を取ったが、すぐにハッキリとした声で、しかし小さな声で言った。


「俺、灰原さんのこと、好きだ」


「そうか」


 短く、俺はそう返した。聞かれてすぐに。

 すると静かになり。かと思うと今度は、


「え、ええっ!?」


 荒げた声で卓はそう言った。すぐに「電車」と俺が言うと、彼は唇をピッタリと重ね合わせ、黙る。


「で、でも、驚いたりとかしないの?」


 おそるおそる、小さな声で彼はそう聞いてきた。


「別に? へーそうなのか、くらいにしか思えない」


 質問にそう返すと、彼は俺から視線を外して言った。


「やっぱ兄ちゃんって変わってるよな」


 どうやら俺は変わっているらしい。




   ***




「……ばな、……ばな」


 ふわっとした意識の中。夢なのか、はたまた(うつつ)なのか。どちらから聞こえてくるのかはわからないが、なにかが聞こえてきた。


「た……な、たちばな」


 まだ重い瞼を少しだけ持ち上げて外を覗く。すると今まで閉じていたからか、強い光が瞳に差し込んできた。まぶしい。


「たちばな、橘」


 次第に光の中にぼんやりとした人影が見えてくる。聞こえてくる声もハッキリとしてくる。どうやら、遠野くんが私のことを呼んでいるようだった。


 なんというか、夢でもいいや、心地いいし。


 視界はハッキリとしてきたものの、未だ意識はぼんやりとしていた。そのとき、視界にもう1人の人物が入ってきた。蓬莱くんだ。


 蓬莱くんは遠野くんになにか耳打ちをしていた。


 内緒話が終わったのか、蓬莱くんが遠野くんの耳元から離れると、今度は遠野くんの顔がこちらに近づいてきた。結構近くて、なんとなく恥ずかしい。


「ほら優奈、起きろよ。次、千々代駅だぞ?」


 ああ、もう降りる駅だったのか。というか、これは夢ではなく、現実だったのか。


 うん、降り……えっ、今なんて?

 優奈、()()……ゆ……う。


「うぴゃぁぁぁぁぁあっ!」


 意識が一気に現へと引き戻され、私は急いで立ち上がる。目の前には、小さく「電車」とたしなめるように呟く遠野くんと、ケラケラと笑っている蓬莱くんとがいた。


「な、言っただろ? すぐ起きるって」


「だけど、空いているとはいえ電車の中なんだからもっと静かに起こすべきだってだろう。他の方法もあったんだろう?」


「まあ、よかったじゃんか。起こせたし、面白かったし」


 今にも吹き出しそうな表情を変えない蓬莱くんと、いつも通りの遠野くんとがそんな風に話していた。「もう、いっそのこと優奈(そっち)で呼んじまったらどうだ?」とも。


 それは心臓に悪いからやめて欲しい。割と切実に。


「次は、千々代駅、千々代駅――」


 そんな車内アナウンスが聞こえてきた。私は立っていた場所からすっと扉の前まで移動し、起きている遠野くんや卓くん、蓬莱くん。まだ寝ている灰原さんたちに手を振った。


「あ、送ってくれなくて大丈夫だからね」


弟妹たち(こいつら)がいるから、今日ばっかりはそうだとありがたい。ああ、傘は持って行けよ?」


 そんな会話をしていると、電車は駅に着き、扉が開いた。


「今日は楽しかったよ、またね!」


 そう言って、私は電車から降りた。蓬莱くんの「おう、またな」と言う声が聞こえてきて、電車の扉を閉じた。


「あれ、あいつまさかおぼ……いや、いいか」


 その遠野くんの言葉を外に漏らさないように。

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