#43 幼女はタマゴコッペを前に考える
「タマゴコッペ……」
目の前にあるのは未開封のコッペパン。イチゴミルクは喉を潤すために飲むとすれば、事実上このタマゴコッペさえ食べれば彼から言われたことは完遂したことになる。
これさえ、これさえ――なければ、もしかすると……
***
「ああああぁぁ……」
家の扉を開いて1歩中に入る。そして扉を閉じて第一声。それがこれだった。
バカ、バカだろ俺。うずくまりながら心の中でそう言った。
見知らぬ少女にパンとイチゴミルクらそれから服とタオルと傘を与えて、挙げ句の果てに明日もう1度来るだと?
どう考えても、どう見てもただの変質者じゃねえか。パンを食わなかったら家に連れて帰るとも言っちゃったし。
今まで噂の中ではあらぬ罪をあまたとかけられてきたが、今回ばかりはダメかもしれない。というか、あらぬ罪ではない。
「バカだなあ……」
明日、あの少女があの場所で待っている確証なんて無いのに。
袋の中身を捨ててしまえば食べたと簡単に偽ることだってできるのに。
「腹が減った」
すくっと立ち上がり、とりあえず台所に向かう。
冷蔵庫の中になにかあったろうか。
取っ手を掴んで手前に引くと、隙間から涼しい風が漏れ出してきた。
朝、目を覚ますと外はやけに静かだった。
なにをしようかと。夏休みは考えるのが面倒だなと。そんなことを考えたとき、昨日の出来事を思い出した。
「行ってみるか」
どうせいないだろうなとは思うけれど。
適当な大きさの鞄に携帯とタオルとそれから……
ふと財布に手を伸ばした。しかし鞄に入れるでもなく中身を確認した。
確認するや否や、引き出しから貯金をいくらか引き出す。それ財布に挟み込み、鞄に入れると鍵を持ってドアを開く。
外は昨日の雨が嘘のような快晴だった。軒からは水滴が時折したたり落ちたりしている。
昨日の場所に向かいながら俺はひたすら頭の中で繰り返す。
そう。これはたんに買い物に来ただけだから。冷蔵庫の中身が壊滅的すぎてスーパーまで買いに行くだけだから。
そう。その途中にその道の前を通るだけだから。この道だと多少遠回りをするのだが、その道を選んだのはただの気まぐれだから。そう……
視界に入り込んできたそれに思わず笑みが零れる。バカなのかという呆れから来るものなのか。はたまた嬉しさから来たものか。
晴れているというのに黒い雨傘を構えた少女がそこにはいた。
「バカじゃねえの?」
「あなたこそ」
俺の言葉に対抗するように帰ってきた答えに、その言葉の主が腕で抱えていた小さな袋を差し出してきた。
「タマゴコッペ、残しました」
彼女の告げる通り、確かに未開封のタマゴコッペがそこにはあった。
「あとの2つとイチゴミルクは?」
そのあたりに落ちている。もしくは置かれている包装やら牛乳パックを見ればどうだったのかはわかるが、わざとそう聞いてみた。
「食べました」
ハッキリとその5文字を聞いた。タマゴコッペは……まあいい。
「よし、ならいい」
そう言うと、意外そうな顔で驚かれた。
まあ、全て食べなければ……なんて脅していた以上、このような反応は普通であろう。
「おい、少女」
よく考えてみれば少女と声に出して呼ぶのは初めてかもしれない。
「俺は紫崎 龍弥だ。お前は?」
「私は黄乃。月見里 黄乃です」
彼女の名前をしれたところで俺は歩みを再開させる。彼女に顔を見られないようにだけ注意して笑う。「そうか」と言う。
「おい、黄乃」
少し離れたところまで行って、ピタリと止まってそう言った。
「着いてこいよ」
「わかりました。龍弥」
帰ってきたその言葉に2つの意味で笑ってしまう。
呼び捨てかよ。とは思ったものの、そのくらいの方が細かいことを考えないで済む。だから楽といえば楽である。
道に従って歩いていると、次第に駅が見えてきた。
目的地は既にスーパーから切り替えている。俺としてはそこに行くということはあまり気が進まないことなのだが、致し方ない。
後ろには少女、黄乃がトコトコと着いてきている。当たり前だが、誘拐してきたわけではない。
だから法には触れな……いや、この状況は誘拐に等しいのだろうか。
そう思うと周囲の視線が気になってくる。周りの人たちがいつ俺を見ているかわからない。そのことが更なる緊張を掻き立てる。
なるほど。パノプティコンの囚人たちの気分は今の俺に酷似しているのではないだろうか。周囲の看守は囚人をいつでも見ることができ、囚人は周囲の看守がいつ囚人を監視しているのかを知るすべはない。
まあ、とりあえず言えることはここで挙動不審な行動を取ってしまえば即通報ものだということだ。
平常心、平常心……
駅に着くなり数十段ある階段を登る。いつもなら1段飛ばしで登るが今日はきちんと1段ずつ。
登りきったそこにつくと、左には改札が。右には数台の券売機が壁にはめ込まれていた。
券売機の中にはたった1台だけ、1番手前に妙に真新しいものがあり、そこには既に人がいた。
仕方なく左端の券売機に向かう。真っ黒なボタンが並んだ古ぼけた券売機だった。
適当な硬貨を入れると黒いボタンにデジタル数字が点灯する。示された金額のうち必要なものを押そうとして固まる。
「黄乃、何歳だ」
「6歳ですが、なにか?」
ボタンに近づくまでして押さなかった指がそっと離れる。そしてその指はそのまま左にあるボタンに向かわせる。
表面がくすんで黄色く光るそのボタン、久しく触れる“こども1枚”と表記のあるボタンを押す。瞬間、それまで黒色でしかなかったボタンの1部に一気に数字が浮かび上がる。
このボタンに触れたのはいつぶりだろうか。
たしか、小学校4、5年のころに駅員に呼び止められてからだから……かれこれ5、6年前になるのだろうか。
不思議な感覚に襲われながら、倍近く増えたボタンの中から今度こそ必要なものを押す。
すると小さく機械音を掻き立ててサッと切符が出てきた。
それを取ろうと手を伸ばすと急に側面からジャラジャラと音を鳴らして小銭が遮るように流れ出す。反射的に手を引っ込めてしまうが、すぐに窪みに貯まった釣り銭を財布に入れる。
後ろに着いてきていた黄乃に切符を渡して聞いてみる。
「使い方、わかるか?」
「あたりまえでしょう? わかりますよ」
あたりまえなのか。最近の子供は進んでいるんだな。と思っていると彼女はピヨピヨという音を立てながら改札を抜けた。
俺はその後ろからICカードを当てる。
6歳か。そろそろ犯罪者臭が半端ではなくなってきたな。
そんなことを思いながら改札を抜けると、黄乃に駅を案内する。といっても右のホームか左のホームかということだけなのだが。
4駅ほど駅を跨いで目的地の駅で電車から降りる。この駅で降りる人は結構多かった。
外は鬱陶しいくらいに日差しが強かった。昨日のような雨が降って欲しいというわけではないが、1日でこの格差は酷いと思う。
とはいえ、昨日の雨の猛威もものすごかったようで、道のところどこに水溜まりが出来上がっている。
水溜まりを踏まないように通る場所を選んで俺は進み、彼女は水溜まりを飛び越していた。
ぴょんぴょんくるりと調子よく飛び跳ねていた。
と、そのとき。その様子がピタリと止まったかと思うと、くるりと俺の方を向いた。
「龍弥、どこへ向かってるんですか?」
黄乃がそう聞いてくる。「まあ、今にわかる」と適度にあしらうと不服そうな声で「そうですか」と言われた。
まあ、今にわかると言うことは間違ってはいない。むしろあっているとは思う。
というのも、駅から歩いてほどなくの場所、すぐに目的地が見えてきた。
「あれだ」
俺が軽く頭を動かして示したそれを見て彼女は呟いた。
今回の目的地、そして俺の苦手な場所。
「ショッピングモール……?」
視界に入ったその景色に、彼女はそう言った。
「ショッピングモールなら、あの近くにもあったんじゃ……?」
「あるけど、知り合いに会う確率が高いから行きたくない」
割と真面目にそう答える。かなり速く返答したためか、その回答に彼女は驚いた様子でいた。
「でも、なんでわざわざ? 苦手なんでしょう?」
そりゃ、行かなくていいなら俺もあんまり来たくないよ。ここ。たまに必要なときは来るけど。
「おまえ、その男物のTシャツで過ごすつもりなのか?」
そう。今黄乃が着ているのは俺が昨日渡したTシャツ。さすがにこんな服装だとそのうち俗に言う変態が寄ってきそうだ。
「とりあえず服、買うぞ」




