#42 少年は幼女と出会った
帰り道。普段見かけないものがそこにはあった。
それは工事の日時を知らせる立て看板でなければ警察が事故の目撃証言を募るために設置した看板でもない。
もちろんながら手に包丁を携えた通り魔でもなかったが、姿を見る限りは人であることはわかる。
少女だ。少女がまるで何かから隠れるように。それか、周囲に存在を悟られないように、電信柱のその根元でひっそりと息を潜めていた。
その少女は傘も持たず、レインコートらしきものも着ず、ただひたすらに白くそして薄い、見方によれば下着のように見えなくもないようなワンピースを身につけて看板のように用に電柱にその身体を預けていた。
「なにをしているんだ?」
なぜ自分でも声をかけたのかはわからなかった。
ひっきりなしにザアザアと雨が騒ぎ立てる中、その声はしっかりと少女に届いたようで、それまで下を向き続けていた彼女の顔が俺をの方を向いた。
「あなたには関係ないでしょう」
少女は不信の籠もった目と声で俺にそう伝えた。その様子は正に「近づくな」と警告しているようだった。
関係ない。全くもってその通りだと俺も思う。俺はこの少女と関わったことはおろか、会ったことすら今まで1度としてない。相手からしてもそれは同じだろう。
ただ、なにがそう思わせるのかはわからないけれど。けれどもこの少女のことが気になって仕方ない。
しばらくの間、2人して全く口を開かずにただひたすらに互いのことを睨み合うという状況が続いていた。
その沈黙に終止符を打ったのは、随分と気の抜けた音だった。
くぎゅるるるるるる……
決して小さくはないそのかわいらしい音に彼女はわかりやすく赤面をした。
「なんだ。腹が減っているのか」
「いいえ。別に減ってなんて……」
くぎゅるるる……
食い気味に反論をしようとした彼女に追い打ちをしかけるような完璧なタイミングで彼女の腹の虫は再び鳴いた。やはり彼女は赤面する。
「やっぱ、減ってるじゃねえか」
「減ってなんて……昨日今日食べなかったくらいなら……問題なんて……」
そう言った瞬間、すとんとその場に座り込んでしまった。不本意だったのか、「あう」と驚いた様子でいた。
というか、問題無いって言おうとしたのか? こいつ。
どう考えても問題大ありだろうが。
「おい」
手に提げていたビニール袋を無理やりに押しつける。
「お前、アレルギーとかは無いだろうな」
「な、無いですが、なにを……?」
困惑する少女を気にせずに俺は言葉を続ける。
「無いなら、袋の中身の食べ物、全部食え。あと」
差していた傘を彼女の頭に被せる。それから鞄の中から雨に濡れた時のために準備しておいたタオルと替えのTシャツを引っ張り出し、彼女に手渡す。
「やる。使え」
「なっ……わ、私のことは気にせずに! というか関わらないで……」
「知るか。明日の朝、ここにもう1度来る。それまでにその中身を無くしておけ。さもなくば俺の家に連れ帰る」
雨に濡れながら俺はそうとだけ言うと、家路を走り出す。後ろでごちゃごちゃなにか言っているのは聞こえてくるが、気にしない。
本当なら、今日にでも部屋に連れ帰ってシャワーの1つでも浴びさせてやりたかったのだが、いろいろと問題がありそうだったのでやめた。
***
雨が冷たい。
お腹も空いてきた。最後に何かを食べたのはいつだったろうか。昨日。いや、一昨日か。もしかするとそれよりも前かもしれない。
日はだんだんと暮れてきた頃だろうか。雲に隠れて太陽は見えないが空の明るさを見る限り、そろそろ逢魔が時くらいだろう。
いっそのこと、魔物なり妖怪なりが出てきて連れ去ってくれないことだろうか。
いくら夏とはいえ、水浸しの薄着の上、ずっと雨に降られていると体温を過度に奪われる。その上このままだと食べる物も無い。
低体温症か栄養失調で死ぬのかな? まあそれはそれでいいかもしれ――。
「なにをしているんだ?」
突然声をかけられた。柄の悪そうな男の人がそこにはいた。
「なにをしているんだ?」
いつの間にかそこにいた柄の悪そうな男がそう言った。雨の音がうるさくて少し聞きづらいが言葉は確かに聞こえた。
「あなたには関係ないでしょう」
正直、驚いた。この雨のせいで人通りとはいえここは住宅街。先ほどから何度も人は通っていた。
私に気づかなかった人はいなかったろうし、仮にいたとしてもせいぜい1人や2人だろう。ほぼ度外視していいレベルだ。
しかし、この道を通った人たち全員に共通して言えたのは誰1人として私に関わろうとしなかったという点だ。
しかし、その気持ちはわかる。面倒事を避けたいのは人として普通の感情である。こんな雨の日に傘すら持っていない少女が1人、電信柱の根元で座っている状況など、捨て子かなにかだろうと思うことだろう。
きっと。私だったらそんな面倒まっぴら御免だ。
しかし、この男はそんな私に関わってきた。面倒事だということを理解しての行動なのか、否か。まあいい。
初対面のこの男はいったい何者なのだろうか。片手にはビニール袋。たしかかすぐ近くにコンビニがあったが、恐らくその店のものだ。
反対の手には黒色の傘。折り畳み傘だろうか、持ち手の部分が曲がっていない。
肩にかけているのはそれなりに大きな鞄。服装は黒……いや、紺色だろうか。雨で視界がハッキリしないせいで確証は持てないが紺色の半袖のシャツにジーパンを穿いてる。
普通の服装、持ち物なのだが、どうも目つきなどが悪いせいか不審者と間違われても不思議ではないような見た目である。
ただ。それなのに悪い人に見えなかった。
ジッと顔を凝視してみる。確かに目つきは悪いが、その目つきは決して誘拐犯の卑しい目や賤しい目には見えなかった。
まあ、誘拐犯であってもあまり問題はなかったのだが……
相手も私のことを凝視している。なぜ、この人は私にこうも関わろうとしているのだろうか。
初対面の私を、どうしてここまで気にかけているのだろうか。
そんなとき、突如として腹部に異変を感じた。
くぎゅるるるるるる……
明らかに自らの腹部から聞こえたその音に、反射的にお腹に手を当てる。きっと今の私は酷く赤面していることだろう。
さっきまでキツかった目つきが一気に解れて笑顔に変わった。あれ、笑えばそこまで怖い顔でもない。
「なんだ。腹が減っているのか」
減っている。とても減っている。しかし、なぜかこの人に頼りたく……いや、迷惑をかけたなかった。
「いいえ。別に減ってなんて……」
反論しているその途中。
くぎゅるるる……
やめてくれ。減っていないということにさせてくれ。
「やっぱ、減ってるじゃねえか」
「減ってなんて……昨日今日食べなかったくらいなら……問題なんて……」
そう言って抗議しようとする。しかし、身体中から力がスッと抜け、ペタンと、その場に座り込んでしまう。
「あう」
まずい、これではどう考えても問題があるようにしか見えない。どうにかして、この人に迷惑をかけないように――。
「おい」
ガサリと、目の前に白いものが急に現れる。ほぼ無理やりに押しつけられたそれは、どう見てもこの人が持っていたコンビニのビニール袋だ。
「お前、アレルギーとかは無いだろうな」
「な、無いですが、なにを……?」
無いが、それがいったいどうしたと……
質問をしようとするが、その前に言葉を続けられてしまう。
「無いなら、袋の中身の食べ物、全部食え。あと」
彼は差していた傘を私にかけてくれた。紺の服が雨に濡れ、斑に黒くなっていく。続いて鞄の中に手を入れて何かを引っ張り出す。白と黒の何かが出てきた。
「やる。使え」
バサッと肩にかけられたのはタオルと黒色の男物のTシャツだった。
「なっ……わ、私のことは気にせずに! というか関わらないで……」
迷惑をかけたくないから、お願いだから!
「知るか。明日の朝、ここにもう1度来る。それまでにその中身を無くしておけ。さもなくば俺の家に連れ帰る」
彼はそう言って駆けだしてしまった。
「ちょっと! 待ってください!」
聞こえていないのか、名も知らぬ彼はどんどん離れていく。
「バカなのかな……あの人」
ビニール袋の中身を見てみると、タマゴコッペにメロンパン。それからあんパンとフルーツ牛乳。
私がこの中身を全て捨ててしまっても、食べたと言ってしまえば彼はそれを確認することができないだろう。
それに、私が明日もここにいる確証が無いというのに。
バカなのだろうか。
そんなことを思いながら、私はあんパンの袋を破る。
ひとくち、そのパンにかじりつき、食べる。
「あたたかい……」
パンは別に焼いているわけでも電子レンジかなにかで温めたわけでもない。別に温かいわけでもないのに、
妙に身体が。身体以外のなにかも妙にあたたかい。温かくて、暖かい。
もうひとくち、パンをほおばる。濡れた身体が冷たいはずなのに、やはり妙にあたたかい。
いつの間にか、あんパンは無くなっていた。
周りに人がいないことを確認して、貰ったタオルで身体を拭く。随分と濡れていたのか、力の弱い私でも水を絞れた。
もう1度周囲を確認してさっと着替える。随分と大きなその服は、Tシャツだというのに長袖のワンピースのように着ることができた。
ビニール袋の中身を取りだして、地面にビニール袋を敷く。気休め代わりのシート。
その上に座ってみる。多少はマシに感じられた。
私はメロンパンの袋を破った。




