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#41 幼女は意気投合する

「そういえば、薺菜さんってなんの病気で入院を……?」


 瞬間、空気が凍った気がした。あ、これ、聞いちゃダメなやつだ。


「あ、えっと。その……なな、なんでもありませんっ!」


 私は咄嗟に無かったことにした。しかし、やはり疑問に思ったのも事実である。


 薺菜さんは、入院しないといけないほど身体が衰弱しているようにも見えないし、どこかを骨折しているようにも見えない。

 と言うよりも、最低でも1年以上前から入院しているであろう彼女が骨折で入院していると考えるのは(いささ)か不自然である。


「あー、やっぱり気になっちゃう?」


 薺菜さんは「あはは」と苦笑いに近い声を漏らし、少し間を置いてから口を開いた。


「それがね、分からないのよ」


 その、予想の斜め上の返答に、私は驚く。わからない、という返答が来るとは微塵(みじん)も思っていなかった。


「原因は不明。どのような症状が起こっているか、その全貌も不明。ただ、今分かっているのは多少の身体の動かし辛さと稀に軽い意識混濁を起こすこと。それから」


「身体の成長が止まってるってことかしら。要するに歳を取らなくなったってこと!  ちょうど、その造花のように…………ね」


 龍弥の説明に、薺菜さんは横入りをしてそう言った。しかし、龍弥はため息をついて反論する。


「成長が止まったではなく、遅くなったの間違いだろ。まあ、成人している手前、成長という表現が正しいのかってことも微妙だが」


 龍弥曰く、怪我をした場合、それが2、3日で回復するような怪我であっても、1週間や2週間。あるいは1ヶ月かかるようになってしまっているのだという。


「そんなわけで、怪我をすると大変だから怪我をしないようにってことと、診察とかデータを取るのが楽なようにってことで入院してるわけ」


 薺菜さんは最後はなぜか楽しそうになりながらそう言った。しかし直後に、「でも、ご飯に塩気が無いのは許さない」と、不満も語っていた。




   ***




「ちゃんと勉強もしてるの?」


 3時頃。突如として全く脈絡のない発言が現れてきた。


「えっ? さっきまで今の朝ドラの話をしてたんじゃ……」


「で、ちゃんと勉強もしてるの?」


 本当に、苦手だ。

 俺はそう思いながらも、「しているよ」と、母さんに返す。そして、


「本当は、今すぐにでも働いて、父さんを楽にしてやりたいんだけどな……」


 そう呟くと、刺し殺すかのような視線が、もとい死線が俺を襲う。


「ダメよ」


 母さんの声がした。うん。そう言われるのは分かっていた。


「ちゃんと大学を出て、それから就職しなさい。あの人だってそう言っていたでしょ?」


 このセリフは幾度となく聞いてきた。去年も聞いたし、なんなら一昨年も聞いた。


 ちなみに、あの人とは父さんのことだ。あの人が誰なのかを理解できていなさそうにしている黄乃には、そっと告げ口をした。


「分かってるって。勉強は、ちゃんと国公立大学に入れるように頑張ってるから」


 そう言うと、「別に好きな所に行けばいいのに……」と、母さんは呟く。


「たまたま行きたいところが国公立だっただけだ! べ、別に授業料が安いとかいう理由じゃなくてな、国公立大学の方が、ほ、ほら! 数学を研究する上で施設が整ってるし……それに……」


「ほんと、素直じゃないわね。黄乃ちゃんもそう思うでしょ?」


「はい」


 母さんはこっちへおいでと、黄乃にジェスチャーで示す。ちょっと待ってくれ。黄乃までそっちにつくのか。


 というか、いつの間にそんなに仲良くなったんだ?


「あー、黄乃ちゃん、ほんっとうに良い子。うちの子になる?」


「はあっ!? 母さん何言ってるんだよ。こいつまだ7歳だからけっこ……」


「え? なんの話してるの? 7歳だってできるでしょ? 養子縁組」


 自分が失言してしまったことを悟り、絶句する。


「それとも、いったいなにを考えていたのかなー?」


 あ、ダメだ、これ。完全に分が悪い。


「イエ、ナニモナイデス」


 目をそらせてそう言った。






 午後4時。


「そろそろ帰りなさい。あんまり遅くなると危ないから」


 時計を見た母さんは、第一声にそう言った。


「危ないって……俺、もう高2だぞ?」


「でも、その子は小学生でしょ? ね、黄乃ちゃん」


 大人しく頭を撫でられている黄乃は、小さく頭を縦に動かす。

 母さんは先ほどのことをいいことに、さっきから黄乃をダシに俺を軽く脅してくる。


「ほら、早いとこ帰りなさい」


 撫でていた手を離し、母さんはそう言った。黄乃はイスから立ち上がり、トコトコと俺のもとへやってくると、帰りますよ。と、いつものトーンで言ってくる。


「黄乃ちゃん、ここにはいつでも来ていいからね! あと、龍弥のことをよろしくね!」


 ドアから出かけた俺たちに、母さんはそう言う。というか、俺が面倒見られる側なのかよ。


「はい。わかりました」


 黄乃は振り返り、ペコリと頭を下げた。






 ガタンゴトンと静かな音を立てながら電車が進んでいく。

 壁に沿って設置された座席に2人揃って座る。言葉はなにも出てこない。


 病院が少しばかり辺境地にあるせいか、4時半くらいだというのに全く混んでいない。

 談笑している女子学生とスマートフォンをいじっている男子学生。それから営業帰りなのか、少し肩が緩んでいるスーツの男性。電車は狭いながらもさまざまな人が集まっていた。


 しばらく進んでいくと人が入れ替わる。だんだんと都市に近づいて行くにつれ、降りる人より乗る人が多くなってくる。それでも対面(といめん)のホームに比べれば全然だった。


 ぽつり、と。


 電車の窓ガラスに小さな水滴が貼りつく。「あ、雨」と、隣で呟く声が聞こえた。


 水滴はさらにぽつりぽつりとついていく。


 彼女はその様子を眺めていた。

 大切そうに、傘を抱きしめて。




 家の最寄り駅に着くと、ホームに出た。今まで壁1枚、ガラス1枚挟んでいた雨の音が(じか)に耳に届く。土砂降りの名に恥じぬような雨だ。


 この時期は雨が多いな。そういえば、


「そういえば、去年のこの日も雨が降っていたよな」


「そう……でしたっけ?」


 よく考えてみれば、こいつは去年行っていなかった。


「あー、すまん。この日家から出たのは1人だったから記憶がこんがらがっていた」


 俺はそう言った。言い回しが少し不自然になってしまった気がしたが、口からでてしまったものは取り消せない。


「なあ、黄乃」


 駅の改札機にICカードを当てる。液晶画面には運賃を差し引かれた残高が表示される。


「お前のその傘。あげた日もこんな雨だったろ?」


 黄乃が切符を改札機に入れる。子供用の切符を入れたとき独特の音がして改札機は黄乃を通す。


「ええ。そう……でしたね」


 ザアザアと轟音を立てながら、雨音はここまで届いてくる。


「その日、7月の何日だったか覚えているか?」


「そこまでは……覚えていません。その頃はカレンダーを見る機会がなかったので」


 黄乃はトコトコと近づいてくると、手に抱いていた折り畳み傘を左手に持った。

 少し大切そうに折り畳み傘のカバーを外している黄乃を待って、俺たちは駅から出る。


 滝のよう。バケツをひっくり返したようとはよく言ったものだ。正に土砂降り。さながら豪雨とでも言おうか。


 大雨洪水警報が発令されているだろうと易々と予想できるレベルの雨が降っていた。


「そうそう、あの日もこんな雨だった」


 黄乃に聞こえないように、そう呟いた。

 俺が高校に入って初めて母さんの見舞いに行った日、そして……


「なあ、黄乃」


 俺は隣にいる黄乃に話しかける。


「なんですか? いきなり」


 もう、いつでも傘をさせる。そんな状況で彼女はこちらを見てくる。


「ちょうど、1年前の今日だ。お前にその傘をあげた日。あの日、俺は見舞いの帰りだった」




   ♢♢♢




 1年前。


「うわ……ちゃんと折り畳み傘持ってきてよかった」


 黒色の折り畳み傘を開きながら俺はそう呟いた。


 母さんの見舞いから帰ってきて、駅に着いた瞬間この土砂降り。運が無いにも程がある。天気予報で雨が降るということを聞いていたので、鞄の中にきちんと忍ばせておいた。


「電車に乗る前までは晴れていた癖に」


 そうぼやきながら俺は雨の中を歩き出した。


 さて、今日はなにを食べようか。カップ麺……は昨日切らした。コンビニに寄って適当にパンでも買うか。

 適当にタマゴコッペと焼きそばパン。それから安いしメロンパン。あとは、適当にコーヒー牛乳でも買って……


 傘の水滴を軽く落としてから店に入る。入口の自動ドアが開くが先か、あるいは、


「いらっしゃいませー」


 思わず身体がビクリとする。今日も今日とて店員という存在は苦手だ。


 極力関わらないようにしてパン売り場に向かう。マジか。焼きそばパン売り切れじゃないか。


 仕方なくタマゴコッペとメロンパンを入れ、あることに気づく。あんパンが安い。


 俺はあんパンに手を伸ばし、続いて飲み物を見るために移動する。


「こっちもか……」


 あろうことか、コーヒー牛乳まで売り切れだ。いったい、何人のコーヒー牛乳好きが訪れたというのだろう。


 仕方なく近くにあったフルーツ牛乳へ向かう。早くカゴに入れ、精算へ向かう。


 指定された金額を支払い、俺は店外へ向かう。


「ありがとうございましたー!」


 店員の声は、ザアザアと降る雨の音にかき消される。

 傘を開き、誰もいない部屋を目指して1人帰路につく。

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