#3 忘却少女は餌付けされる
キーンコーンカーンコーン……
チャイムが午前の授業が終わったことを告げると、先生の指示で学級委員が礼を指示する。
昼ご飯を食べようと、俺は自分の席についてカバンに手を突っこんだ。ごそごそと中身をまさぐっていると、前の席の少女がこちらを向いて聞いてきた。
「遠野くん。お昼、一緒に食べよ?」
「いいけど……他の人じゃなくて良いのか?」
正直、本日久しく登校した橘と昼ご飯を食べたいやつは数多といると思う。それくらいに今日こいつには視線が集中している。
「うん。遠野くんがいい」
「そうか」
俺は別に構わなかった。だからそう返答した。
けれども、その誤解を招きかねない発言はやめて欲しかった。周りからの視線が集まっている。
好奇の目だろうな。とあらかた予想はついたので、俺は彼女に伝えた。
「外、行くか」
おそらく、これが正解であろう。
***
廊下を全速力で駆け抜ける。途中先生にすれ違った気もするけれど、気にしない。
クラスの前に辿り着き、勢いよくドアと開け放つや否や私は叫んだ。
「遠野ーーー! 隆俊ーーー!」
2人の名前を呼んだ。しかし返答はなかった。
不思議に思い、隆俊の席を見ると機嫌が悪そうな隆俊がいた。しかし、遠野の席を見てみるとそこに遠野の姿は無かった。
「なんだ。隆俊いるじゃん。いるなら返事しろよ」
「そう思うならいちいち大声で叫ぶな。で、いったいなんだよ紀香。葵ならいないぞ」
まったく、呼んだだけで機嫌を悪くするなよ。禿げるぞ。いや、禿げろ。
というか、遠野もどっか行ったりするんだな。基本なにもせずに座ってるイメージなんだけど。ってこれは偏見か。あいつだって人間なんだし。
「どっか行ったのか?」
「ああ。橘さんと一緒に昼飯を食いに」
へえ。橘さんと一緒に。橘さんと一緒に。橘さんと……
私からビニール袋を持っていた手の力が抜けてしまう。パサリと音を立ててビニール袋は地についた。
***
「で、いったいなんだよ紀香。遠野ならいないぞ」
気分良くゲームをしているところを邪魔されるのが嫌で習慣づいてしまった、素っ気ない返事をする癖を思わず発動してしまった。まあ、相手が紀香だし良いか。
「どっか行ったのか?」
「ああ。橘さんと一緒に飯を食いに」
そう答えると、紀香はパンの入ったビニル袋を落とした。
「なんで……」
紀香は状況が理解できていなさそうな顔で呟いた。
モヤ……
ん? モヤってなんだ。
「なんで……」
だからモヤってなんだ。
「私も橘さんと一緒にご飯食べたかったーーー!」
あ、そっちか。なんか、ほっとした。
ん? なににたいしてほっとしたんだろう。俺。
「仕方ない。隆俊で我慢するか」
叫んで少しスッキリしたのか、はたまたただ単に切り替えが早いだけのか、彼女はすがすがしい表情でそう言った。
「そう思うなら1人で食えば?」
「だが断る。1人で食べるより複数で食べた方がおいしい」
そう言われ、俺はため息をついて机のスペースを少し広げた。
***
この学校の中庭の外れ。あまり人の来ないそこで俺たちは昼食を取ることにした。
ここは軽く木陰になっていて、風が気持ちいい。
「それなに?」
私はタマゴフィリング入りのコッペパンを食べながら聞いた。
「ん、これか? これはアスパラベーコンだ」
「じゃあ、これは?」
玉子焼きを指さして聞いた。
「玉子焼きだ」
うん、そうだろうね。見たらわかる。
私は少し気になって聞いた。
「もしかして、自分で作っているの?」
「あ、ああ。そうだが?」
その言葉を聞いた私はお弁当を凝視する。
少しの間が経って、遠野くんが口を開いた。
「た、橘、明日作ってこようか?」
「いやいや、そんなことしなくて良いよ」
形式だけ断っておく。まあ、断るなんて気は毛頭無いが。作ってもらう気まんまんで凝視していたわけだし。
「はあ……じゃあ、明日は間違えてパン持ってくるなよ」
「うん!」
計画通り。
って、どうやって覚えておこう。そこを考えてなかった。
***
自分で作っているのかと聞かれて肯定をしてから、橘がジッとこちらを見ている。なんだ、どういうことだ? これ。
少しの間、その意味を考えて、思いついた理由に基づいて聞いてみる。
「た、橘、明日作ってこようか?」
「いやいや、そんなことしなくて良いよ」
言葉は完全に遠慮しているんだけど、視線とかその他もろもろがどう見ても遠慮していない。
「はあ……じゃあ、明日は間違えてパン持ってくるなよ」
「うん!」
間髪入れずに元気な返事が返ってきた。作ってもらう気満々だったな。こいつ。
まあ、別に作る量が少し増えるだけだから構わないんだが。
「まずくても知らねえぞ?」
クラスに帰ると、クラスメイトからの視線が痛い。
完全に忘れていた。
『遠野くんがい』
橘が放った問題発言の存在を。
おかげさまで休み時間はもちろん、放課後まで一部潰れた。このクラス、どんだけ他人の色沙汰好きなんだよ。
とはいっても、なんの関係も無いからどれだけ掘り下げても何も出てこないんだけど、それがまた、彼らの知りたいというの欲求に火をつけたようだった。
下足室に向かうとそこには橘がいた。
「あ、遠野くん」
こいつだって午後は質問攻めに遭っていた癖に、まさか学習しないのかな。いや、流石にそこまで阿呆ではないだろう。偶然に決まって――
「どうした? 何か用か?」
「うん。一緒に帰ろうと思って」
訂正。学習していない。
帰り道。何を話すわけでもなく、しばらく歩いていた。
幸い、今のところ見つかっていない……と思う。
「ありがとう」
突然、橘が礼を言ってきた。
「どうした?」
「今日、クラスに連れて行ってくれて。とても楽しかった」
「そうか」
そう言うと、彼女は小走りで少し前に出て、くるっと180度回転して言った。
「だから――」
彼女はこちらに笑って言った。作り笑いだと分かるくらいの下手くそな笑みで。
「やっぱり、明日のお弁当は良いよ。それから、明日からは下で待ってくれなくてもいいよ」
そう言って見せた。微かに潤んだ瞳に夕日が反射して輝いて見える。
「今日は、本当に楽しかった。だから――」
「やめろよ」
そう。
俺は彼女の言葉を遮ってそう言った。
「自分の思ったことにに嘘をつくのをやめろよ」
大変なだけだから。決めつけというものがいかに大変なものなのかということを知っているから。
だから。
「本当は、どう思ってるんだ?」
せめて、あいつみたいに。そう……
あいつみたいに過ちを犯さないために。
「食べたかったから凝視してたんじゃないのか? クラスにいて、楽しかったんじゃないのか? 明日からの自分にも、そんな楽しいことをさせてあげたいんじゃないのか?」
「……っ!」
橘が悔しそうな顔をする。
「で……も、私がいるとっ!」
「自分の考えだけで考えるな」
何度も同じことを繰り返すだけでは意味がない。ならば流れを変えるだけ。
少し大きめの声で言葉を中断したことで橘が驚いたような顔をした。
「今日だってクラスで歓迎されてたじゃないか。それにもしそれが建前からくるものだったとしても、少なくとも、俺はそう思ってないって何度も言ってるだろ」
「そんなの……嘘に決まって……」
「勝手に嘘って決めつけてるんじゃねーよ」
そう。迷惑だなんて思ってない。嘘じゃない。
「でも、他のみんなは私の事情を知らない。だから……」
「でも、俺は知ってる」
彼女はスッと目をそらす。
「もひ、みんなに迷惑をかけたくないって言うのなら」
そうだ。俺は知ってる。だから、
「それなら、俺に迷惑を掛けろ」
「そうすると、今度は遠野くんが――」
まだこいつそんなこと言っているのか?
全く、どれだけ理解が遅いんだ。
「それで俺が離れていくとでも言いたいのか? 残念だが、その予想は外れだな。それとも、俺が自分で差し出した手のひらを自分の都合で戻すとでも思ってるの? そんな人間だと思ってるの?」
彼女は、泣きそうな顔で息を呑んだ。
安心しろ。心配しなくても大丈夫だから。
***
遠野くんの言葉は、心の中に染み渡って体中を温かくしてくれる。自然と胸の鼓動が速まっていく。
何故そうなるかは分からないけれど、どうしてか、そうなってしまった。
忘れたくない。彼のことを。その気持ちだけが膨らんでいく。
朝、目が覚めると、違和感を感じた。
頭の中に1人の男子の顔と名前が記憶として残っている。
どんな人なのかとか、昨日この人と何をしていたのかとかは全くわからないし、覚えていない。けれども不思議なことにいい人だということはわかった。
人を覚えたのはいつぶりだろうか。それも、良い記憶として。
嬉しくなりながらベッドの上で上半身を起こしてあたりを見回した。着替えの上にはメモがあった。朝になったときにその日にしなくてはいけないことなどを昨日のうちに書き留めたメモだ。
そのメモには彼の名前があった。
「会えるのかな」
すこし、楽しみになってきた。
あれ? メモを見てみるとお昼ご飯は持っていかなくていいみたいだ。短縮授業なのだろうか?
とりあえず、早く朝ご飯を食べて学校へ向かおう。昇降口にはきっと彼が待っていてくれている。
春休みに無理して高校への道を覚えた甲斐があった。毎日のように往復したのはいい思い出だ。
一緒に覚える手伝いをしてもらったお母さんには迷惑を掛けちゃったけど。
「今日も早く行くのよね? ご飯、食べちゃいなさい」
食卓の方から声が聞こえる。私は返事をして、急いで制服に着替えた。
昨日もこんな感じだったのだろうか。高校への道のりがとても楽しいものに感じる。
記憶にある中で、ここまで楽しい日は初めてだ。なんて言ったって、学校で待っててくれている人がいる。メモによるとどうやら昨日は先に彼が昇降口で待っていてくれたらしい。
「先に行って驚かせてやろう」
これが昨日の私が今日の私に伝えたかったことらしい。
私ながら、粋なことを考えるな。
クスクスと笑いながら、私は足を速めた。
「おはよう、橘。今日は早いな」
「へっ……?」
メモで見る限り、昨日より30分ほど早くでたはずだった。登校時間まで1時間以上ある。なのに、
彼は先に到着していた。
「と、遠野くんこそ……」
言えない。驚かそうとしていたなんて言えない。
「あ、名前はわかってるみたいだな。メモは見てくれたんだな」
「うん。見たけど、でも……」
これを言ったら遠野くんはどんな反応をするだろう。そんな期待を込めて言った。
「今日の朝、メモを見なくても遠野くんの名前は覚えてたよ」
自慢げにそう伝えると、遠野くんは私の頭をポンポンと撫でた。
「そっか。それは進歩だな」
胸の鼓動が速まる。心音がうるさい。遠野くんの声だけが聞きたいのに、心音がそれを邪魔する。
あれ? なんで遠野くんの声だけを聞きたいと思ったんだろう。
頭を撫でられていると心地良い。遠野くんの声が聞きたい。こんな気持ち初めてだ。
改めて見てみると身長差があることを再確認できる。上を見ると遠野くんが笑っているのがわかる。
でも、なんでだろう。
このときの遠野くんの笑顔に酷く違和感を感じてしまった。
何故かはわからない。でも、違和感を感じた。遠野くんはそのうち頭を撫でるのを辞めて「教室へ行くぞ」と言って歩き出した。
私は遅れないように遠野くんの後ろについて行った。