#36 忘却少女は試着する
「ね、ねえ。灰原さん。まだ、まだ今なら引き返せる」
私は懇願するように彼女にそう言った。しかし、その言葉など、一切意味を持たないことを表現するが如く、私の腕は彼女に引っ張られる。
そう。目の前にあるのは、一言で言い表せば煌びやか。そんな文字が当てはまりそうな――
地獄だ。
♢♢♢
途中、喉に詰めはしたものの、なんとか無事にハンバーガーを食べきったその直後、
「よーし、それなら今回の買い物の大・本・命!」
待ち侘びたと言わんばかりのその瞳は、私の思考を一瞬停止させ、そして事態への対応を遅らせた。
そして、その遅れは確かに一瞬だったものの、その一瞬が運命の溝をこじ開けたようで、
「えっ、ちょっと待っ……」
私の言葉など届かない様子の彼女が私の腕を引っ張る。彼女は危なさなどそっちのけでショッピングモールの中を駆け抜ける。
私の足は、2、3歩に一度地に着けば良い方だった。
「危ないっ! 危ないってば!」
向こう側からあるいてくる人はおろか、同じ方向へ進んでいる人にさえ、危険を及ぼしている。普通に、迷惑行為だ。
「灰原さん、灰原さん。危険だって! 迷惑だって!」
依然として、私の声は届いていない。
というか、灰原さん。さすがというか、なんというか、
「足、速い……」
そう呟いたとき、それまで引っ張られて前に進んでいた私の身体は唐突に何かに衝突した。
「いった……」
それまで握られていた腕を解放され、私はその場に座り込んだ。
「あ、ごめん。急に止まっちゃった」
どうやら私が衝突したのは灰原さんの背中だったらしく、彼女は私の方を向いてそう謝った。
「私の方こそ、ぶつかってごめ――」
「あともう1つ、謝らなくちゃいけなくて……」
私の声を遮ったその言葉に、不安を感じなかったといえば嘘になる。むしろ不安しか感じていなかったかもしれない。というか、これって既視感があるんですけれど……
「橘さん、ここどこかわかる?」
やっぱりか。本日2度目の迷子は回避できたものの、3度目は無理だったか。
とりあえず今の周りの状況は、ショッピングモールの店と店の間にたまにある細い道に入ったということは確実で、彼女のいる先には倉庫があると思われる扉だけがある、通称行き止まり。
後ろには左右2方向に分かれた道がある。
なるほど。よくわかった。とりあえず、
「ショッピングモールなんだし、とりあえず適当な方に進めば、そのうち地図にたどり着けるんじゃないかな?」
私がそう言うと、彼女はなるほどと、理解したようで、腕を掴んで再び走り出そうとした。
「ちょちょちょっ、ちょっと待って」
やはり不思議な顔でこちらを見てくる。しかし、私は気にせずに続ける。
「私が先導するから、歩こうか」
まだ少し理解していない様子の彼女に更に続ける。その顔は、「走った方が早く着くじゃん」と言いたげだった。
非常に、そう言いたげな表情だった。
「危ないし、周りの人に迷惑だし、それにまあまあ怖かったし」
ここまで言って、彼女の表情に変化が起きた。意味を理解してくれたようで、目を大きく開いていた。
「それに、また迷子になるのも嫌だし……」
付随するように本音を付けたしておいた。彼女は大きく開いていた目を細め、私から視線を外した。
先導して地図まで辿り着き、教えてもらった今回の目的の店へと向かっていた。地図が正しければ、このあたりなんだけれど……
「違うと信じている」
地図の場所にある店は、ピンクを基調とした店で、とても女子高生という感じが満載である。
きっと、きっと間違ったんだ。きっともう少し先に目的地の店が……
「おおー! すげー。さすが地図だなー」
今その言葉は嬉しくない。だって、
この店が目的地だと言っているようなものだから。
♢♢♢
「待って待って待って」
私は慌てふためいて、それでもなんとかそう言った。
「こ、この店!?」
私がそう聞くと、彼女はさも当たり前のように頷いた。
「自分で服を買った経験すら無いような女子高生には、ちょっとばかり難易度高すぎませんかね?」
しかし、その言葉に返ってきた返答は、正に絶句ものだった。
「大丈夫! 私もだから!」
やらなぜこんな店を選んだのだろうか。
それから、無事に水着を買えるのだろうか……
落胆することすらできずに、私は店内へと引きずられていった。
「ねえ、どっちがいい?」
差し出されたそれを見て、私は一言。
「ど、どっちも嫌……かな?」
片や、いわゆるビキニ。水色のビキニ。
片や、もはやただの紐。ピンク色の紐。
というか、このピンク色の紐。どこから持ってきたんだろう。絶対に水泳に向いてないでしょ。隠せないでしょ。ほとんど。
なにがとは言わないけどっ!
「えー」
彼女は落胆した声を出した。きっと、気にせずに色だけで持ってきたんだろうな。そう、信じている。特に紐。
「橘さんに似合いそうだと思ったんだけどな……」
その言葉に私はピクリと反応した。
色が。色が似合いそうってことだよね? そうだよね?
頼むから、そういって欲しい。せめて後者……紐についてだけでも。
少し不服そうにしながら2着の水着をもとあった場所に戻した灰原さんは、突然に上機嫌になり、歩き出した。
「橘さんに似合いそうな水着ー。でーておーいでー!」
彼女がそう歌いながら、店内の奥へと向かって行った。水着は非生物だから動きも返事もしないし、そもそも恥ずかしいからやめて欲しい。
ふう。と、溜め息をついて、手近な水着を探る。どれもこれもそれなりに露出があって、どうしても敬遠してしまう。
そう思いながら、私は胸元に視線を落とした。そこにあったのは決して無いとは言えないものの、まだ発達途上……いや、高校生からはもう育たないのか?
なんだか悲しくなってしまいそうなそれに再び溜め息が出たころ。
「橘さん! これっ!」
声のした方を見てみると、灰原さんは片手に水着を持ちながら、こちらへと走ってきていた。その胸元は大きく上下に揺れている。
私は笑えていただろうか。全くもって、自信が無い。
なんというか、その。
「少し分けて欲しい……」
「なにか言った?」
思わず言ってしまった本音に、私は「なんでもない」と、誤魔化す。でも、少しで良いから分けて?
「で、橘さん、これ!」
そこにあったのは、先ほどの水色のものよりも露出度が少し低めのオレンジ色の水着だった。
「な、なんでこれなの?」
露出度が低くなったとはいえ、ビキニには少し抵抗がある。選んできた理由を問うと、彼女は満面の笑みで答えた。
「私知ってるよ! 橘色って色があって、オレンジ色みたいな色なんでしょ?」
そういえばそうだった気もする。
「だからね、オレンジ色の水着はどうかなって」
なるほど。その発想はなかった。しかし、
「なら、灰原さんは灰色の水着を着るの?」
灰原さんは、全くもって考えていなかったようで、ぽかんと口を開けていた。
天然というか、なんというか。とりあえず、灰原さんって天然だな。と思った。
しかし、ここでこのツッコミが悪手であったことを知ることになる。
「ままままっ! まあ良いじゃん?」
完全にテンパった彼女は半ば暴走した様子で私の手首を掴み、試着室へと向かった。
そして、私と水着を試着室へと投げ入れると、勢いよくカーテンを閉めた。
「ちょ、ちょっと、灰原さん! 一体なにを!?」
「試すだけなら無料なんだし、試してみなよ!」
反論が残る中、「えー」とだけ言って、私は目の前にある水着を見た。露出度が低いとはいえ、仮にもビキニ。それなりに露出はある。
「着なきゃダメか……」
きっと着れば、私の残念なプロポーションを見て、気が変わってくれるだろう。むしろ、スク水で大丈夫だと理解してくれるんじゃないだろうか。
そう思いながら、今日穿いてきたフレアスカートを降ろし、着替えを始める。着替え中ずっとなにかしらブツブツ呟いていたが、そのほとんどは愚痴であった。
鏡に映った自らの水着姿を見て、その姿に悲しさを通り越して憐れみさえ覚える。自分だけど。
後ろを振り返り、私はおそるおそるカーテンを開く。
試着室内よりも明るかった外からは、一瞬明るすぎると感じるほどの光量が目を強制的に伏せさせ、視界を奪う。
そして、私が目を開いたと同時か、それより早いくらいのとき、耳には声が届いた。
「かっわいいー!」
黒目の中にハートマークでも浮いているのか? と思わせるほどのその黄色の声色に、私は一歩後ずさる。
「決定、決定で良いよね?」
今にも飛びついてきそうで。しかし、それをなんとか我慢している様子の彼女がそう言う。
「えっ? でもこれ露出……」
「異議は認めないっ! さあ早く着替えて!」
再び勢いよくカーテンが閉められる。ピシャリと音を立てたそれは、私の思考も同時に閉じた。
着替えを済ませ、カーテンから外に出ると、買い物かごを装備した彼女が待機していた。
「さあっ! 早く入れて!」
急かすようにして彼女はそう言った。私は半ば諦め、水着をかごの中に入れる。
再び腕を掴まれ、レジまで突っ走っていく彼女に引かれている中で、私はあるものを見つけた。
「ちょっと待って!」
私はそう言うと、彼女は止まってくれ、見つけたものを手にかけ、かごに入れた。
「それも買うの? なんで?」
理解できていない様子で、私が入れたものを見ていた。
大きな果実を持つ灰原さんとは違い、私は……その……
あれなんだよっ!




