#34 幼女はやはり幼女であった
黄乃を残して風呂から上がったあとは、早急に布団へと向かい……たかったのが本音だが、あいにくフライドチキン以外の晩飯を食べていない状況で眠れるわけもなく、更にいうと、
「成長期の子供に飯を出さないで平然としていられるほど俺もクズじゃないし、狂ってもいない」
たとえ、自身が嫌われている相手だとしても。
そんなことを思いながら、未だ風呂に入っている彼女のために、冷蔵庫の扉を開いた。
適当に手早くでき、しかしながら極力バランス良いものを。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
定型文を読み上げるのように、淡々と俺たちは言い合った。目の前には醤油と豚肉の脂などで汚れた皿があった。食材は、一切乗っていない。その様子を見て、俺は少しばかりの笑みをこぼした。
今日は野菜炒めだった。
♢♢♢
時間帯にして、少し前のこと。
黄乃が風呂から上がってきた。炊飯器からは白色の蒸気がもくもくと上がっていた。
「あともう少し待ってくれよ」
既に寝間着に着替えていた彼女の方へ一瞬だけ振り返り、そうとだけ言ってフライパンへ目を向けた。醤油を回し入れて、味付けをする。
返事の声は聞こえない。
だがしかし、イスを静かに引く音が聞こえていた。了解はしているようだった。
炊飯器がピーという音を鳴らし、ご飯が炊けたと主張する。「先に茶碗にご飯をよそっておけ」と言うと、彼女はイスから降りて炊飯器へと向か……わずに別の方向へと向かった。
とはいえなにも不思議なことではなかった。といのも、彼女はすぐに戻ってきたからである。両手で小さな箱を抱えて。
踏み台だ。炊飯器は彼女の身長の届かないところに設置されている。故に踏み台が無いとご飯をよそえない。
ちなみにではあるが、この台所に置いてある電化製品は、冷蔵庫を除いて手が届かない。その事には少しだけ申し訳なく思う。
黄乃が蓋の近くにあるボタンに手をかけ、それを下向きに押した。カチッという音を立てて蓋が開くと白い湯気と白米の香りが溢れ出てきた。
そこに入っている白米は1合。彼女はいつも、だいたいその3分の1を茶碗に盛る。それとほぼ同時刻、俺は少し前に出来上がって、既に皿に盛り付けた野菜炒めを食卓へと置いた。
俺も茶碗にご飯をよそい、2人して食卓についた。
「いただきます」
手を合わせ、2人で小さくそう言った。
食事が始まって、黄乃の食べ方に特徴があることに気がついた。
全体的に満遍なく食べているように見えて、その皿の一方。彼女から見て左斜め前の場所に青々しい緑色の野菜、ピーマンが寄せられていた。
俺はその様子をじっと見ながら口の中に野菜炒めを投げ入れた。
「…………」
無言でその様子を窺う。箸で野菜炒めを掴んだと同時に、そこから器用にピーマンを落としていた。これでは一見好き嫌いしているようには見えない。
しかしながらこれではだんだんとピーマンの割合が増えていき、最終的には辛い思いをするのでは? と俺は思ったが、それでも器用にピーマンを取り除く彼女を見ていた。
考えてみると、俺は不思議に思った。彼女には、何度かピーマンを出したことがある。しかし、1度として残している様子を見たことが無い。そんなことを考えながらしばらく経つと、突然彼女の様子が変わった。
ピーマンと他の食材がほぼ半々で入っている皿をしかめた顔で睨みつけ、しばらくの間箸を動かさなかった。きっと彼女の中での葛藤があったのだろう。しばらく後に、彼女は一気にそこに集まったピーマンの山を口の中に放り入れた。しかめていた顔は更に酷くなった。
やっとの思いで黄乃は口の中のものを飲み込んだ。即座にそばに置いてあるお茶へと手を伸ばした。コクッ、コクッと、その喉を僅かに動かせて彼女は飲んでいた。
なるほど。だから残っていたことがないんだ。そう思いながら、気づかれないように小さく笑った。
♢♢♢
先ほど見たそんな光景を思い出して、少し心が安らいだ気がした。
「お前も、まだ7歳なんだな」
俺がそう言うと、なにを当たり前にと言わんばかりの口調で「そうですが?」と、黄乃は言った。
なんとなく、安心したというかなんというか。
とりあえず、ピーマン克服料理でも考えるか。
食事が終わってから、しばらくの時がたった。
さて、一体今俺の目の前でなにが起きているというのだろうか。
「龍弥、さあ、なにも遠慮することはありません。一緒に寝ましょう」
枕を抱えた黄乃が、先ほどと同じ言葉を繰り返していた。
「えっと、毎日同じ部屋で寝てるよな?」
頭に思い浮かべた1つのパターンだけは回避すべく、とりあえずそう返した。しかし、これが逆に、
「そうではなく、同じ布団で。と言う意味です」
外堀を埋めてしまった。絶句という言葉が酷く似合いそうになるくらいの沈黙が走った。
彼女が言い放った言葉は、つまり。要するに……
その言葉の意味を考えていると、いきなり様々な記憶が脳を灼くような勢いでフラッシュバックした。今朝の記憶、そして風呂での記憶。
やはり、今日の黄乃はなにかおかしい。
「わかった……一緒に寝るとするか」
なにか、なにかわかるかもしれない。黄乃の発言の理由も、意味も。今朝からの黄乃の様子の理由も。
そう思い、俺はそう答えた。
布団に潜り込み、黄乃も入ったことを確認すると手近な位置にあるリモコンで部屋の電気を消した。
フラッシュバックの余波か、ここで更に記憶が掘り出された。今回の件とは無関係だが、なにか関係していそうな記憶。それがなぜか気になったが、この思考は強制的に中断された。
身体に密着して、感じられる温かな小さな体温が震えていた。季節は夏。寒いということはまずないだろうし、彼女の体温は決して熱がありそうな物でもなかった。
俺はこのことをしっかりと記憶に刻み込み、彼女の身体に手を回して、意識を手放すことにした。
微睡みに沈む直前、彼女の震えが少しだけマシになっていた気もした。
***
朝、メモを見る。昨日、もしくはそれより以前に書かれたであろうそのメモを見て、私は過去の私を怨んだ。
「なんで、買い物の約束なんてしてるのよ……」
海に行くという約束は……構わないといえば嘘にはなるのだが、理解者がいるから、とりあえず大丈夫なのだ。灰原さんは私の問題を知らない。なんで、水着を買いに行く約束してるのよ。
「私のばかあああああああああ!」
私は自室で力一杯叫んだ。海なんて、スク水でいいじゃん。そう思っていると、先ほどの声をお母さんが聞きつけたのか、「優奈! 大丈夫?」と言っていた。
「大丈夫だよ……あっ、ちょっと待って!」
私はそこにいるであろうお母さんに少し待って貰うように頼んで急いでそれを持った。
「お母さん!」
私は自室の扉を勢いよく開きながら言った。
「ね、ねえ」
両手に持っていたそれを、お母さんの目の前に突き出して言った。
「どっちの服の方がいいと思う……?」
そう聞くと、少しの間、お母さんはフリーズしたかと思うと大きめの声で笑っていた。
まるで、もっと深刻な話かと思っていたと言うように。
私にとっては結構深刻な話だったんだけども。
現在時刻7時。
灰原さんが来るまで、残り1時間。
「へ、変じゃないよね」
選んで貰った衣服に身を包んでそう聞くと、お母さんは未だ笑ったまま、「うん。似合ってるよ」と言ってくれた。正直に言うと、説得力が無い。
私は時計に目をやった。約束の時間までは残り30分。
「ほら、朝ごはん。早く食べてきなさい」
そう言われて食卓に向かうと、扉の奥から香ばしい匂いが私の嗅覚を刺激した。テーブルの上には目玉焼きとウィンナーが白い皿の上で待っていた。
戸棚から自分の茶碗を取りだし、炊飯器から温かいごはんを盛った。それを持って席に座ると、私は手を打ち合わせた。
「いただきます」
黙々と朝ご飯を食べていると、別のことを終わらせてきた様子のお母さんが部屋に入ってきた。扉が閉まった音がしたのを確認すると、私は食べる手を一旦止めて、口を開いた。
「ねえ、お母さん」
無駄とわかっていながら、虚空の……いや、それよりももっと遠くにまでしか無いであろう確率に一縷の望みを託して聞いた。
「ねえ……やっぱり行かなきゃダメかな?」
つまり、行かないでもいいかと聞くのと同義であり、もちろんそんな望みは、
「ダメに決まってるでしょ? 風邪を引いて熱があるわけでもないのに」
今すぐに醤油を一気飲みしょうかと思った。まあ、どのみち手遅れではあるが。
「それに、せっかくの友達とのお出かけなんだから、楽しんで行ってきなさいよ! ほら、早く食べた、食べた!」
まるで、自分のことのように嬉しそうな口調でそう言っていた。
私はウィンナーを口に運んだ。
シャカシャカシャカ……
独特というか、特徴的な音を立てるそれを私はただひたすら左右に動かしていた。
大丈夫。約束の時間までは5分程度残っている。そう思いながら泡だらけの歯の上を滑らせるようにして歯ブラシを往復させる。
大丈夫。大丈夫。時間ならまだある。時間なら――。
ピンポーン。
突然に無機質な音が鳴り響いた。そしてその刹那、
「ぐばぼぶぶべべぶばぼぼ……」
突然すぎた音に慌てふためいた私は思わず泡を飲み込みかける。なんとか踏みとどまったものの、行き場を失った泡が今度は口の外へと向かおうとした。結果、口の中が惨事と化した。
私は携帯電話の電源を入れ、時計を確認する。まだ、4分ほど、時間に余裕はある。
とりあえず口をすすぎ、玄関へと向かった。
「あっ、おはよう!」
玄関の扉を開くと、そこには遠足当日の子供を思わせるような、喜びと期待に満ちた笑顔と声があった。
「あのね! 今日は楽しみすぎて6時過ぎに起きたんだ! それからそれから、待ちきれなくって、だいたい今から30分くらい前にここに着いたんだけど、あと5分くらいで約束の時間だしちょっとフライングだけどいいかなーって思ったんだけど……」
私の様子を見たのか、彼女は少し申し訳なさそうな顔をした。
「もしかして、まだ身支度の途中だった?」
図星だった。それが表情に出ていないことを祈る。
未だ申し訳なさそうな顔をする彼女に「ちょ、ちょっと待ってね。かばっ……鞄取ってくるからっ!」と言って、急いで家に戻った。
自室の扉を破るくらいのスピードで入ると、そこに置いてある鞄を右手に持ち、玄関までの道のりを逆向きに再び駆け抜けた。
と、その時。
(そうだ、忘れるところだった)
ふと思い出して立ち止まり、大きな声でその部屋に言葉を投げ入れた。
「行ってきます!」
そうとだけ言うと、渡した玄関へ向かった。
出発してから何分か経ったころ、私は大切なことを知らないことに気がついた。
「そういえば、水着ってどこに買いに行くの?」
もしかすれば過去の私が聞いていたかも知れないが、とりあえずそう聞いた。
「ああ、ショッピングモールだよ! アリオン、アリオン!」
楽しげにショッピングモールの名前を繰り返していた。アリオンか。流石にそれくらいは知ってる。
アリオンとは、各地に存在しているショッピングモールで、普通のものなら基本的になんでも揃う。という話を以前聞いたことがある気がする。
「でさ、私は知らないんだけど。記憶が正しければ」
上機嫌な彼女に話しかける。疑問に思ったその事を告げるために。
「アリオンってさ、こっちじゃないよねまあ、私は行き道知らないから確証は持てないんだけど……」
途端、彼女の顔から安堵が消えた。
「ごめん、私も知らない」
なんというか、その……
マジか。




