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#33 少年は幼女に嵌められる

「今日は本当にありがとうっ!」


 左肩にかけたトートバッグには、丸付けを済ませた宿題たちが所狭しとひしめき合っている。マジで、ありがたかった。


 場所は玄関の前、日はもうほとんど沈んでいた。


「本当に終わらせるとはな……」


 少しばかり信じられないというような言い方で隆俊は言った。やはり禿げるべきだ。むしろ体毛が全て抜けてもいいくらいだ。

 まあ、そんなどうでもいいことは置いておいて、


「次は橘さんと買い物かー」


 私がそう言うと、橘さんは少し苦い顔をしていた。

 すると扉の前に立っていた遠野の後ろから、小さな影がひょこんと出てきて、少年の声が聞こえた。


「また来てねー!」


「遊ぼーねー!」


 続いて少女の声だった。啓太と舞綾だった。私は2人に「うん!」と答える。


「じゃあまた送って……」


 遠野がそう言ったとき、即座に、「大丈夫」という橘さんの声が聞こえた。


「いや、送る」


「大丈夫だから」


「送る」


「大丈夫……」


 仲いいな。私と隆俊は少し呆れた目でそのやりとりを見ていた。

 本当に付き合っていないのか。幾度となくそう思わせられた。


 横目に見る隆俊の顔は、やはりいつものごとく苦笑いだった。


 まあ、私もそうなのだろうが。




   ***




 失敗だったのかな。今朝の選択肢は。

 俺はそう思いながら、夕焼けの光に照らされた黄乃を見た。


 今朝、行きたいところはないかと聞いてみたものの、「龍弥の行きたいたころで」としか言われず、とりあえず、手近にある場所を巡ってみたものの、彼女の不機嫌……なのかはわからないが、いつもと違う調子は直らなかった。


「なあ、家に帰る前にあそこに寄るか」


 そう言いながら、十数メートルほど先にあるコンビニを見た。


「ええ。そうですね」


 目を合わせずに彼女はそう言った。もしかすると、意識的に逸らされているのかも知れない。もしもそうだと、なんか、嫌だな。

 まあ、朝のことを引きずっているだけだと信じよう。


「なにがいい?」


 俺がそう言うと、「龍弥のものと同じものを」と言った。




 コンビニに入ると、彼女はなぜか「外で待っています」と言った。やっぱり避けられているのだろうか。


 少しばかりの不安を持ったまま、俺は紙パックのジュースが置いてあるところに向かった。


 なんの躊躇いも無く、100%のオレンジジュースを手早く取る。取るや否や、そのままレジへ。


 レジにつくと「いらっしゃいませ」という、明るい声が耳に届いた。

 その声に思わず身体をビクッとさせ、出口方面へ向けて走り出そうとしたが、走り出す手前でなんとか踏みとどまった。


 絶対に目を合わせないようにして、小さな声でフライドチキンを2つ追加注文した。


「512円です」


 財布を広げ、指定された金額ちょうどをキャツシュトレイに入れた。ここでお釣りが出ると、レシートの上に文鎮代わりの小銭を乗せられ、手のひらを差し出すことを暗黙の了解のうちに強要される。


 レシートの必要不必要を問われ、即座に、手のひらを相手側に向ける。おそらく不必要ということはこれで伝わる。


 小さな袋二つを手に持ち、出口へと向かうと、「ありがとうございました」という声が後ろから聞こえた。


 本当に、愛も変わらず、コンビニ怖い。




「お待たせ」


 自動ドアが開き、黄乃のいる方へ顔を向けながらそう言った。しかし、それに対する返答は全くもって来なかった。

 小さく彼女の名前を呼んでみるが、返事はない。


「おい、黄乃!」


 少し違和感を感じ、先ほどよりも強くそう言うと、彼女は身体を一瞬震わせてからこちらを向いた。


「なんだ。龍弥ですか。どうしましたか?」


 どうしたもこうしたも。俺はそう聞きたかったが、敢えて聞かないでおいた。しかし、彼女の声は僅かに震えていた。


 彼女の前方を見てみると、そこでは猫が威嚇をしていた。


「ああ。猫が怖いのか?」


 俺がそう聞くと、彼女は「ちっ、違っ……いえ、そういうことに……」と言っていた。いったいなにを言っているのだろうか。


 俺は手で猫を払った。猫がどこかへ逃げ去ったのを見届けて、「帰ろうか」と俺は言った。


 顔を俯かせて小さく歩みを進める黄乃に、俺はフライドチキンを渡した。その小さな手で受け取ると、小さな声で礼を言い、彼女はミシン線に沿って紙を破いた。


 必要の無い部分の紙をクシャクシャに握りつぶしてポケットに入れた彼女は、空いた左手で俺の服の裾を掴んでいた。


「………………」


 俺たちはなにも言わず、ただひたすら帰路についた。



「ほら、これ。飲みな」


 家に着くと、先に入った黄乃に紙パックのオレンジジュースを渡した。「手を洗ってから飲めよ」と言うと、当然と言わんばかりの口調で返事をしていた。


 洗面所から出てきた彼女は部屋に置いてある、彼女にしては大きめのイスにわざわざ座り、足をぶらぶらさせながらパッケージの背面に接着されたストローを取り外していた。


 このイスが、彼女のお気に入りだった。


 なにかというとわざわざ飛び乗らないと乗れないこのイスに座る。機嫌のいいときも、機嫌の悪いときも。


 きっと彼女なりのなにかがそこにはあるのだろう。そう思い、俺はあえてその事について聞いたことはなかった。


 俺はまだ湿った左手に未開封のオレンジジュースを持ち、近くに置いてあるイスに座る。


 目の前では、飲み始められたオレンジジュースのパッケージが少し凹んでは、また膨らんでを繰り返していた。

 ストローから聞こえる吸い込む音以外、なにも音がしていない。


 ただひたすらに静かな部屋の中、突然に鳴り響いた音楽。もとい予約しておいた風呂が入ったということを告げるそれは、2人の意識に確実に入り込んだ。


「俺、先に入ってくる」


 そう告げ、こくりと頷いて了解した彼女の瞳に、1つの計画が浮かんでいることに気づかず、俺はそのまま風呂場へと向かった。


 これが悪手であったということに、気づくことは全くなく。


 飲み干し、空になった紙パックを、ごみ箱に向かって投げる。綺麗なまでに、上に凸の放物線をそれは描き、四角のごみ箱に吸い込まれた。




「ふう……」


 熱くもなく、かといって温いわけでもないその湯に身を委ねた。溢れ出た湯が音を立てて排水口へと向かっていった。


「本当に黄乃はどうしたんだろうか」


 今日、純粋に生まれたその疑問が、浮力によって重力から若干解放されたその身体にこびりついた。


 湯気で視界が曇る中、俺は思索に全神経を集中させた。


 いや、これには語弊があるだろう。なぜなら――


「入りますよ」


 ガチャリという扉が開く音とともに聞こえたその言葉に即座に反応できたからだった。


「なっ、黄乃!?」


 反射的に入口に向いた視線が捉えたのは、湯気で視界を軽く奪われているとは言え、確実に確認できたであろう一糸纏わぬ黄乃だった。


「おまっ、なに入ってっ!?」


 と、即座に視線を他方へと逸らす。それを見て、彼女は理解できていないような、しかしながら悪戯気な声で言ってきた。


「入っちゃダメなのですか? それとも」


 見えていないが、確実に、確定的に見下したような笑みを浮かべているであろう黄乃から更なる言葉が発せられた。


「私と入ることに、なにか不都合でも?」


 不都合が無いと言えば、きっと嘘になるだろう。しかし、そこに用意されていた退路は、更に付け足された言葉によって断たれた。


「言葉が遠回しでしたね。ようするに、齢が9つも下の世間的にはいわゆるロリと呼ばれるものに対して性的興奮(そのような感情)を抱くとでも言うのですか?」


 ああ、どうしてだろう。


 なぜ、この世界にはロリコンという言葉が出来上がってしまったのだろう。


 この瞬間、俺はこの言葉を酷く怨んだ。


 さて、考えてみよう。ここで肯定してしまえば、ロリコンとして認定されてしまうが、更なる理由の提示は要求されない。


 しかし、否定してしまえば、そこにはそれを裏付ける、というよりかは、先ほどまでの俺の行動を肯定できるような理由(いいわけ)を要する。残念ながら、今の俺にはそれが無い。


 なら、(だんま)りを決め込めば? その場合のシミュレーションを完成させる前に、俺の行動は彼女によって確定させられてしまった。


「反論が無い。と言うことは別に問題が無いと言うことですね。では」


 彼女はそう言いながら、湯がいっぱいに入った浴槽へと足を侵入させた。もうすでに狭い状態だった浴槽には隙間がほとんどなく、彼女の入る隙間を作ろうとしたが、先ほどまで思索に入っていた俺の反射神経はそれに反応しきれずにいた。


「気持ちいいですね」


 そうすれば、必然的に黄乃が俺の上に乗る形たちになった。彼女の頭が俺のことを背もたれと言わんばかりに体重を預けてくる。


 ここまで来て、俺はやっと気がついた。


 完璧に、嵌められた。ここまで彼女は読んでいて、俺は全て彼女の小さな手のひらの上で踊らされていただけだった。ということだ。


 彼女のこの行為の目的はわからないが、とにかく、嵌められたのだった。


(全く、敵わないな……)


 俺は力なく笑った。そして、


(理性、保てるかな……? いや、保たないとな……)


 ここでロリコンと認定されるのは心外である。更に言えばそれをネタに、ずっとからかわれ続けるだろう。それだけは嫌だった。


「どうかしましたか? 龍弥」


 絶対にこの状況を楽しんでいるであろう言い方で彼女は言った。振り向きながら言っていた彼女の表情には、どこかいつもとは違う何かがあった。


 本当に、どうしたんだろう。


「いや、なんでも無い。大丈夫だ」


 そうとだけ彼女に告げた。見間違いだろうか。それとも暑さのせいだろうか。


 彼女の瞳が僅かに潤んでいる気がした。

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