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#31 忘却少女は約束する

「とお……のくん? 遠野くん? 遠野くんなの?」


 私は目の前にいるその人に、繰り返し確認を取ろうとする。


「ああ。遠野だ。どうした?」


 遠野くんだ。遠野くんだ……


「遠野くんっ! 遠野くん。遠野くん。遠野くん……ひっぐ」


 私は思わず彼に抱きつく。自然とこぼれてくる涙なんて止められる気がしなかった。


「おい、どうした? いきなり」


 遠野くんが私の顔を覗き込んで聞いてきた。涙で視界が歪んでハッキリと見えないけれど、遠野くんだ。


「だって、だっでもう会えないがど(おぼ)っだんだぼん。遠野(どおの)ぐんの家の場所(ばじょ)(ばず)れじゃったし」


 泣いているせいか、鼻声でしっかりとした発音ができない。

 拙い言葉だったので伝わっているか心配で、伝わっていることを願っていると、遠野くんは軽く息を吐いて優しく語りかけてくれた。


「なに今生の別れみたく言ってるんだよ。別に2学期になりゃまた会えるんだし、家の場所忘れたって、俺、お前に連絡先渡したろ?」


連絡先(でんだぐさぎ)……?」


 未だ鼻声の抜けない声で私はそう聞いた。


「そう。最初に渡した紙に書いてあったろ?」


 ここにその紙は無いし、色々なことを記録するためのノート(いつものアレ)もここには無い。でも、遠野くんが嘘をつくとも思えないし、この言葉が本当だとしたら……


 私、本当にバカだなぁ。


「おーい、葵? もう済んだか?」


 遠野くんの後方から男子の声が聞こえてくる。私は僅かに歪んだ視界にその姿を含ませる。


「あー、橘さん。久しぶり」


 えっと……誰だっけ。知っている気はするんだけれど。


「蓬莱 隆俊だ。お前はいつも蓬莱くんって呼んでいた」


 遠野くんがその蓬莱くんという男子と、その隣の女子の2人に悟られぬようにボソッと私の耳元で呟いた。


「ついでだが、隣の女子が灰原 紀香。灰原さんってお前は呼んでいた。大丈夫か?」


 遠野くんの耳打ちに私は小さく頷いた。


「蓬莱くん、灰原さん……久しぶり……」


 そう言うと、2人は嬉しそうに笑っていた。


「そうだ。橘」


 遠野くんはそう切り出した。


「なあ、海に行かないか?」




「海? 突然どうして」


 そして、後ろの2人はなぜかとても驚いた表情で彼のことを見ていた。


「えっと、舞綾は覚えてるか? あと啓太」


 私は記憶の中を必死で探してみる。なんとかそれらしき記憶を見つけることには成功した。


「えっと、小学生の妹さんと弟さん?」


 私がそう聞くと、「そうそう」と、彼は肯定した。あの時舞綾ちゃんに言われたことが印象的で、辛うじて覚えていた。


「で、舞綾がな、と言っても行きたいって言いだしたのは俺の1個下の美弥なんだけれどな」


 彼は後ろの2人など気にせずに続けていた。


「で、その美弥が海に行きたいって言い出してな、舞綾がお前と一緒に行きたいって言い出したんだが、どうだ?」


 海か。きっと行ったことはあるのだろうけれど、記憶にない。


「まあ、俺の家族もいるから別に断ってくれても構わないんだが」


「行くっ!」


 気づいたときには返事をしていた。少し食い気味だったかもしれない。

 思い出は、確かに失ってしまうかもしれない記憶ではあるだろう。


「行きますっ!」


 失ってしまえば悲しくはなるだろう。でも、それらの恐怖心を上回る、


「絶対に行きます!」


 期待と好奇心が、私にそう決断させていた。

 もう数分前のことなど忘れていた。




「ねえねえ、好都合じゃない?」


「そうか? だって葵の家族もいるんだろ?」


 突然、灰原さんと蓬莱くんとが話し始めた。いったいなにのことやらわからない。


「なんだ、お前らも海に行くのか? 家族って言っても俺の両親はいないぞ? なんなら一緒に行くか?」


 遠野くんはそう言うと、表情を一切変えずに返答を待っていた。蓬莱くんはというと、指を折り曲げながらなにかを数えていた。


「たしか、葵の妹と弟が5人、葵、俺、猿、橘さん、氷空、それから|氷空の言ってた1人《どうせきっと氷空のお姉さん》。合わせて11人か」


 行っている途中で、隣から「猿って言うな」という、低めの声が聞こえていた。


「あー、大所帯で面倒なら構わないぞ」


 遠野くんはそう言うが、灰原さんはそれに対してすかさず言った。


「遠野も橘さんも一緒に行こうよ。な?」


「まあ、今日は誘いに来たわけだしな。人数が増えるのは予定外だが、まあ、構わんだろう」


 蓬莱くんがそう続けた。「なら、一緒に行くか」遠野くんはそう言った。




「や、や。やったよ。つ、ついに……」


 両手でスマートフォンを丁寧に持って、腕から先をカタカタと震えさせながら彼女、灰原さんはそう言った。


「遂に手には入った! 橘さんの連絡先ー!」


「そんな大袈裟な」


 そう言いながら、私はクスリと笑った。


「じゃ、じゃあ詳しいことはこれで連絡するから!」


 両手をブンブンと上下させながら、彼女はスマートフォンを強調した。強調の方法を間違っている気も、飛んでいきそうな気もしなくはなかったが、敢えて言わなかった。


 そして、案の定、


「あっ、スマホー!」


 彼女の腕が頭の真上程度にやって来たとき、勢い余って彼女のそれは後ろ向きに飛んでいった。その軌道は、見事な放物線を描いていた。

「ったく、ちゃんと持っておけ」


 蓬莱くんは、そう言いながら手を少しばかり前に出した。スマートフォンは、その手に吸い込まれるかのようにして彼の手に収まった。


「ありがとう。橘さん、じゃあ、そろそろ帰るね。海、楽しみにしてるね!」


 言いたいことがいっぱいいっぱいなのだろう。文法的に伝わりにくい箇所もあるが、とりあえず言いたいことは分かった。


「うん! じゃあね!」


 そう言ったときだった。

 突然、私の耳に転がり込んだその言葉に、


 私の背筋は一瞬凍りついたかのように思えた。




「きちんと食事摂って、きちんと風呂に入って、きちんと寝ろよ?」


 その、なにげなく放たれたようなその言葉。特筆何か特別な事を孕んでいるようにはとても思えないその言葉に、私は酷く戦慄した。


 まるで、思考を見透かされているような。どちらかというと、私の行動を見透かされているような。


 そして、突然、遠野くんが顔を近づけてきたと思うと、今度は耳元で、小さな声が聞こえた。


「心配かけたんじゃないか? ちゃんと謝っておけよ」


 そうとだけ言うと、彼は顔を離し、灰原さんらの方へと顔を向け、歩いて行った。私はと言うと、なにも言えず、ただ、立ち尽くすだけだった。


「お前、食事に風呂に睡眠って、母親かよ」


 灰原さんが面白がりながらそう言った。


「ま……」


 私はやっとのことでその言葉を捻り出した。


「また、今度」


「おう」


 私の言葉に遠野くんが即座に答えてくれる。


「じゃあねー。橘さん! 電話でいろいろ伝えるから待っててねー!」


「猿、騒ぐな」


 そのやりとりに、固まりきっていた私の頬が少し緩んだ。

 私はその場に立ったまま、彼らが視界の先に消えてゆくまで私はそこに居た。


 私は玄関のドアに向き直り、深呼吸をしてドアノブに手をかけた。

 ドアを開くと、そこに居た女性に私は言った。


「心配かけてごめんなさい」


 そこで、「ゆ」と言いかけて、私はやめた。少し考えた後に私は言った。


()()()()


 そこに居た彼女は、その言葉を聞いて、その場でただ、泣き崩れてだけいた。


 ポケットの中のスマートフォンには、新たに3つの連絡先ものが登録されていた。




   ***




 プルルルルル、プルルルルル。


 無機質に鳴り響くその音に私は目を覚ました。


 とは言っても、無理やりに起こされたせいか、意識が全く覚醒しない。


 周囲を見回すと、隣では龍弥がぐっすりと眠っていて、とうていコール音で目を覚ましそうにはなかった。


 とはいえ、現在の時刻は3時過ぎ。こんな時間帯に電話してくるような相手には少しばかり興味はある。


 固定電話のディスプレイには、全くもって見たことのない番号が表示されていた。お互いに知り合いの少ない私たちは、もはや互いの連絡を取るような人の番号くらいは記憶している。


 つまり、私たちの知り合いである可能性は極めて低い。


 私はしつこくコールしてくるその電話の受話器に手をかけた。龍弥宛の電話か、或いは私宛の電話か。


「はい、もしもし。こんな常識外の時間に一体なんのご用で」


 少しの皮肉を込めて私はそう言った。しかし、相手側はそんなことを気にしない様子で受話器越しの言葉を届けた。

 不躾な時間帯の通話の割に丁寧な口調のその言葉が、私の鼓膜を震えさせた。


「単刀直入にお伺いします。―――様でいらっしゃいますでしょうか」


 淡々と告げられたその言葉に、それまで寝ぼけていた私の意識は一気に鮮烈さを帯びた。覚醒なんて比ではない。戦慄した、と言っても間違いではない。


 少しの焦りと、多大な怒りを含んだ声で、私は受話器に叫び込んだ。


「違います! ()()です!」


 そうとだけ言うと、私は受話器を叩きつけるようにして通話を切断した。さっきの叫び声で龍弥が起きていないかを少し心配したが、問題はなさそうに思えた。


 私は痛む頭に手を当てながら歩いて行った。自分の寝床を通り過ぎ、龍弥が眠っている布団へと潜り込んだ。


 明日の朝、きっと龍弥はまた焦るだろうな。少し後ろめたい気持ちになりながらも、今はそうしたい衝動を抑えられなかった。


 龍弥は横向きになって眠っていた。上側になっている右腕を、起こさないように気をつけながらそっと持ち上げ、そこに出来上がった空間に身を入れた。


 周りを別の体温に包まれる。不思議と安心できた。


 私は彼に抱きつく形で眠ることした。きっとその方が明日の朝、面白い反応が見られるだろう。

 私の短な腕では、彼の身体に回しきれないが、触れられる極限まで彼に抱きついた。


 温かな身体に触れていると、睡魔がだんだんと脳を浸食してくる。


 おやすみなさい。龍弥。


 私はそこで意識を手放した。

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