#29 忘却少女は制止を振り切り外出する
「じゃあ、俺は夕食の支度してくるから、わからないことあったら印かなにか付けておけ。夕食の後で見てやるから」
俺がそう言いながら立ち上がると、舞綾と啓太が元気よく返事をしていた。台所からは5人の様子が見られる。
和気藹々としている小学生の3人と、死屍累々としている中学生の2人。その対比がものすごくわかる。
というか、テンションが全くもって違う。
そんな様子を横目に、俺は冷蔵庫から牛肉の細切れ肉を取り出す。それに続いて野菜室を開け、人参とキャベツ、トマトを取り出す。
食品庫からカレールウとジャガイモ、玉葱を取り出す。今日はカレーライスとサラダだ。
そういえば隆俊が少し前に「カレールウってのは日本独自の物だ」って言っていた気がする。まあ、だからといってなにが変わるわけではないんだけど。
リビングでは先ほどと変わらない5人がいた。変わったことと言えば、きっと開いているページが変わったことだろう。
***
「そうだ。外へ出よう」
私は思いついたかのようにしてそう言った。「ゆ、優奈!」と、目の前にいた女性が制止をする。
しかし私はそれを聞かずに座っているイスから立ち上がり、リビングのドアから出るためにドアノブに手をかけた。
「優奈! 私も、お母さんも行くから!」
後ろからそう言ってくる。私はその言葉を聞いて後ろを振り向く。きっと耳を傾けたことに安堵しているのであろうその表情に私は無機質に言い放つ。
「必要ないから。大丈夫」
これ以上ついてこられては面倒と感じた私は勢いよくドアを開け放つと、そのまま玄関までダッシュする。きっとリビングではあっけにとられた表情をしているだろう。制止の声すら聞こえなかった。
靴下のまま外に出ようとしかけて、私は慌てて靴を履いた。そのまま玄関のドアも開け放つ。
そうだ、私は今から探しに行くんだ。
「犠牲を……犠牲を探さなきゃいけないんだ」
目尻から耳に向かって冷たい物が伝った気がした。
それでも、探すしかないんだ。
失わないためには、犠牲を探すしか。
無駄な足掻きかもしれないけれど。
***
「お、終わったあああ」
深夜の3時、静まりかえった部屋の中で疲れ切った声色のその言葉はやけに目立って聞こえた。
「お疲れさま。美弥」
俺はそう言いながら紅茶を彼女に出す。夏ではあるが暖かい紅茶の方が今の彼女には良いだろう。もちろん、ノンカフェインの物を選んだ。
口の先を細めて立ち上る湯気を貫いて、彼女の息が紅茶に吹きかかる。水面を揺らして映っていた景色が壊れていく。
「それにしても、よくやったな。この短時間で」
それも、答えを一切見ずに。そう言いながら俺は去年の彼女をい出した。そういえばラスト1日で全て終わらせていたな、こいつ。
「さて、どこへ行きたい?」
俺はそこにいた彼女にそう尋ねた。美弥は即答で「海!」と答えていた。
「だから、どこの海に行きたいのかって聞いてるんだよ」
俺は笑いながらそう言った。悩む様子の彼女に「まあ、とりあえず寝てこい。宿題は終わったんだからゆっくり考えればいい」と言う。時間も十分にあることだし。
すると彼女は元気よく返事をするとパタパタとスリッパの音を立てて階段を駆け上る音がしていた。
「さて、俺も寝るか」
美弥が飲んだ紅茶のカップを洗い終わって俺はそう呟いた。タオルで手を拭き、自室へと向かおうと台所から移動しようとしたその時、突然鍵の開く音がした。
「うにゃぁ……ただいまぁ……」
一瞬警戒したが、その声によってすぐにそれは解かれた。
その気の抜けた声とともに、ドサッという倒れ込むような音がした。俺はその音のする方向へ向かった。そこには自分の予想していた人がいた。
「母さん。寝るならベッドの上で」
俺はうつ伏せになっている母親にそう言った。母さんは「哲也ー?」と言った。哲也というのは父親の名前だ。
「父さんは今は出張だろうが」
寝ぼけているのか、完全に体の力が緩みきった様子で笑っている。俺はため息をついて母さんに言った。
「飯、なにか作ろうか? 簡単にだけれど」
寝ぼけたままの彼女をゆっくりと立ち上がらせ、食卓へと誘導する。俺は再び台所に立ち、軽く料理を作る。
机の上に突っ伏して夢の中の母親を見て、料理の粗熱が取れるまで待ってみた。
それでも起きない様子の彼女を見て、俺はすっかり冷めた料理にラップをかけ、冷蔵庫に入れた。彼女の背中にソファの所に置いてある毛布をかけ、メモ代わりの紙切れにメッセージを残して自室へと向かう。
なにか寝言が聞こえた気がしたが、気にしなかった。
朝、目が覚める。まだ少し眠たいまま俺は階段を降りてゆき、リビングの扉を開く。
「あ、食べたんだ」
数時間前に用意して冷蔵庫に入れていた母さんの食事は既に全て食べられ、そこには机にただ食器だけが置かれている。
「また仕事か。身体を壊さなきゃいいけど」
定型文をなぞるようにして、誰もいない部屋に対して、俺は無機質にそう呟いた。
俺は暫くしてキッチンへと向かう。
適当にパンを漁ると6枚切りの食パンを見つける。オーブントースターでは同時には2枚までしか焼けないので、とりあえず2枚取り出す。
オーブントースターの網の上にそれを置いたことを確認するとオーブントースターを閉じる。
そのまま手を動かしてつまみを回す。適当なだけ回すと手を離す。次第に電熱線が赤い光を帯びてくる。俺はとりあえずオーブントースターから目を離す。
冷蔵庫から5個の卵と適当な量のウィンナーを取り出す。フライパンにサラダ油を入れ、コンロに火を付ける。
後ろではオーブントースターが稼働している音がしている。
フライパンを温めている間、ボウルに卵を割り入れ、かき混ぜる。塩と胡椒も忘れずに入れる。
そのうちにフライパンから視認できるほどの油煙が立ち上る。俺はそこに卵液を流し入れた。
ジューと、いい音がしたのを確認すると、流し込まれた卵液をかき混ぜる。そんなとき、後ろからチンというベルのような音がした。どうやら食パンが焼けたようだった。手元を見ると、卵液も固まりだしていた。
あらかじめ用意しておいた6つの皿に黄色と白色の入り交じったスクランブルエッグを分け入れる。
ついでに先ほどのパンもそこに入れておく。さっきと同じようにしてパンを再びオーブントースターで焼く。その間に今度はウィンナーを焼く。
そんなこんなで結局6人分の食事の準備が終わった。しかしまだ誰1人として起きてきていなかった。俺は仕方なく冷めないうちに六枚すべてにマーガリンを塗っていた。
***
さて、どうしたものだろうか。昨日はあの後迷子になってしまって、夕方頃になんとか家に辿り着いた。
「でも、本当にこの期間になっちゃったんだな……」
家に辿り着いてから、私は一瞬気絶したような感覚を覚えた。そう。そのときそれが私に起こったのだ。
「やっぱり念のために犠牲を集めておいて良かったのかもしれない。でも……」
身体がそろそろ悲鳴をあげ始めている。やはり回避するにはこうするしかないのだが、やはりこのように不意に気絶してしまったりしたときのために保険として犠牲は集めておいた方が良いのだろう。
私はスマートフォンのメモ帳に刻まれたそれを見て呟いていた。
「優奈……朝ごはんよ……」
力の無い声で私は呼ばれた。眠気の取れない瞼を上げながら私は声のした方向へ向かった。
今日も、集めに行こう。犠牲を。
忘れるという行為はひどく恐ろしいもので。
やはりすっかり忘れてしまっていたその存在に、私は微塵も気づかないままで。
***
「ごちそうさまでしたー!」
舞綾がそう言って手を打ち合わせる。手を離していすから降りると食器洗いをしている俺の所に皿とフォークを持ってきてくれた。
「葵お兄ちゃん。これ」
「ありがとな。舞綾」
俺がそう言いながら受け取り、食器洗いに戻ろうとしたその時、舞綾の口から疑問がこぼれた。
「ねえ、お兄ちゃん。海行くんだよね?」
彼女のその言葉に俺は首を縦に振った。
「この間のお兄ちゃんのお友達のお姉さんも一緒に行くの?」
無垢な笑顔でそう聞いてきた。俺はその言葉を聞いて初めてその選択肢を持った。
「考えてもいなかったな。舞綾は行きたいか?」
「うん! 私、あのお姉さん好きだし、たくさんの人で行った方が楽しいし!」
彼女にそう言われて俺は少し考えた。彼女ならくるだろうか? しかし、ここまで遠野家ばかりの中に入っていくというのもなかなか難しいのかもしれない。まあ、聞くだけ聞いてみればいいか。
「なら、誘ってみるか。っと、その前に」
俺はそう言って最後の食器を洗い終えた。蛇口を閉めて、近くにあるタオルで手を拭いた。
「なあ、美弥。人数増えても良いか?」
リビングで寛いでいる海に行くことの提案者である彼女にそう聞いた。美弥は身体をゴロッと転がせてこちらを向いて、「いいよー」と言っていた。
その言葉を聞いて俺はポケットに入れているスマートフォンを取りだした。そして画面を操作して――。
「忘れてた……」
「どうしたの? お兄ちゃん」
思わず思った事が口から出てしまっていた。
「いや、なんでもない。まあ、とりあえず俺は出かけてくるから、留守番頼むな」
俺がそう言うと、舞綾は元気よく返事していた。
俺の連絡先は渡したけれど、橘の連絡先を貰うのを忘れていた。手間や時間はかかるけど、とりあえず家まで行くしかないか。




