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#2 少女は教室が怖いらしい

 朝の早い時間帯。窓の外にはグラウンドで朝練を行う生徒が米粒のようにまるで小さく見えた。


 教室の中には私と遠野くん。それから蓬莱くんがいた。


 朝の早い時間帯。静かな教室には外から入ってくる管楽器の音だけが鳴っていた。




   ◇◇◇




「おはよう」


「……おはよう」


 朝、学校に行くと、昇降口で1人の少年が挨拶をしてきた。私は少し警戒しながら彼に返していた。


 本当に、そうなのだろうか。


「俺の名前、わかるか?」


 彼は突然質問をしてきた。名前……本人であれば、大丈夫。朝、見た紙に書いていた。それにたしかに何となく初対面ではない気がしないでもない。いや、どうなのだろうか。


「わかりま――」


 そこまで言って、止まる。そうだそうだ。忘れちゃいけない。


「わかる。遠野 葵。遠野くん。よろしく」


 敬語禁止。紙に書いてあったことがそうだった。

 私は今からこの遠野くんと一緒にクラスに……


「ねえ、やっぱりやめない?」


 私はそう聞いてみた。

 やはり、自信がない。寝たらなにもかも忘れてしまう。こんな自分がクラスに行けば迷惑ではないのか。いつも考えてしまうことである。


 そしてその疑問には即座に自問自答で答える。ほぼ確実に迷惑だろう。


 そうだ。きっと昨日は私に同情をして迷惑ではないと言ったのだろう。昨日の記憶はないけれど。


 しかし、遠野くんはこれを許さなかった。


「はあ? 今更なに言ってるの? 行くよ」


 そう言って彼は私の腕をがっしりと掴み、連れて行こうと引っ張る。それに私は精一杯の抵抗をする。

 ただまあ、男子と女子の力の差。さらいに言えば私なんて力なぞ下手すれば年下の子供にさえ負けかねる。


「抵抗するなよ。早く行くぞ」


 遠野くんが引っ張る力を強める。と、その時だった。




 きっと場所が悪かったのだろう。登校時間より随分と早めに来て、人が少ないとはいえ、人はいるにはいる。さらに、よりによって場所は昇降口。人が普通に出入りするこの場には、当然の如く人が訪れる。このときもそうだったのだろう。


 少年が1人現れたのだ。


「あ、あ、葵……葵がっ!」


 片手にゲーム機を持ったその少年は葵を指さして、言った。


「葵がっ、女子をっ! 襲ってるっ!?」


 興奮気味のその声から、今の自分たちの状況が、周りから見るとどのように見えるかを理解した。

 男子生徒が抵抗する女子生徒の腕をつかんで連れて行こうとしている。確かに、そのように見えるのも仕方ない。


 それなのに、遠野くんは、今、正に良くないレッテルが貼られそうになっているにも関わらず至って冷静なようで、「いや、違うから」と、落ち着いて言っている。


「いや、これのどこを見て違うと言えるんだ?」


 少年のその質問に私は心の中で返答をする。


 ごもっともである。いくらなんでもこれは間が悪い。






「ようするに、葵が橘さんをクラスに連れて行こうとしていたってことか?」


 遠野くんと一緒に頷く。それに対して少年はため息をつく。随分と呆れられているようだった。


「もう少し普通な連れて行き方とかなかったのか?」 


「いや、突然嫌とか言い出すから……」


 遠野くんの言い訳に、少年「はぁ……」と、またため息をついて私に言ってくれた。


「ごめんな、橘。こいつ根は良いやつなんだけど、ちょっとずれてて」


「いえ、それはいいんですけど……すみません。誰ですか?」


 少し躊躇ったが私がそう聞いてみると、少年は一瞬驚いたような顔をして。でも、すぐに納得したようで優しい声色で答えてくれた。


「まあ、来てない訳だし、覚えてなくて当然か」


 ギシッと心の中でなにかが(きし)んだ。

 違う。そうじゃない。でも、伝えたらきっと、距離を置かれてしまう。昨日は問われたから言ったけど本来ならきっと……




 あの時みたいに。




 昔のことを思い出してしまい、答えられないままでいたとき、隣から声がした。


「いや、そうじゃなくてな、こいつはちょっと物忘れが酷いみたいでさ。まあ、それもあって俺が迎えに来たんだが」


 遠野くんが上手い具合に誤魔化しつつ、話題をそらしてくれた。

 まさか、本当に迷惑だと思っていないのだろうか。


 いや、そんなことは……


「なるほど。で、行くのを嫌がったので腕をつかんで連れて行こうとしていたわけか」


「さっきからそう言っているだろう」


 声のトーンを変えないまま、遠野くんはそう言った。


「じゃあ、俺は先に行ってるから。落ち着いたら来なよ」


 彼はそう言って先に教室へ向かった。少し離れたころ、彼はくるっとこちらを振り返り、そして言った。


「忘れてた! 俺の名前は蓬莱 隆俊だ。よろしくな、橘さん!」


 彼はそう言うと、今度は本当に行ってしまった。


 横からは遠野くんの声が聞こえてくる。


「な。そんなに難しく考えなくても、きっとクラスは受け入れてくれる」


「そう、だね」


 遠野くんは、どうしてここまで気にかけてくれるのだろうか。どうしてここまでしてくれるのだろうか。






 人気の無い教室には、人が3人いた。私と遠野くん、そして蓬莱くん。


 窓際にある私の席からは外の様子をうかがうことができ、運動部がせわしなく動いている。


 教室に人が来る気配はまだない。登校時間まではまだ数十分以上ある。

 なぜ、遠野くんがこんな早い時間に来るように言ったのかはわからない。


 前の席にいる遠野くんが私の方を見て言った。


「笑えよ。顔が怖くなってるぞ」


 無意識に顔が怖くなっていたらしい。そう思い、とりあえず笑顔を作る。


 正直な話、今、すっごく怖い。

 眠ってしまえば忘れてしまう。忘れてしまえばみんなに迷惑をかけてしまって、それで……


 そうすれば、あの時みたいに。


 定着ししまえば覚えていられる。良い記憶も、悪い記憶も。




   ***




 橘の顔が暗くなってきた。

 きっとまたいらない心配をしている。


 眠ったら忘れるということの大変さは俺には分からない。


 ただ、彼女にこのような顔をさせるほどには大変なのだろう。

 そうこう考えているうちに教室の扉が開いた。


「おはよう。……って、橘さん!?」


 教室の中に入るや否や彼は声を荒げた。


「お、おはよう……ございます」


 橘が少し怯えつつも挨拶をすると、彼は嬉しそうに笑いながら橘のもとへ来た。


「ひさしぶりっ!元気だった?」


 彼は新しい物を見つけたか子供のように彼女のことを見つめた。それに、橘は怯えて少しのけぞる。


「あー、黒崎。橘が怯えてるからやめてやれ。あと、自己紹介してやれ。それから先に言っておくが、橘は少し他人の顔や名前を覚えたりするのが苦手でな。忘れてたり、分からなさそうにしているときはもう一度教えてやれ」


 俺がそう言うと、彼は理解した用で、言った。


「俺は黒崎!黒崎(くろさき) (たくむ)だ!好きなものはおっぱ――」

「女子の前でやめろっ!」


 刹那、俺の拳が黒崎を吹き飛ばしていた。その様子を見ていた隆俊はケラケラと笑っていた。

 まあ、自業自得だが。


 殴り飛ばされた黒崎がひょこっと顔を上げて言った。


「橘さんは何カップ?」


「もう1回されたいか?」


 そう問うと、黒崎は目をそらして「す、すいません…」と言った。


 教室の扉が開く音がした。


「おはよう」


 彼女、灰原が前の入り口から入ってきた。すると次の瞬間、


「たたたたっ……たちっ……」


 おそらく橘を視界に入れたであろう灰原は、カッと目を見開き、謎の言葉を発しながら入り口で立ち止まっていた。


「おい、邪魔だ猿。どけよ」


 灰原が立ち止まっていると、飲み物を買うために外へ出ようとしていた隆俊がゲーム片手に言った。


「んだよ、隆俊。お前がどけよ。レディファーストって知らねえのか?このゲームバカ」


 フンッと、息を正して、そう言った。少し高慢気味。


「知ってるが、猿のメスにまでレディファーストをする気にはなれねえな」


 始まった。いつも通り。


「はあ? 誰が猿だよ」


「今さらかよ。まあ、説明してやるなら、俺の目の前のやつ」


 この二人はよくケンカをする。まあ、これが隆俊の優しさなのかもしれない。


「てか、後ろを使えよ」


「てめぇがな。猿」


 橘を目の前にして、緊張して混乱している灰原の緊張を解そうとしているんだろう。きっと。

 なせそう思ったのか。理由は隆俊がさっき後ろから出かかっていたから。

 わざわざ前から出ようとしていたから。だ。


 そんなこんなでどうにかお互いが出入りしたところで灰原が橘の所へ駆け寄る。


「橘さん、久しぶり!」


 随分と緊張は解れているように思えた。


 灰原に橘が顔と名前を覚えたりするのが苦手だということと、忘れていたら教えてあげて欲しいと伝えて、しばらく経った。


 どんどんと人が入ってきて、橘と話していた。


「もう、大丈夫かな」


 そう、小さく呟いて、俺は席を外した。


 橘は少し不安げな顔でこちらを見たが、手をひらひらと振り、大丈夫だから安心しろ。と、伝えた。伝わっているかはともかく。


 心配なんて必要ないんだよ。安心しろ。心の中で呟いた。

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