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#25 忘却少女は喪失する

「見ろ、舞綾! 葵兄がっ、女の人を連れ込んでる!」


 突然に発せられたその言葉に私はやっと収まった赤面が復活したことを自覚した。「啓太、舞綾、おかえり」と、遠野くんが2人に向かって言った。

 酷く反応している私とは違って、遠野くんは一切気にしていないようだった。前から思ってたんだけど、遠野くんってこういうの慣れてるのかな。


「手、洗ったか?」


 遠野くんがそう聞くと、2人は自慢げに「うん」と言って、胸を張って見せた。


「お兄ちゃん、その人誰?」


 舞綾と呼ばれた女の子が遠野くんに聞いた。遠野くんは、「この人はな」と言って、クラスメートであることを説明していた。私はそれに合わせて軽く会釈した。


「じゃあお姉さんは高校生なのかー」


 そう言われ、私は「そうだよ」と答えた。随分と、顔も気持ちも落ち着いてきて、私は笑って彼らを見て話していた。


「じゃあ、お姉さんは、葵兄の彼女さんってやつなのか?」


 突如私の耳に突き刺さったその言葉に、私は思わず吹き出した。頭の中がぐるぐると回って上手く考えることができない。せっかく収まった顔も、おそらく真っ赤だろう。


「別にそんなんじゃないぞ」


 遠野くんはそう言った。少し不満げな声で「なんだー」と言う声が聞こえた。


「というか、2人とも、自己紹介しなよ」


 遠野くんが思い出したようにしてそう言った。私はなんとかして、心と顔を落ち着かせた。まだほんのり赤くなった顔のまま、私は彼らを見た。


「俺は啓太! 遠野(とおの) 啓太(けいた)っていうんだ! ……いいます? 小学生二年生だよです! よろしくお姉さん!」


「私は遠野(とおの) 舞綾(まや)っていいます。啓太の双子の姉です。よろしくお願いします」


 元気なその声たちに、思わず微笑ましくなってしまう。「ところで」と言って、啓太くんが口を開いた。


「お姉さんは葵兄のことが好きなのか?」


 ストレートすぎるその声に私はまたもや赤面させられる。なんとか答えようにも「あ、えっと」と、上手い返答が思いつかない。


「別にそんなことはないんじゃないか?」


 遠野くんがそう言った。「葵兄には聞いてないよ」と、少し怒った口調で啓太くんは言った。ともかく、助かったのは確かなのだが、どこか虚しいような気がする。


 トコトコと、舞綾ちゃんが歩み寄ってきて、私の耳にヒソヒソと、小さな声で囁いた。


「お兄ちゃんのこと、好きなんですよね? 私、応援しますよ」


 小さくもハッキリと聞こえたその言葉に、思わず頓狂な声を出してしまう。


 彼女の顔を見てみると、とても得意げで、そのキラキラとした眼差しは、断ることを後ろめたくさせていた。


「じ、じゃあよろしくお願いしま……」


 そこまで言ったとき、突然何かが飛んできた。


「はいっ! こちらこそよろしくお願いします!」


 舞綾ちゃんが飛びついてきた。彼女はそのまま私に抱きついた。遠野くんの方を見ると、遠野くんと啓太くんは2人して呆然としていた。


「絶対、絶対に叶えましょう……」


 私の背に回された彼女の手に、とても力が入っていることを感じられた。




「じゃあお姉さん、バイバイー!」


 啓太くんが玄関でそう言ってくれた。私は小さくも手を振る。彼の隣では、舞綾ちゃんが「任せて下さい」と言いたげな顔で私を見ていた。

 遠野くんに連れられて扉から出ようとしたそのとき、聞き覚えのない声が聞こえた。


「お、兄ちゃん帰ってたんだ」


 扉の先には遠野くんより10センチメートルほど背の低い男子がいた。その人を見ると、遠野くんは、「ああ」と答えた 

「そっかー。女の子……?」


 どうやら彼は私に気づいたようだった。私は軽く会釈すると、彼は遠野くんに向き合って言った。


「兄ちゃんの彼女?」


「違う」


 もはやデジャブを感じるそのやりとりに少し慣れてしまった私がいた。彼は、「そうかー」と言った。


「でも、兄ちゃんが女の子を家に誘うなんて珍しいね。あっ、お姉さん、俺は遠野(とおの) (すぐる)っていいます。電卓の卓ですぐるね」


 彼は、ニッと笑ってそう言った。




「ふう」


 私は鍵をかけた部屋の中、鞄を机の上に置いて、ベッドに腰をかけた。ベッドを上で、今日はいろいろあったなと、思考にふけていた。


「これが恋なのかな……」


 私の脳裏には、それに適合するデータベースが無い。確証は持てないんだけど、なんとなくそんな気がする。

 でも、なにか足りてないような気もするし、仮にこれが恋なのなら、少し嫌だと思ってしまう私もいる。


「あ、忘れてた! 名前をメモしておかないと……」


 私は机の上の鞄からメモ帳を取り出し、名前を記入していった。


「みんな、優しい人ばっかりだったな……」


 弟や妹か……なんとなく、羨ましく感じる。


「ちょっと、優奈、優奈! どういうこと? 開けて! 詳しく聞かせて!」


 扉の外からお母さんの声が聞こえてくる。しかし、私はそれを無視する。


「遠野くんの家に行ってご飯食べてきたって!? 詳しく! 詳しく聞かせてー!」




 時の流れがとても速く感じられた。ついに最終日。明日からは夏休みが始まる。


「じゃあ、ハメを外しすぎないように」


 先生が無気力な声でそう言った。終業式が終わったこの時間では、多くの人物がそわそわとしていた。


「起立」


 いつも通りのはずのその言葉。なのに、この日はほぼ全員がビシッと直立姿勢を決める。もはや「気をつけ」と、言わなくても良いほどである。


「気をつけ」


 どれだけ楽しみなのかが目に見えてわかる。ただでさえ良かった姿勢がさらに整えられる。


「礼」


 その言葉がかかるや否や、元気の有り余る男子たちが廊下へと転がり出た。


「あ、こら! 廊下は走ら……」


 先生が制止に入ろうと廊下に出ても、そこにはもう誰もいなかった。


「それじゃ、また9月」


 彼は、荷物を持つとそう言った。私は「うん。また9月」と答え、彼の背中を見た。私も帰宅の準備をしないと。


「たーちーばーなーさんっ!」


 突然後ろから声が聞こえた。作業をしていた手を止めて後ろを振り返ると、そこには灰原さんがいた。


「いいの? あいつ帰っちゃうけど」


 あいつとはきっと遠野くんのことだろう。私は「うん」と、答えた。


「会いたいと思えば、直接家に行けば良いしね」


 私がそう言うと、「行ったことあるんだー」と、少し驚いた様子で彼女は言った。私は、荷物を詰め終わった鞄を手にして、「それじゃあ、バイバイ」と、彼女に、彼女たちに声をかけた。灰原さんを見守るようにして後ろに立っていた彼にも。


 でも、なにか忘れている気がするのは、なぜだろうか。




 私は家について、自室の机に置いてあるメモ帳を見た。数日前、私が遠野くんの家に行った日の記憶がそこにはあった。


 なにを食べたか。なにをしたか。なにを見たか。そして、誰に会ったか。ここまで見てきて、私はあることに気づいてしまった。


「あれ? えっ、あれ?」


 遠野くんの家って、どこにあるの……? 


 私は大急ぎで記憶の中を漁る。無い。メモ帳を見る。書いていない。焦りが2乗に比例するように急激に増加する。


「あれ? あれ? あれ?」


 無い。無い。ない。ない。ナイ。ナイ。ナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイナイ。


 どこを探しても無い。


「う……そ」


 私はいつの間にか、メモ帳を濡らしていた。




   ***




「ついに来たな」


「ええ」


 俺たちはその場で歓喜の声を上げかける。近所迷惑になるので、すんでの所で止めた。


「夏休み。あいつらの視線を気にすることがない」


「私も学校に行かないことを気にせずに済みます」


 感覚を共有できたことに嬉しさを感じ、黄乃を抱きしめたくなるその気持ちをなんとか抑えて俺は言う。


「なあ、黄乃。せっかくだし、どこか行きたいところとか欲しいものとかあるか?」


 俺はそう聞いてみた。せっかくの夏休みだし、できることならしてやりたい。


「私ですか? そうですね……」


 黄乃が少し考え込んだ。


「私は龍弥が欲しいですね」


 考えの遥か斜め上を行くそのセリフに、俺は思わず吹き出してむせ返る。ゴホッ、ゴホッと咳き込んでいる俺の隣で、「嘘です」と、彼女が告げた。


 そんな心臓に悪い冗談はやめて欲しい。割と真面目に。


「私は龍弥の行くところについて行くだけですよ」


「…………そうか」


 どうやら予定はすぐには決まりそうになかった。

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