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#24 忘却少女は招かれる

「帰らないのか?」


 突然聞こえてきたその言葉に、私は思わずドキリとしてしまう。振り向くとそこには遠野くんがいた。


「あ、えっと、そろそろ帰ろっかなーって思ってた所」


 私はそう言った。しかし、さすがに不自然すぎたろうと、自分で自覚して、続けた。


「たしかに、帰ろうとは思ったんだけどね……今日が午後カットって知らなくて……その……」


 私の中に巣くう欲望に、後ろめたい気持ちでいっぱいの中、私はそう言った。すると、彼は「なら」と言って笑顔になった。


「俺の家に来て食べるか? どうせ家に誰もいないんだし」


 なんでこんなに優しいんだろう。想定していた最高の状況に心の中で歓喜する。

 私は断る理由など見つけられなかった。






 学校からしばらく歩いたところに彼の家はあった。遠野くんが鍵穴に鍵を差し込んで捻ると、それとともにカチャリという音がした。遠野くんはドアノブを回して扉を開くと「どうぞ」と、私を中へ入るように促した。


 中に入ると、そこは静かな空気が流れていた。私と、私の後ろにいる遠野くんの2人分の音しかここにはない。家の中からは、遠野くんの匂いがして、鼻腔を酷く刺激する。


「上がりなよ」


 彼にそう言われて私は慌てて靴を脱いだ。後ろから「その右の扉の所に入って」と言う声が聞こえた。扉を開くとリビングが広がっていた。

 中に入って、どうすれば良いかわからない私はあたりをキョロキョロ見回していた。その様子を見た彼は「適当に寛いでおいて。すぐ作るから」と言った。


「そ、それは悪いよ。私も手伝う!」


 私は慌ててそう言った。しかし彼は少し笑って「いいよ。橘はお客さんなんだから」と言ってキッチンへと行ってしまった。

 寛いでおいてと言われても、鼻腔が過剰に反応しすぎて、落ち着いていられない。




「い、いただきます……」


 私はそこに並べられたごちそうを前に緊張しながらそう言った。「何緊張してるんだよ」と、彼入って目の前の席に座った。


 並べられた料理を私は口に運ぶ。口に含んだ瞬間、私はなんとも言えない幸福感に包まれた。言葉にしがたいその幸福感を、あえて言葉にするならば、この言葉に限る。


「おいしい……」


 むしろ、それ以外の言葉が見つからない。私が悦に入っていると、目の前で「そうか」と言って遠野くんがまた食事を再開する。私も続きを食べ始めた。


 それのおかずも、このおかずも。なんなら白ご飯さえおいしい。私は感無量の言葉の意味をかみしめながら、白ご飯を咀嚼する。


「おいしい」




「ごちそうさまでした」


「お粗末様でした」


 彼はそう言うと、皿を引いていこうとした。私はその様子を見て、今度こそはと思って、私は彼の手を掴んで動きを止めて、言った。


「片付けは、手伝うから」


「い、いいよ」


 彼はそう言って、断ってきた。ここまでは予想していた。しかし、予想していた分、ここで引き下がるつもりはなかった。


「手伝うから」


 私は少し強めでそう言うと、「じゃあ、よろしく」と、彼は言った。

 というか、咄嗟だったけど、いつの間にか私、彼の手を……


 うわ、なんか凄く恥ずかしい……




 ご飯を食べた後、なんとなく、気まずく感じてしまってしまった。会話を切り出そうとしても、話題が思いつかない。


「そういえばさ、橘には兄弟とか姉妹はいるの?」


 遠野くんが突然聞いてくれた。私はビックリして少し変な声を出したが、すぐに落ち着いて私は答える。


「私はいないよ。遠野くんは?」


「俺は弟が3人と妹が2人。上にはいないけどね」


 彼は笑ってそう言った。「みんな元気だから手を焼くけどね」と言った。そこで私は1つの疑問を持った。私は遠野くんを見て聞いた。


「普段から家事を手伝ってるの?」


 彼にそう言うと、彼は頷いた。


「というか、親が共働きで遅くなるから、普段から俺が家事を行うことが多いな。まあ、そのおかげで橘に弁当を作ってあげられてるんだけどな」


 彼のその言葉に、私は顔を俯ける。顔が真っ赤になっているのが感じられたからだ。


「どうしたんだ?」


 俯いていた私を心配に思ったのか、遠野くんは私の顔を覗き込んできた。近い。顔がとても近くに感じられてさらに顔が赤くなる。でも、「来ないで」とは言えない。


「だ、大丈夫だから……」


 私がそう言うと、彼は少し躊躇ってから私から顔を離してくれた。助かったと、安堵の息を漏らした。顔の紅潮が収まった気はしていないが、とりあえず落ち着くことができた。


「うーん、そういえば、今日は何時に帰るの?」


 彼が突然そう聞いてきた。私は「別にあんまり決まってないな」と言った。それを聞くと、彼は少し考えて言った。


「それなら、なにかするか?」


 私はここまで来てしまって、心の中に少し欲が生まれてしまった。もう少し、いや、できるだけ長く一緒にいたいと思ってしまった私は二つつ返事で肯定した。 


「お邪魔します……」


 私は彼に誘導されるまま、2階にある彼の自室へと向かった。慣れてきたと思っていた彼の匂いがさらに強まり、私はまたもや意識を覚醒させる。どうして彼の匂いにここまで突き動かされるのだろう。


(これが好きってことなのかな?)


 わからない。わからないけど、忘れたくないとは思える。どうして、彼との時間を忘れたくないと思ってしまうのだろうか。


「ほら、入り口に突っ立ってないで、こっちにおいでよ」


 彼が入るように招く。私は脳内が少し朦朧としたまま、彼のもとへと向かう。

 酷く高鳴る胸の鼓動から耳をそらせて。




 しばらくの間、トランプやいろいろなことをして過ごしていると、だんだんと時間が過ぎてゆく。そんなとき、私は彼の部屋であるものを見つけた。


「あ、これ」


 私はそう呟くと、彼はすぐに近寄ってきて私が見つけたそれを見た。近くに彼の存在を感じて私は思わず後ろにのけぞる。「あ、邪魔だったか?」と、彼に聞かれ、私はフルフルと首を振った。


「ほら、これだろ? 見て良いぞ」


 彼はそう言ってその本を渡してくれた。少し埃被ったその本を受け取ると、私は表紙を少し払う。細かな埃が空気中に舞う。


 私は卒業アルバムと書かれたその本を床に置いて表紙を捲った。そこには中学生の頃の彼の歴史が詰まっていた。




「これが遠野くん?」


「ああ、そうだ」


 楽しい。ただアルバムを見て、話しているだけなのに、とても楽しい。「これも?」と聞くと、彼は頷く。それだけなのに楽しい。たくさんの遠野くんがいるけれど、どれも、


「かっこいい……」


「そうか?」


 遠野くんのその言葉に、私は無意識のうちに呟いていたことを自覚する。今日何回目の赤面だろうか。

 そんなとき、突然声が聞こえてきた。


「たっだいまーー!」


 溌剌とした元気なその声に、私は不意を突かれたようにして身体をびくりとさせた。続いて「ただいまー!」という、今度は先程よりかは落ち着いた声が聞こえてきた。


 ドアの閉まる音がすると、下の階から「あれ? 葵兄(あおいにい)どこにいるの?」という、最初の声が聞こえてきた。続いて「2階じゃないの?」と、もう1人の声がした。

 するとパタパタと言う音とともに、2つの足音が階段を上ってきた。遠野くんは「もうこんな時間か」と、呑気に時計を確認していた。


 ドンッと、勢いよくドアが開放される。「葵兄ただい……」と、ドアの先にいた少年が言った。

 声を聞く限り先に帰ってきた子のようだった。彼はそこまで言ってしまうと、「あ、あおいに……あお……」と言ってしまっておどおどとしていた。その様子を見かねてなのか、もう2つの足音が近づいてきて、男の子の隣へと来た。そこにいたのは女の子だった。


啓太(けいた)、どうしたの?」


 どうやら啓太と言うらしいその男子は、女の子に話しかけられ、私たちの方向を指差していった。


「見ろ、舞綾(まや)! 葵兄がっ、女の人を連れ込んでる!」


 彼は私たちに指を向けたまま大きな声でそう言った。


 小学生くらいの体格の彼らがやってきて、静かだった家もそのひとときを境にとても騒がしくなってしまった。

 どうやら、嵐も台風も、突然現れてやってくるものらしい。

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