#18 幼女は授業をする
今朝のこと。
俺と黄乃は登校するや否や、旧校舎へ向かった。
体育祭とはいえ、黄乃を連れて行くことで、その存在がバレてしまうことを防ぐためだ。
「それじゃあ」
「ええ」
そう告げると、俺は体育祭へと向かった。
***
この場所には沢山の過去がある。
というのも、学校での出来事と言えば、ここがほとんどだからなのだが。
龍弥が授業中の間、面倒ごとが起こらないようにと、この旧校舎にある第2数学研究室を準備してくれた。唯一、龍弥に歩み寄り、龍弥のことを理解してくれた先生を顧問にして作り上げた部活の部室である。
旧校舎なんてこんな辺鄙な場所に来るような物好きは少ない上に、数学研究室ときた。さらには、ここには龍弥が訪れる。すると、上手い具合に人が来ない。……一部の人間を除いて。
部活である以上、その部活に誰かが入ってくる可能性を否定することが出来ない。そこで、さらに、部活を多くの人が苦手意識を持ち、なおかつ龍弥が得意とする教科を用いて、【数学研究部】とした。
作った時期も、大抵の人が部活に入りきった後の時期にした。これで、来年、新入生に勧誘を行わなければ人が入ってくることはないだろう。そう、高をくくっていた。
しかし、入ってきた人は去年と今年、合わせて5人いた。現在、2年生の生徒が2人、1年生の生徒が1人、すでに退学した生徒が一人だった。
この退学した生徒、今振り返れば、懐かしい話である。
数少ない、私たちの理解者、上野 穂香……
♢♢♢
「本当に、もう、どうすればいいのか……」
私と龍弥の前には、1人の少女がいた。
「別に退学しても問題ないのなら、退学すれば良いじゃないか」
龍弥はなんの迷いもなくそう言った。
目の前の少女、穂香はとある他人に言えない事情で退学をするかしないかで迷っていた。
別に退学という行為自体に問題はないのだが、退学をすることで、その事情に探りを入れる人物が出てきて、事情がばれてしまうことを恐れている。
「でも、それじゃあ事情を聞かれてしま――」
「ああ、それなら問題ない」
そう龍弥が告げると彼女はキョトンとした顔をした。
「俺に強姦されたことにすれば良い。聞かれたときにそんなことを仄めかすようなことを言って、そういうありもしない事情を作ってしまえば、あいつらはそれで満足する。それに、これだけ濃い内容なら、効果てきめんだろう」
彼女は驚いた表情の中に、不安そうな表情を混ぜて言った。
「でも、それじゃあ、紫崎くんがっ!」
その心配の声を聞いた龍弥は、柔らかい笑顔をで言った。
「心配するな。どのみち俺の噂なんて大量にある。お前も知ってるだろ? ただでさえ教室の端っこに追いやられた俺の席、そして、そんな俺の席であっても、いるだけで集まってくるあいつらの冷たい視線を。今更、噂の1つや2つ、増えたところで変わらないよ」
その言葉に私は頷いた。
彼女は何も言わないままその場に崩れ落ちて泣き出した。
「泣くなって……まあ、縁があれば数学について話そうぜ。俺は数学が人と人を繋いでくれるって信じてるから」
龍弥の言葉に補足するように私が言った。
「また、話そう。私たちはそうやって数学で出会ったんだし」
微かに「ありがとう」という言葉が聞こえた気がした。
♢♢♢
「そんなこともあったな……」
1年前のことなのに、随分と昔を懐かしむように言った。
扉が開く音がした。まだ、体育祭のはず。また龍弥抜け出したのか。そう思って入り口の方を見ると、懐かしい人がいた。
「来ちゃったよ。久しぶり」
「あなたですか。お久しぶりです」
今し方、思い出していた彼女が現れた。
「それにしても、この学校のセキュリティシステムどうなってるんですかね?」
私が穂香に尋ねた。
「さあ? まあ少なくとも、あなた1人が何の支障もなくこの学校に毎日訪れ、体育祭の日とはいえ、私が普通に校内に入れるくらいには緩いだろうね」
それでいいのか、この学校。
「そういえば、来たからには何か目的があったんですよね? 流石にいくらなんでも、例の噂が嘘だという事がばれるリスクを犯してまでなんの目的もなく来るとは思えないんですが」
「そうだね。用事はあるけど、その前に……」
そう言うと、彼女は少しうつむいて、暗い声色で言った。
「彼……紫崎くん、どうしてる……?」
やはりそうなるか。
「まあ、最低限の単位を取るために必要最低限の授業を受けてますよ。テストの方は、どちらかというと龍弥はもともとできる方ではあるので、授業を受けなくても、自主学習と、わからない分は私から教えれば問題なく高得点を取れます」
「教室に……居場所は?」
彼女はバツが悪そうな顔をして言った。私はそれにため息をついて答えた。
「以前と同じですね。あなたが気に病む必要はありませんよ。龍弥が勝手に決めたことですし。あの前と後で大きく変わったわけではありませんし」
「そっか……」
少しだけ、元気づけられただろうか。いや、無理だろう。
「それでね、まあ、この恩は返さないといけないと思って……とりあえず、事情の方はひと段落して落ち着いてるから……あのね、私、大学に行こっかなって思ってて。でも、私のわがままで紫崎くんを犠牲にして高校をやめたのに、また大学に行くのはこの犠牲を無駄にするんじゃ……」
「ストップ。言ったじゃないですか。だから、あなたが気に病む必要はないって。龍弥が勝手にやったことかんだから。それに、そんなにも、そのことを自分に罪として与えたいならそんな風に自分を責めることで贖うのではなく、もっと別の形で、例えば、それこそ大学に入って、龍弥のサポートでもしてあげれば良いじゃないですか」
ハッとしたときには一気にモノを伝えてしまいすぎて、彼女が困惑していないか心配したが、「そっか……」と、言った。の表情はなにかつっかえていた物が吹っ切れた表情にも見えた。
安心した。
「そこでね、月見里さん。折り入って、お願いがあるんだけど……」
「なんですか?」
私は聞き返す。
「私に、勉強を教えてくれない?」
なるほど。そうか、そうきたか。
「まあ、ここからあなたが改めてどこかの高校に入るとは思えませんし、当然ですか」
「うん。高卒認定試験、受ける」
やはり、と思い、私は彼女に言った。
「高校生活の2年以上をすっ飛ばして大学ですか……生意気ですね」
「小学校に行かずに高校のこの部室に通ってる小学1年生には言われたくないな……で、やってくれるの?」
そういうことなら、断る理由などない。
「わかりました……が」
そう言うと、彼女は少し首をかしげた。
「私が教えるからには、高卒認定試験、一発合格、ついでに浪人なんてさせませんからね。覚悟をしておいてください」
「そっちの方が嬉しいわ」
そう言うと、私と彼女は思わず笑い出してしまった。
「さて……授業を始めましょうか」
7歳の先生と、16歳の生徒による授業を。
「うはぁ……疲れた……」
「飲み込みが早いね……凄い早送りで授業したのについて来れてる。さすがだよ」
私は教材をとんとんとんと机で揃えながら言った。
穂香は思った以上に飲み込みが速くて、スピードをとにかく追求した授業だったとはいえ、数時間で最も重要なところはすべて押さえられた。
「この調子なら、かなり早い段階で全範囲をしっかりと押さえられると思いますよ。そこまで行けばあとは細かいところと、苦手克服、復習と反復練習ですね」
正直ここまでとは思わなかった。本来、何日かかけなければいけないような量の範囲を数時間で理解してしまうとは。
「羨ましいな……」
愚痴をこぼすようにして、彼女はそう呟いた。
「どういうことですか?」
私はそう尋ねた。
「紫崎くんと、毎日一緒で楽しい?」
「ええ」
なるほど、彼女は私と龍弥の関係が羨ましいと思ったのか。たしかに、噂と顔のキツささえなければ龍弥は普通にモテそうなものである。
「でも、私はあなたのことが羨ましいと思いますよ」
そう言って、どこか遠くを見つめながら言った。
「年齢は、どう頑張っても、越えられませんから」
そう言うと、彼女はなにかに気づいたような顔をして言った。
「もしかして、私たち、ないものねだりしちゃってる?」
「かも……しれませんね」
まったく、時間とは無情だ。




