#13 少年は体育館を駆け抜ける
金管楽器の高らかなファンファーレが校庭中を駆け巡った。
体育祭の開幕を示すそれは、十数秒間の間、あたりを色鮮やかに彩った。
「記憶に残るようなものになればいいな」
「うん」
俺が彼女に向けて言うと、橘はそう言って答えた。その顔に写っているのは楽しみという感情なのか、それとも不安という感情なのか。
グラウンドでは、それぞれのクラスの色の旗を持った生徒が各々演技を行っていた。
遂に、体育祭が始まった。
***
始まってしまった。
遠野くんには記憶に残るようなものになればいいなとは言われたけど、正直言ってこれまでの体育祭や運動会を始め、遠足、校外学習、修学旅行や林間学校というような学校行事と呼ばれるようなものに関する記憶が一切ない。
けれど、覚えていたいとは思う。今までならどうせ覚えていられないと諦めきれていたのに、なんというか、覚えていたいと願いたくなるを
放送が流れて、旗を持っていた生徒が退場していった。
遠野くんから教えて貰ったことによると、この学校の体育祭は競争系、球技系、その他の3つに分かれるらしい。競争系はその名の通り、短距離走、リレーなど、走る競技。球技系もそのままの意味で、バスケットボールやバレーボールなどが行われる。その他は、綱引きや玉入れ、ダンスなどの競技がある。
私は今どこにいるかというと、球技系の競技が行われている体育館の2階だ。
競技数が多いため、グラウンドでできるものと体育館でできるものとを並行して行う。生徒は自分の競技の時間以外は、校内なら基本どこにいても構わないことになっている。
というわけで、完全にやることがなく、遠野くんは「じゃあ、次俺出番だから」とだけ言って行ってしまった。
「よう。橘さん」
突然声をかけられて少し驚いた。
「蓬莱くん……?」
「そうだ。橘って俺や紀香の名前呼ぶときはいっつも疑問形だな」
「そうなの? あー、もしかしたら名前を覚えているか自信がないからかな?」
意識していなかった。名前を呼ぶとき疑問形になってたのか。
私がそう言うと、納得したようで彼は「そっか。ならいいや」と言っていた。
「うわ。そっかこれ、3学年合同か」
蓬莱くんは下を見て少し苦そうな顔をしてそう言った。しかし、しばらく考えた後、ぱっと顔を切り替えて、
「あいつらがいれば、まあ大丈夫だろうな」
そう言った。蓬莱くんの視線の先。そこでは、ボールを争ってたくさんの人が目まぐるしく動いていた。
「そういえば、そのあいつらって誰なの?」
私はさっきからずっと思っていたことを聞いた。あいつらと言われても、それが誰なのかは私には到底わからない。
「ああ、それなら、1人はあいつだ」
蓬莱くんが指さしたその先には、1人の女子がいた。
その女子は、猫を思わせるようなその身のこなしで、次々とボールをすくい上げては味方に回し、かと思い込めば、次には思い切り相手のコートの中にボールを打ちつけていた。
灰原さんだった。
「すごい……」
「だろっ!」
なぜか蓬莱くんが嬉しそうに返事をする。そして一瞬経ってから冷静になったのか、「違う違う……」と首を横に振り出した。
しばらくその行為が続いて、整理がついたのか、顔を上げてもう1人の方を紹介してくれた。
「で、もう1人はあいつだ」
再び蓬莱くんが指をさした。その先では1人の男子が、これまた少し考えにくいほど器用な身のこなしで動いていた。
「黒崎だな。頭の方はバカではあるが、運動神経はいい。とてつもなく。というより、あいつは運動ならなんでもできる。むしろ運動しかできないんじゃないかってくらい」
なるほど、羨ましい。
黒崎ってたしか……ああ、40点の人だ。それから、おっぱ……うん。えっと、あの、アレが好きな人。
でも、こうやって見ると凄いな。本当に同一人物なのかと思ってしまうくらい。メモにある限りとぼんやりとした記憶の中の彼とは全く別だった。
「まあ、それだけじゃないんだけどな。ほら、あそこ」
蓬莱くんが指さした所には周りの意識から外れて動いている男子がいた。
「遠野くん……? 気づかなかった」
「まあ気づかなくても無理はない。葵はこういった隠れながら動くのが得意なんだよ。お節介と同じようにな」
要するに、故意的に影を薄くできるらしい。その能力羨ましい。
そう言っているうちに、ゴール下まで到着した。
黒崎くんがディフェンスの合間を縫って投げたそのボールは、少し曲がった軌道を描いて、見事遠野くんの元へと辿り着いた。
「凄く……器用」
受け取った遠野くんはゴールにボールを収めた。
点差は十分のように思えた。
***
「葵、ナイス」
「黒崎こそ」
俺は葵と短く会話を交わした。
この競技は、3学年ごちゃ混ぜのランダムマッチである。当たっている相手は2年生。
点数は勝ったチームに与えられる。まあ、結局はくじ運である。上級生に当たったのは不運、と言うところだろうか。
ただ、正直なところ、ここまで上級生相手にできるとは思ってなかった。
やっぱ遠野、すげえ。
葵のゴールからしばらくしても再開されないので不思議に思っていると、会場がざわめきに包まれた。
「選手交代か?」
「みたいだな」
1人の男子生徒が交代で入ってきた。
「ん? あの人……」
見覚え……ってか、多分。いや、間違いなく知ってる。
そして、それと同時に相手チームの空気、それだけでなく観客側の一部の空気も変わる。なんというか、畏れの籠もった空気に。
耳をつんざくような音で、試合再開のホイッスルが鳴った。
その刹那、
「え?」
俺の頭上を何かが過ぎった。後ろを見れば、そこにあったのは、跳ねているボールと、明らかにゴールしたであるかのように揺れているネットだった。
この状況から考えられることは、つまり、別の生徒からすぐに受け取ったあの先輩が28メートルを横切ってスリーポイントシュート……
「まじかよ……」
自然と口元が上がる。
なんだよ、やっとかよ。
やっと、面白くなってきた。
小さく音を立てて、ボールが後ろで跳ねていた。
「葵、ボール、俺に回せ」
少し低めの声で俺はそう伝える。少しの思考時間の後、彼は、
「わかった」
と答えた。そして俺は続けて他のメンバー全員に言う。
「あの先輩には、おそらく防戦するしか勝ち目はない。俺で出来るだけ攪乱するから、みんなもできる限りのことを尽くしてくれ」
今のシュートを打った人、間違いない。
あんな精密射撃ができるのは、物理に精通しつつ、かつ筋力、巧緻性ともに卓越している人物。俺の知る限り1人しかいない。
「ちょっとそこ、どいてくれませんかね?」
俺は嘲るようにしてそう言った。
「紫崎先輩」
その言葉を聞いた紫崎先輩は、不敵に笑って答えた。
「そうはいかないんだよな。ここに立たさせられている以上、点を取られるわけにはいかないんだよ」
いくらクラスでどんな扱いを受けていようとも。小さく呟いたその言葉を俺は聞き逃さなかった。
葵から受け取ったボールを地面に打ち付ける。跳ね返ってきたそのボールを何度かその場で打ち続ける。
しばらくの間、にらみ合いが続いた。正直な話、このまま逃げ切りを狙ってもいい。でも、
でも、この先輩を相手にしてただの逃げ切り、ただの防戦で勝てると思っているほど俺もバカじゃない。
攻勢に出つつの防戦で、勝てるか勝てないか、だ。
「いきますよっ!」
「全力でかかってこい!」
俺は宣戦布告をしてドライブをしかける。もちろん、宣戦布告なんてする必要はなかった。
ただ、この紫崎先輩って人と、正々堂々戦ってみたくなっただけだった。
***
めんどくさい。
正直、来たくなかった。
ただ、あの部室を守るために、途中からだけでも出なくてはいけない。
というか、そういう約束をさせられた。
「たく、めんどくさい」
そうぼやきながらフィールドに上がると、見覚えのある顔があった。
「黒崎……か?」
なるほど、それなら、
「丁重に相手をしてやらないとな」
相手があいつなのなら、俄然やる気が出てきた。
「試合が始まったらよこせ」
俺は近くにいたクラスメートにそう言った。
「えっ?」
「いいから」
状況が理解できず、素っ頓狂な声を出すクラスメートに俺は催促をした。
怯えた声で返事をされるが、まあ慣れっこである。
横目でタイマーを見る。大丈夫、まだなんとかなるかもしれないレベルの時間だ。
試合再開のホイッスル。すぐに横にいたクラスメートからボールを受け取った。
試合コートは縦を横切るなら28メートル。ゴールリングの位置はそれより少し手前。ゴールリングの高さは305センチメートル。
余裕。
俺はその場で右足を後ろに引き、角度と距離を計算して。
重力加速度は9.8メートル毎秒毎秒とする。斜方投射では水平方向に加速度が重力加速度の等速直線運動、鉛直方向に等加速度直線運動。もちろん、空気抵抗無視。
叩き出した数値より、少し大きめの力で――投げる
空気を切る音ともに腕とボールが前へと向かう。手から離れたボールは斜めに進み、真ん中を少し超えたくらいで水平、落下に変化。ちょうどキレイな放物線。
大丈夫。この軌道なら、きっと。
ボールはゴールリングへ吸い込まれるように飛んでいき、板に触れることなく、すっとネットを揺らして落ちた。
唖然としている黒崎に俺は不敵に笑ってみせた。
「さあ、始めよう」
結果は僅差で終わった。それも僅差中の僅差。
たった1点、俺たちのチームの方が少なかった。
「先輩、お疲れさまでした」
その場で座っていると、黒崎がそう言いながら、手を差し伸べてきた。俺は、その手を握り返し、握手をして言った。
「さすが、黒崎だな」
俺の見ていない方向へパスをして、他の人に回したり、パスをすると見せかけて、俺を抜いたり。フェイクが上手い。
そこは自然と身体が動いたからなのか。それとも……
「まあ、今度やるときは、負けないからな」
俺はそう言って答えた。
「こちらも勝たせる気はありませんけど」
***
「すごかった」
余りのすごささに、その言葉以外が浮かんでこなかった。
バレーボールは圧勝だった。見事なまでの。
ストレート勝ちというその台詞が似合うほどの勝ちっぷりだった。
試合終了直後、私を見つけた灰原さんが手を振っていた。いや、私へにではなく、蓬莱くんへにかもしれない。
バスケは、白熱した試合だった。半分以上の時間が過ぎたその時、その途中から入ってきた1人の男子生徒が、物凄い快進撃を見せた。
最終的にはあと1歩の所でそのチームは負け、私たちのクラスが勝った。終了直後、観客からは絶叫にも似た歓声が上がった。
「そういえば、橘さんはなにに出るの?」
ふと、蓬莱くんがそう聞いた。
「私は明日のリレーに出る。あと、今日の全員種目。あとは……忘れた」
競技の種類、量が多いからか、体育祭は2日に渡って行われる。そのうち、全員種目以外で1つでも出れば問題ないのだ。
まあ、最終の人数合わせで結果的には大抵の人には2、3個回ってくるらしいが。
「あー、リレーか。そういえばそうだったな。というか、忘れたって……」
「それは遠野くんに聞けば大丈夫。明日のは、スエーデンリレーの第1走者で走る」
スエーデンリレーは、1チーム4人で行うリレーで、第1走者が50メートル、第2走者は100メートルと、50メートルずつ走る距離が増えていくリレーだ。私はそ1番短いのを走る。
「頑張れよ」
「うん」
私はそう答えた。




