#116 少女はふたりの共通点を知る
私自身、成績は悪い方ではなかった。
しかし、テストで満点を狙うなど、考えたこともなかった。
テストまでは残り2週間を切っている。聞いた話が正しいとするなら。……いや、仮にいくらか補正がかかって盛られているとしても、これを想定しておくことに損はないだろう。
けれど、そうだとすると。本格的に、どうすれば勝てるのかの見立てなどつきそうもない。
勝ち戦と見越して彼は仕掛けてきたわけだし、私だって負けてもいいと思いながら受けたものだった。
しかし、状況が変わってしまった今では、負けるわけにはいかない。
けれど、どう勉強すればいいのかなんて皆目検討もつかない。
「……牧坂。たぶんしばらくあいつは来ねえだろうから、黒崎の代わりにテスト対策を教えてやる」
「えっ、いいの!?」
「アイツほど器用に教えられる自信はないがな」
ふと、脈絡もなく紫崎さんはそんな話をしていた。
「そのためにも、テスト範囲を教えてほしい」
「んー……まだ公表はされてないよ?」
「なら、今どこまで進んでいるかでも構わない」
そんな会話を交わしつつ、牧坂ちゃんがカバンを持ってトテテテッと、紫崎さんの机へと駆けていく。
教科書を机に広げながら、いつの間にやら黄乃ちゃんを捕まえた彼女は、膝の上に抱えあげて楽しげに座っていた。
「……碧原」
「あっ、はい!」
「今日は一旦帰るといい。……乗りかかった船だ。俺たちも可能な限りの協力はする」
だから、明日また改めて来てくれ、と。紫崎さんはそうとだけ伝えると、牧坂ちゃんの教科書をめくり始めた。
「えっと……」
いったいどうするのが正解なのかがわからず、白石さんと鈍川さんに助けを求めるように視線を投げると、ふたりからも「まあ、言われたように今日は帰っておくといいんじゃない?」と、言われてしまった。
「安心しなよ。学力だけなら、この学校で紫崎くんに勝てるやつなんていないから」
「えっ……?」
噂で聞いた話だけなら、紫崎さんにまつわるものは彼がいかに酷いものなのかというものばかりで、そのほとんどが事実ではないということは理解していたが。
当然ながら良い噂など聞くわけもなく、学力にまつわるものも聞いたことがない。
「紫崎が出席数ギリギリのくせに進級もなにもかも問題がなく、先生からもとやかく言われていない理由、だな。……いや、なにも言われていないわけではないのだが」
「おい、勝手に人のことをペラペラと喋ってんじゃねえよ。そういうことは本人のいないところでやれ」
紫崎さんからツッコミが入り、私が謝ろうとすると、ふたりが「ごめんごめん」と軽く謝りながら、私の手を引きながら「それじゃ、向こうで話そっか」と。
「ちょうど紫崎くんに帰れって言われてたもんね」
「えっ?」
そのままふたりに連れて行かれる形で、私は部室から退室した。
「いいんですか? 勝手にペラペラ話すなって」
「いいのいいの。あのとき本人のいないところでやれって言ってたでしょ? 要するに紫崎くん自身が褒められ慣れてないから、ああやって言われると恥ずかしいからどっか行けってことなのよ」
「は、はあ……」
なるほど? と。わかったような、わからないような。
「ま、そういうことだから。……ちょうどいいわね。ぜひともあなたにも紫崎くんを正しく理解してほしいことだし、話してしまうわね」
だからちょっとついてきてくれる? と、白石さんに手を引かれながら、校舎の中を歩いていった。
途中、様々な話を聞かせてもらった。
紫崎さんがどれほどすごいのかという話。成績については、出席数ギリギリなのを教師に咎められかけたことがあったものの、成績が学年イチなこともあって、教師側からも強く言い出せず、なあなあになってしまっていること。
実際素行は良くないのだが、噂のほとんどは根も葉もないことであるため、証拠がなく、詰めようにも詰められないこと。
けれど、生徒にとってはそんなこと、関係ないということ。
「――ッ!」
先輩の語るその言葉に、なんとも言い難い納得感というか。……言うなれば、覚えがあった。
黒崎くんも、直接に教師からなにかを言われたことはなかった。彼が教師を信用しなくなったのは、職員室でのボヤキを聞いたからだ。
そして、彼がなにかをしたという証拠はないため、どれだけ生徒側から苦情があがったとしても、教師側からはうまく動くことができない。せいぜい仲良くしようねと多少働きかける程度。
けれど、証拠の有無云々は生徒には関係なかった。明確な拒絶により、黒崎くんが孤立してしまった。彼を理解しようとする人がいなかったか、あるいは居たものの、拒絶側の声があまりにも大きくて、なにもできなかったか。
結果、彼は鉄仮面の奥に逃げ込んでしまった。
「紫崎くんと黒崎くんは似てるんだよ。そして、紫崎くんはそれを認識している」
「だが、ある意味では紫崎はその一歩先まで進めている。形はどうあれ、キチンと己の意志で立ち向かおうとできている」
「だから、放っておけないんだろうね。きっと」
慈しむような表情で語るふたりを見て、きっとこのふたりは、正しく紫崎さんのことを想っているのだろうと確信する。
「……実はね、本当はあなたが部室に来ているこの状況、私たちからするとそんなに望ましいものじゃないのよ」
「えっ――」
まさか言われると思ってもみなかったその言葉に、思わず絶句してしまう。
「だって、ほら? 黄乃ちゃんが校内にいるのって明らかにルール違反だし、なにより紫崎くんにとって、居心地のいい場所ってのをあんまり晒したくないのよ」
そう言いながら、白石さんは「ここよ」と、ひとつの教室にたどり着く。
一見、なんの変哲もない教室のように見えて、違和感がひとつ。
「なんであの席だけ、あからさまに遠くにあるんですか?」
「……あれがね、紫崎くんの席よ」
言われて、はっとする。紫崎さんの噂のたぐいを鑑みれば、嫌ではあるが、理解はできる。
「アレが、紫崎くんのこの教室での扱われ方。そして、おそらくは過去の黒崎くんが感じていたであろう、その感覚」
「紫崎にとって、この教室は居心地のいい場所ではない、というわけだ」
想定をしなかったわけではない。しかし、実際に見るその生々しさに、思わず吐き気がこみ上げてくる。
「で、でも。紫崎さんは黒崎くんの一歩先まで進めてるって」
「ああ、進んでいるさ。紫崎は。黒崎の耐えられなかった方面に、一歩な」
黒崎くんが耐えられなかった方面。孤立のその先。自身に対する評価、視線、様々な感情。その全てを受け止め、あるいは受け流し、耐える。
その結果の扱われ方が、これだ。
「紫崎は強い。人との付き合い方についてはポンコツそのものだが、昔から見た目云々含めて散々な対応をされてきたのだろう。だから、こういったことへの耐性はある」
「でも、黒崎くんにはそれがない。だから、過去の彼は逃げた。けれどそれは、正しいこと」
ただ。今、彼の身に同じことが降りかかりかけていて、あるいは降りかかるという錯覚にさい悩まれていて。それで、追い詰められている。
「改めて、自分のするべきこと、理解できた?」
「……はい」
先輩方に諭されて。心に誓う。
「まっ、そういうことだから。数研の存在とか、あの場所とかは伏せといてくれると嬉しいなーって。他にも理由はあるんだけどね?」
――紫崎くんにとって居心地の悪い場所が、侵食してくることを防ぐために。
先輩方はそう言いながら、静かに目を伏せていた。
「ちなみに、他の理由にも関係するとなんだけどね?」
ふと、白石さんが口を開いた。
「昨年度の生徒のひとりが退学したって話。で、それに紫崎くんが関わってるって話」
それは、聞いたことがある。
「あれは、本当」
「えっ!?」
「……白石。キチンと言わないと誤解を招く。退学しないといけない事情が発生した彼女に、紫崎が俺を理由に退学すればいいと、言ったという話だ」
「わかってるよ! ただ、ほら! インパクトって必要じゃん! えっ!? ってなってから実はこうでしたーって」
ガヤガヤと言い争う先輩ふたりに、思わず苦笑しながら。
「……とにかく、紫崎くんはそうやって己の身を切ることに一切の抵抗が無いの。そして、黒崎くんにはそうはなってほしくないわけ」
だから、と。彼女が言いかけたが。
「大丈夫です。わかりました」
言われなくても、理解できた。その私の答えにふたりは満足そうにして。
「それじゃ、よろしくね。私たちはあんまり協力できないと思うけど、応援はしてるから」




