#115 少女は少年の全力に目眩する
ガチャリ、と。私は扉を開いた。
「なんというか、碧原さんがここに来るのにも慣れてきたというか、馴染んできたよね」
「そうなるようになった原因の当人はここにはいないわけだが」
先輩の白石さんと鈍川さんが訪れた私を迎え入れてくれる。
ここ数日の行動の影響で追加された私のための仮の席に腰を掛けながら、やっぱり来ていない黒崎くんの姿に小さくため息をついてしまう。
「……碧原」
「紫崎さん」
「聞きたいことがある。……黒崎のことだ」
落ち着いた様子で。しかし、その眼差しは鋭く、決して逃さないということをよく表していた。
「こんな話しかけ方をしておいてなにを言うのかと思うかもしれないが、別に責めたいとかそういうわけじゃない」
「それは……まあ……」
正直今にも逃げ出したいくらいの雰囲気なのだけれども、彼がそういう人じゃないということは知っている。黒崎くんを通じて、それはわかっている。
わかっていても、怖いものは怖いんだけども。
「もう、紫崎くんはいっつもそうなんだから。もっと柔らかく話せないの?」
「……そうは言ってもなあ」
「龍弥にそんなこと言っても無駄ですよ。この人は筋金入りの対人恐怖症なので。未だに他人との付き合い方がわかってないんですよ」
「筋金入りの人間不信さんの黄乃の言う言葉は随分と説得力があるもんだな?」
黄乃ちゃんがそう言って煽り、紫崎さんがそれを煽り返す。
見た目だけならただの言い合いなのだが、しかし、ある種のじゃれ合いのようにも見える。
私も、黒崎くんとあんなふうに言い合えたなら、もっとキチンと向き合うことができたのかな。
「……あー、その、なんだ。とにかく、責めたいわけじゃないんだ。ただ、ここにいる誰よりも、今は碧原、お前が黒崎について知っているんだ」
だから、と。彼は困り顔で言葉を選んでいた。
「教えてくれないか。あいつになにが起こったのか。今、どういう状況なのか」
彼らがそう言うのも当然だろう。
黒崎くんは今日、登校していた。それを見て、私は一瞬安心しかけて、すぐに戦慄した。
確実に様子がおかしい。まるでなにかしらの強迫観念か、あるいは切迫感に追い立てられているかのように、不安に包まれたかのような様子で。
疲れ切ったようなその顔つきは、昨日の今日だというのにすこしやつれ気味で、目からも生気が感じられない。
たまたま廊下ですれ違ってそれを見かけた牧坂ちゃんが他のみんなに報告して、それぞれ遠巻きに確認しに訪れたらしい。
紫崎さんまで1年の廊下に来たものだから、ちょっとした騒ぎになったのだが。しかし、それでも黒崎くんはそれに気づくことなく、ずっとなにかを考え込んでいた。
そして、昨日の黒崎くんは、部活を急に途中で抜けて帰ってきたので、そこからおそらく私が関連しているという予測が立つのは自然な流れだろう。そして、それはあながち間違いではない。
……昨日、彼が私と一緒に帰らなければ、彼女と出会うこともなく、平穏に過ごせたはずなのに。
「昨日は、私と黒崎くんとで一緒に帰ったんです。厳密に言うならば、彼と私は帰路が逆向きなので駅まで送ってもらう、というような形で」
普段は通らない道、普段は出会うことのない人。それが、災いを呼び込んだ。
私は昨日にあったことを、私の知りうる限りを事細かに説明した。
まずは、勝負を持ちかけられたこと。それを私が受けたこと。
彼女とすれ違ったこと。彼はそれに気づかないふりをしながら、私を駅まで送り届けてくれたこと。
そして、彼のあと尾行したら、その彼女が黒崎くんに接触したこと。
彼女が、彼の昔の同級生で、彼の過去を知っていて。
彼に対して言い放った言葉。さらには、私に対して言い放った言葉。
最後に、私が彼女に啖呵を切ったこと。
「……ふむ」
紫崎さんは顎に手を当てつつ、難しい顔をした。
「なかなか、厄介なことになったな」
「なによその人! 黒崎くんのいいところすごいところを知らないくせに!」
隣では、牧坂ちゃんがプンスコプンスコと、怒りを顕にしていた。
まあまあ、と、落ち着かせようとするが。……私も同じくそう思って、啖呵切っちゃってるんだよね。
「黒崎が大嘘つきだとかそういうのはひとまず置いておいて。……たまたまだとはいえ、状況が最悪すぎる」
「たまたま?」
紫崎さんの言った言葉に私が首を傾げていると、彼は「それは……」と言葉を詰まらせて。
はぁ、と、隣でため息をついた黄乃ちゃんが説明してくれる。
「あなたたちがしたその賭け。このままじゃ、そのせいで関係が終わっちゃうわよってこと」
「えっ――」
私があまりの驚きから言葉を失っていると、紫崎さんは黄乃の言うとおりだ、と言うと。そのまま言葉を続けてくれる。
「……碧原も知っているとおり、黒崎は己を殺すのが得意だ」
「それは、まあ」
「そして、その女子に詰められたことにより、おそらくあいつはこう思っていることだろう」
俺は、碧原から離れるべきだろう、と。
ハッキリと、伝えられたその言葉は。紫崎さんが言ったはずなのに、まさしく黒崎くんの言葉のように聞こえた。
「――ッ!」
「そうして、そんなアイツが今ある手札で取りうる行動はなんだと思う?」
「そ、れは……」
ここまで言われれば、嫌でもわかる。
今、彼の手札にあるのは私との約束。勝てば、良識の範囲内で相手の言うことを聞くというもの。
つまるところが、
「約束を使って、私との付き合いを、断とうとしている……?」
「おそらくは、だがな」
「でもっ!」
彼は約束してくれた。良識の範囲内の判定は代理人に任せてもいい、と。ここの部活の人に頼んでもいいって。
良識の範囲内な願い事ではあるものの、事情を知っているここの人たちなら――、
「たしかに、俺たちがそれは良くないといえば、ほんの少しならしのぎはできるかもしれないが」
その場にいたほぼ全員が、苦虫を噛み潰したかのような表情をする。
どうしてそんな顔をしているのかと、私が不思議にしていると、白石さんがあのね、と教えてくれる。
「たぶん、彼に口論を挑んで勝てるのが、この中だと紫崎くんか黄乃ちゃんしかいない」
「無理だ。今回の正論は黒崎の側にある。いくら俺や黄乃でも屁理屈をひっくり返すのは無理がある」
紫崎さんのその言葉に、隣にいた黄乃ちゃんもコクリと頷く。
つまるところ、そんなズルは通用しない、ということになる。
「……だが、同時に。ある意味ではチャンスでもある」
「えっ……」
紫崎さんの言うその言葉が一瞬理解できなくて。
しかし、直後にわかって。わかってしまって。
その、実現可能性の小ささに、血の気が引いていく。
「碧原。君が、黒崎に勝てばいい」
約束が、相手にひとつ言うことを聞かせることができるというのならば。
それで彼がこちらに絶縁を持ち込むことができるのであれば、それを阻止すればいい。
そして、こちら側からこれに対して、しっかりとした縁を結べばいい。切っても切れない、強い縁を。
だがしかし、それが難しいことはわかっている。
「おそらくアイツは、全教科満点を狙ってくる。なりふり構わず来るとしたら、だが」
「えっ? ……えっ!?」
想定を超えた紫崎さんのその評価に、私の度肝が抜かれる。
あまり状況を正しく理解できていなさそうな牧坂ちゃんが嬉しそうな様子で「黒崎くんはすごいんだよ!」と、
曰く、テストが終わったあとに振り返りということで牧坂ちゃんが黒崎くんにテストの答えを解説付きで教えてもらっているらしいのだが、今のところ、不正解がないらしい。……もちろん、解説にあたって教科書など見ることなく、だ。
「つまり、時間に追われてミスをする、や、普段は敬遠しているような厄介に真っ向から向き合うことによる詰まりなどに期待しない限り、全力を出したアイツはほぼ間違いなく全問正解を叩き出してくる」
さも当然とばかりに言い放たれたその言葉に、クラリと目眩がしそうになったが。
しかし、ここで負けてはいけない。彼を、助けるためにも。
「……ここで再確認しておく。あくまで、君は巻き込まれた立場だからな」
紫崎さんが、視線は鋭いままで。真剣な声色で質問を投げかけてくる。
「黒崎に、向き合うか?」
「はい!」
「……即答か。生半可な道のりじゃないぞ」
わかってる。だけど、
諦めるなんて、嫌だから。
はじめて、好きだって自覚したんだ。




