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#114 少女は雨の中を駆け出した

「久しぶりだね」


「……」


 女の子が、黒崎くんにそう話しかけていた。

 距離があり、なおかつ位置が黒崎くんの後ろ側ということもあって、黒崎くんの顔は見えない。


「あら、知らないふり? 随分といいご身分なことで」


 嫌味全開といった様子で、女子は黒崎くんにそう言い放つ。


 ススッと、黒崎くんは一歩引くが、女の子はそれを許さず、即座にザッと距離を詰める。


「相変わらず、他人を見下しているその性格は変わってないみたいね。大嘘つきの黒崎くん?」


「……」


「なにか言い返しでもしたら? 面白くない」


 フンッと、機嫌が悪そうに鼻を鳴らしながら、女の子はさらに黒崎くんへと距離を詰める。


「それで? 今回はあの女の子を騙そうってわけ?」


「なっ、ちがっ――」


「あはははははっ! やっと反応した。……へぇ、珍しいわね。あなたがそんなに反応するだなんて」


 そんなに大切なの? と。からかうようにして女の子は黒崎くんを笑う。

 彼はジリジリと後退するが、やはり女の子はそれを許さない。


「しかしまあ、あんな勝負仕掛けちゃって。騙して油断させて、そして勝って。言うこと聞かせちゃうってわけ? キャー、なんて破廉恥」


 わざとらしく棒読みっぽく。少女はまるで煽りでもするかのように黒崎くんを攻め立てる。


「そ、れ、と、も。おやさしーい黒崎くんは、嘘をついて、彼女に勝利を譲っちゃうわけ? キャハハハハッ、どっちにしても滑稽この上ないわね!」


 チラリ、と。彼女と私の視線が合う。マズイ、バレた?


「この際だからいいことを教えてあげるわ。嘘つきは、どこまでいっても嘘つきなの。それは、嘘つきが改心できないとかそういうわけじゃあない」


 嘘つきが嘘を付き続けた結果、そこに残るのは地に落ちきった信用。結果、どれだけ誠実に真摯に正しいことを叫ぼうとも、それを信じてくれる人がいなくなる。

 そうして結局、嘘をつくことでしか自分の身を守れなくなる。また、嘘をつく。存在すらしなかった信用が、更に負債となって積み重なる。


「あんたは、既に負債を背負い込んでるんだよ。……たしかに、新たな環境にいけば、その環境では負債なく全てをスタートすることができるだろうね。けど――」


 はたして己の身を守るための嘘を身に着けた人間が。嘘をつかずにいられるんだろうか、ってね?


「ひっじょーに残念ながら? 私はアンタと同じ高校じゃないから。アンタの学生生活がどんなものなのかは知らない。それどころか、中学のときの奴らは誰ひとりいないから、近況なんて知りもしない」


 まあ、お前みたいなクソ野郎の近況を知りたいなんて物好きはそんなにいないだろうけどね。と、彼女は冷たく言い放つ。


「あっ、そうそう。私はめずらしーく、アンタに興味を持ってあげてるお優しい人間だから、感謝してくれてもいいのよ? ……とはいえ、アンタが不幸になってくれてればいいなあって、そんなふうに思っている類の人間だけど」


「……」


 黒崎くんは、なにも言わない。けれど、その腕が、脚が、ぷるぷると震えている。

 怒りだろうか、悔しさだろうか、苦しみだろうか。……きっと、様々な感情が綯交ぜになって。しかし、その受け先がないのだろう。

 今すぐにだって、彼のもとへ駆け寄ってあげたい。そうして助けてあげたい。……しかし、そうしてしまえば、今の会話を聞かれたことを知られてしまう。


 私が尾行をしていたことを知られるのは、まあいい。もはやそれで怒られる程度、この際微塵も怖くなどない。

 しかし、今の彼はきっと、この会話を聞かれたくはないだろう。彼にとっての苦しい過去を、知られたくはないだろう。……もしも私だったら、嫌だ。


 だからこそ、今駆け寄ってしまうと、きっと彼の心に尋常じゃない負担を強いてしまう。

 けれど、けれど――!


「ま、とにもかくにも、そんなお優しい私に、ぜひとも教えてくれないかしら? 最近の高校生活の近況を。どうせ、また嘘をついてクラスを騙しているんでしょう?」


 どこがお優しい、だ。と、私は唇を噛む。

 なにもできない、自分が悔しい。


 黒崎くんは、依然として黙ったまま。ちっとも動かない。


 ポツリ、と。私の手の甲に。ひとつの水滴が落ちてきた。

 ポツリ、ポツリ。水滴はだんだんと感覚を短くしていき、次第にリズムを測るのも困難になってきた。


 ――雨だ。


「……面白くない。黙りこくっているばかりで、なにも収穫がない。それでいて雨に降られちゃ、割に合わないわ」


 彼女はそう言うと、くるりと黒崎くんに背を向けた。


「今日のところは、こんなものでいいわ。あいにく、アテなら他にもあるし。とにかく、どちらにせよ今日はこれ以上はいいわ」


 そう言って、彼女は歩き始めた。

 一度、再びこちらを振り向いたかと思うと、


「もう二度と、会わないことを願ってるわ。大嘘つき」


 そう吐き捨てた彼女は。一瞬私の顔を見ていたような、そんな気がした。






 雨から逃げるようにして、私は駅まで走った。

 実際に逃げたのは、はたして本当に雨なのか。それとも、動くことができず、ただただその場に立ち尽くすしかできなくなっていた黒崎くんからか。


 自分自身の判断と、そして覚悟とが。それでいいのかと声をかける。……今からでも、やっぱり声をかけに行くべきだろうか。


 クルリ、と。踵を返し、本日何度目かの道を通ろうかとしたとき。


「こんちには」


 ……ついさっき、聞いた覚えのある声がした。


「……はじめまして、ですかね? どちらさまでしょうか」


「うーん、どうせ二度と会うこともないと思うから、別にどーだっていいと思うけど。ま、はじめましてで合ってるんじゃない? お互い、それぞれのことを知らないわけではないと思うけど」


 その声は、間違いなく先程の彼女のものだった。

 ニタニタと印象の悪い笑みを拵えながら、少しずつコチラに近づいてくる。


 ジリッ、と。一歩後退する。


「ああ、警戒しなくっていいよ。私はあなたの味方だから」


「……はあ?」


「あのクソ野郎……黒崎に騙されてるんだよ、あなた」


 ジッとこちらを見つめてくる彼女に気圧されながら、私はなんとか平静を保つ。

 なんのことでしょうか、と。そうとぼけてみせると、キャハハハハッと笑って、彼女は言葉を続けた。


「誤魔化しても無駄だって! 一緒に帰ってたのも見たし、あのあと私と彼の会話も聞いてたんでしょ?」


 ……どうやら、やはり目線があったのは気のせいではなかったようだ。

 とりあえず、腹をくくり。彼女に向かい合う。……気圧されたら、負けだ。


「それで、騙されてるっていうのは?」


「あの会話を聞いてたのならわかってると思うけど、あの黒崎は大嘘つきなの。……バカっぽく振る舞って、俺はみんなの気持ちをわかってるみたいなふうを装っておきながら、その実、自分よりも格下の人間を見下してるの」


 違う。


「よかったら、ぜひとも高校での今の彼の様子を教えてくれない? あのクソ野郎、黙りこくっちゃってなんにも言わなくってさ」


 違う。


「どーせ、あいも変わらず嘘を付きまくってるんでしょうけどね! もし、ここで嘘をつかずに付き合えるようにさえなれば、心機一転信用も得られたんでしょうけど。大嘘つきはどこまでいっても嘘つき。また、嘘をついてるんでしょう?」


「違うっ!」


 私は大きく、力強く、そう叫んだ。


 突然のそれに彼女は、驚き、一瞬の怯みを見せる。


「黒崎くんの苦しみを、悲しみを、努力を、苦悩を! それを知らない人間が、彼の行動をバカにするなッ!」


 盛大に、そう啖呵を切ると。彼女は唖然として、その場に立ち尽くしていた。

 それは、彼女への牽制であり。そして、自分への自戒であった。


 とんでもないことを言うものだ。彼の行為をやめさせようとしていた人間が、こんなことを言うのだから。


 キッと、強く睨みつけてから。これ以上は時間の無駄だと、私は駅から駆け出していった。


「――ッ! 後悔するわよ!」


 知るか、そんなもの。


 冬の雨は冷たく、肌に刺すように降りかかってくるが。どうしてか、今はそんなもの、微塵も気にならなかった。


 きっと。彼のほうがもっと、痛いから。

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