#113 少年は少女に勝負を仕掛ける
空気が重たい。
夕方。放課後すぐでもなく、また、部活動などの終了時刻にもまだ早い時刻なこともあってか、道にはほとんど人がいない。
ときおり、子供たちが公園で遊んでいる声が聞こえてくる程度。静かな住宅街という表現で間違いはない。
せめてなにか話題のきっかけになるものでもあれば、多少は会話が弾みそうなものだが。
「……」
「……」
俺も碧原も黙りこくるばかりだった。
たしか、碧原は電車で通学してきているから、最寄りの駅まではそろそろ残り半分を切るくらい。
会話を切り出すならば、いい加減に覚悟を決めないと中途半端になりかねい。
「なっ、なあ!」
「あっ、あの!」
……間が悪い。お互いが声をかけてしまったがために、相手がなにかを話すのではないかと思い、お互いが次の言葉を待ってしまっている。
「先に碧原から」
「黒崎くんから」
どうしてこうもタイミングが悪い。……ある意味では息が合っているし、深刻なまでに息が合わないとも言えそうだ。
3秒ほど、またも互いに相手の言葉を求めて沈黙をして。どうせ動かねばまた黙り込むだけになると。そう確信した俺は、口を開いた。
「あー……えっと、その、なんだ。……今日は悪かった」
「えっ?」
「これで違ってたらクソ恥ずかしいどころの騒ぎじゃないんだが。たぶんあれだろ。なんか悩んでるのは、俺のせいなんだろ?」
「せいって、そういうふうに思ってるわけじゃないんだけど。……でも、悩んでるのは、たしかに黒崎くんのこと」
「だろうな。……なんというか、ああは言ったが、それはそれで慣れちまって、なんとも思ってないから。気にしないでくれ」
「……なんのこと?」
む。そのことじゃないのか? で、あるならばなにで悩んでいるんだ。
「昼間に聞かれただろ。嘘をつくのが苦しくないのかって。それに対して俺が慣れちまったって言った、そのことだよ」
「……あっ、ああ! うん、そ、そう。そうだねっ! うん!」
この反応。どうやら俺は盛大な勘違いをしていたようだが。しかし、俺のことで悩んでいることについては、本人の口から説明されたとおりだ。
「それで、俺のことで悩んでるんだろ? 俺に言いにくいことがあるかもしれないが、とはいえ、なにか力になれるかもしれない」
「……うん。なにかあったら相談はするね」
これは。……相談されないときのやつだな。それを相談できるほどに信頼をされていないか、あるいは俺に聞かれたくないような話なのか。
しかし、自分の気持ちに自覚をしてしまった以上、どうしても彼女のことになると、落ち着かない。
なにか悩んでいるというのであれば、手助けをしてやりたいと思ってしまう。
「なあ、碧原」
それは、本当にふと、思いついたものだった。
「どうしたの、黒崎くん」
あとから思い返してみれば、本当になんでそんなことを言ったのか、自分でもわからなくって。
「えっと、もうすぐ期末テストがあるだろ?」
「そうだね。そろそろ準備をしていかないと」
「そこで、なんだがな」
だから、本当にこれは、俺の気の迷いなんだと思う。
あるいは――、
「俺と、点数で勝負しないか?」
「えっ?」
俺が、切れる最大限のカードを切って碧原と交渉しようとした、本能か。
「勝負には罰ゲームが相応しいよな。負けた方は勝った方の言うことをひとつきく、ということでどうだ?」
「そ、れは……」
碧原は、明確な躊躇いを見せた。当然だ。テストの点数ひとつで最悪の場合、俺からどんな命令をされるかわかったものでもない。
それなのに、こんな勝負を受けるのは、いい判断とは言いにくい。しかし、俺にはまだ、切れるカードがある。
「もちろん、良識の範囲を逸脱する命令は禁止だ。そのあたりの判断で揉めることがあれば。……そうだな、他の誰かに判断してもらおう。数研の誰かでもいいし、あの人たちが信用ならないなら、碧原が代役を立ててくれてもいい」
数研のメンバーとは碧原も面識があるとはいえ、曲がりなりにも俺の知り合いである。あの人たちが俺に対して有利な判断をするとは思えないが、しかし、そういうように見える要素は除外すべきだろう。
その提案により、碧原の反応がやや好転する。……悩んでいる。彼女は、今。これに乗るかどうかを。
彼女にとってのリスクが、かなり減った。相対的に見れば勝負での旨味が増えた。しかし踏ん切りがつかないのは、俺側の「良識の範囲」がどこまでなのかがわからないから。
ならば、踏ん切りをつかせてあげよう。
「ひとつ、俺側からの大丈夫な命令の、目安だが」
……これは、餌だ。これならばきっと食いつくであろうという最強格の切り札。
「俺に対して、嘘をつくのを――実力を隠すのをやめてくれというのでも、構わない」
「――ッ!」
その時の反応は、それまでのものとは大きく違い。それこそ、目の色を変えるほどのものだった。
それは、彼女がずっと俺に要求し続けていたこと。そして、おそらくは彼女が現在悩んでいる原因のひとつ。
「どうだ? 勝負、するか?」
これでも俺は、毎回赤点スレスレの成績不良者だぞ? と。……意味のない煽りをしてみる。
「赤点スレスレではなく、赤点回避ジャスト、の間違いでしょう?」
「ははは、違いねえや。手厳しい」
「褒め言葉として言ってるのよ」
この世界のどこに、赤点ラインギリギリを狙って取れる、バカがいるっていうのよ。と、彼女はジトッとした目でこちらを睨んでくる。
「……いいわ。その勝負、受けてあげる」
狙って赤点ラインを取るということは、簡単な話ではない。
本来、なにもわかっていない、なにも理解できていない人間がテストで解く際には、簡単な問題以外はなんとなくで解いて、それが正解であることをお祈りすることがほとんど。
その結果、赤点より少し上だったり、下だったり。その時のなんとなくの勘で、それらが左右される。
しかし、狙って、となるとそうはいかない。
取りすぎないようにするために、余分に解くわけにはいかない。しかし、点数が少ないと、今度は赤点になる。
それ故に、必要最低限の問題を、確実に得点する必要がある。
つまり、俺は解く問題を選別してはいるものの、その問題をただひとつも落としていない。
そして、それは彼女も知っているわけで。
「絶対に、負けないんだから」
「俺の方こそ、負けるつもりはない」
きっと、これが罠なんだろうということ、きっと彼女は理解している。
しかし、その上で彼女は、それに乗ってきた。
勝つ算段があるのか、あるいは、別の目的があるのか。
それとも、それほどに俺の仕掛けた餌が魅力的だったか。
「……駅だな。たしかここからは」
「うん。電車に乗るから、ここまでだね」
「その、なんだ。……また、明日」
「うん、また明日」
俺は駅に彼女を送り出すと、そのまま踵を返す。
……今になって、やっと。自分の言ったことに対して、強い後悔と、やってしまった、という自覚が芽生えてくる。
「はあ……」
ほんっと、どうしちまったんだろうなあ。
人の感情とは、こうまで行動に影響を与えるものなのか、と。
「……よし」
駅に入ったふりをして、私はこっそり駅から出る。
なんでそんな行動に出たのかは、正直わからないけど。でも、なんとなく、彼の行動が気になって。
彼は隠し通せていたと思っているはずだ。……けれど、今日の会話の途中、一度だけ。彼の様子がおかしかった。
同じくらいの年代の女子とすれ違ったとき、一瞬、彼の顔に動揺が走った。その女子は、そのあと黒崎くんの顔をじっと見つめて、けれど声をかけるなどなく、そのまますれ違った。
けれど、
「なにか、嫌な予感がする」
そんな、根拠のない自信に突き動かされるように、私は彼の尾行を開始した。




