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#112 少年は思い切りに伝える

 廊下に出て、特に理由もなく歩く。

 先輩から投げかけられた質問が、ぐるぐると頭の中を巡る。


『黒崎にとって彼女は。碧原は、どういう存在なんだ』


 碧原は。碧原は……、


「碧原、は――」


「私が、どうしたの?」


 返ってきた言葉に、初めて口から言葉が出ていたことに気がついた。当然、まさか返事があるとは思っていなかったので、思わず身体をビクつかせてしまう。


「碧原……」


「うん。私だよ」


 いつの間にか、教室まで来ていたようだった。そして丁度、今から帰ろうかとしていた彼女と鉢合わせたといったところだ。


「その、なんだ。今から帰りなのか?」


「うん。そうだよ」


「えっと……、気をつけてな?」


「ありがと」


 俺がそう言うと、彼女は俺の横を通り過ぎて廊下へと出ていく。

 違う。そうじゃないだろう。掛けるべき言葉はそうじゃないだろう。

 そう思っても、しかし脚が動かない。口が言葉を紡ぐのを嫌がる。

 ギュッと力を込めても、なにも動かない。


 情けなさに、悔しさに。歯を食いしばるが、しかしどうにもならない。


「そうじゃない。黒崎くん。私になにか用があるんじゃないの?」


 ポンッ、と。手を打ち彼女は振り返る。

 ただの偶然だったとはいえ、しかし形式上は俺が碧原を訪ねてきた形だったので、都合よく勘違いをしてくれていた。


「あ、ああ。そうなんだ」


 声が震える。なぜだろうか。嘘など、つき慣れているというのに。

 このチャンスを逃せば、なにかを失ってしまう気がして。碧原の声を力に、必死で振り返る。

 油切れを起こした機械のようではあるものの、ぎこちない動きで。しかし、やっと動けた。


 不思議そうにこちらを見つめてくる彼女に、俺はなんとか言葉を探す。


 用事など、無い。そんなもの無く、ただ、理由もなく歩いてきた廊下で。なんとなく、彼女の名前を呼んだだけ。

 探せ、作れ、騙れ。なんでもいい、拙くてもいい。


「その、なんだ。……今日は調子が悪そうだったから、一緒に帰ってやろうかと思って」


 どの口が、と。自分の言葉に自分でツッコみたくなった。今現在、やっとの思いで動くことができているというのに。

 しかしそんな俺に疑問を抱くことなく。しかし彼女は申し訳なさそうな表情をした。


「ううん、大丈夫。これ以上、私が黒崎くんに迷惑をかけるわけにはいかないから」


 どこか物悲しさすら感じさせてしまいそうなその声色に、裏付けのない確信が浮かび上がる。

 ダメだ。今の彼女を、ひとりで帰してはいけない。


「その、俺も今から帰るところだからさ」


「ふふ、嘘はだめだよ。まだ部活でしょう? 行くときには荷物を持っていっていたのに、今は持っていないもん」


 力なく笑う彼女に、しかし言い返す言葉がない。言われた言葉そのとおりだったから。


「えっと、その! 荷物は、そう! 部室に忘れてきちゃっただけだから! 今からすぐに取ってくるから!」


 だから、ここで待っていてほしい、と。


 そのあまりにむちゃくちゃすぎる言い訳に。俺は理論の破綻を指摘される前にその場から逃げ出した。


 本当に、どうしたんだろうか。俺も、碧原も。

 今までの俺なら、こんなに必死になることもなかっただろうに。


 部室に辿り着くと、俺は慌てて帰り支度をして、出ていく。

 紫崎先輩はなにも言わず、ただ「そうか」と、「またな」とだけ。……本当に、ものわかりのいい人だ。自身の人付き合いは苦手なくせに、他人のものになってくると、いったいどこまで盤面が見えているのやら。


 部室から飛び出した俺は、そのまま教室まで全速力で駆けていく。途中、白石先輩と鈍川先輩とすれ違ったが、なぜか温かい目で見送られた。


 そうして息を切らしながら、碧原野元までたどり着くと。彼女は驚いたように目を丸めていた


「ほんとに戻ってきた」


「そりゃ、待っててって言ったからな」


「冗談で言ってるのかと思ってた」


「そう言う割には碧原も帰ることなく待ってたんだな」


「それは、待っててって言われたから」


 そっくりそのまま返されてしまったその理由に、俺は思わずクスリと笑ってしまう。


「でも、本当に私のことは気にしなくていいよ? ひとりで帰れるから」


「いいや。むしろ俺に迷惑をかけるからとか、そういうことを気にしなくていい」


「それは、でも、やっぱりダメだと思うから」


 なにが、彼女にこう思わせてしまっているのだろうか。……やはり、昼間のことを気にしているのだろうか。


 ギリッと。歯軋りをする。このままの会話では、イタチごっこを抜け出すことができないのは分かりきっていた。むしろ、迷惑をかける必要がないのであればそれに越したことはないので、下手をすれば俺のほうが劣勢に追い込まれかねない。

 もちろん、俺にとっては迷惑でもなんでもないのだが、しかし帰り道が逆方向であるため。下手に論を続けるのは、やはりよくない。


 で、あるならば。論点をズラすしかない。俺が碧原と一緒に帰ることが迷惑か否かということで劣勢なのであれば、俺の主張に優位性がつくような、なにかに。


 探す。探す。探す。探して、しかし見つからない。

 いいや、見つからないわけじゃなかった。ただひとつだけ、見つかりはした。しかしそれは俺にとって、今の想いをさらけだすようなものであり、なにより「嫌だ」と言われてしまったらそれ以上は食い下がりができなるなるという1回きりの諸刃の剣だった。


「迷惑かどうか、とか。そういうのじゃなくって」


 けれど、こうなってしまった以上。使わないわけにはいかない。どうせダメなら、やるだけやってダメになろう。


「ただ、ただ俺が。碧原と一緒に帰りたいんだ」


 いつぶりだろうか。ここまで、自分の希望、要求を出したということは。


「俺が碧原と一緒に帰りたいから、だからじゃダメか?」


 そう尋ねると、一層驚いた様子を見せた彼女は、そうして俯いてしまった。

 これは――どっちだ。よくも悪くも、返事が来るまではなにもわからない。不確定だからこそ、期待もあれば不安もある。

 ぐるぐると渦巻くふたつの感情は、早く返答を聞きたいという気持ちと、嫌だ聞きたくないという気持ちとを、綯交ぜにして、ぐちゃぐちゃの矛盾を生み出す。


「……いよ」


 小さな声で、彼女はポツリとつぶやいた。


「いいよ、一緒に帰ろう。私も、黒崎くんと一緒に帰りたいから」


 顔を上げた碧原は、その顔を真っ赤にして。少し潤んだ瞳で、俺のことを見つめていた。


 ……ああ、そうか。これが、俺の気持ちなんだな。


 胸の奥に浮かんだ、その言葉は。驚くほどに温かで。しかし、伝えていいものだろうかと、そう思うと。痛いほどに、暴れて感情を乱してくる。


 彼女に嫌われたくない。その気持ちが浮かんできて。


 そう思えば思うほどに、己の被ってきた嘘の仮面が重くのしかかってくる。


 これまで積み上げてきた、自分への負債が。今になってツケとなって回ってきた。そんな感覚が、足にまとわりつくのがわかった。

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