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#110 少年は慣れてしまっていた

 動転してしまっている碧原を連れて。やや強引気味に、俺は旧校舎へと駆け込んだ。多少目立ちはしてしまうが、しかし今はそれどころではない。

 数研の部室前に来たところでちょうど黄乃ちゃんと鉢合わせる。


「ちょっと、授業サボりたいから部室借りていいか」


「ん、わかった。適当に、トイレにでもいる」


 彼女は思ったよりも素直に快諾してくれ、訳も聞かず、そのまま部室をふたりきりにしてくれた。


 授業開始のチャイムがなる。これで、俺も碧原も、れっきとしたサボりである。

 元々の評価がアレは俺はともかくとして、仮にも優等生な碧原をこのような状況に引き込んでしまったことには罪悪感を覚えるが、しかしあの場で彼女を放置することができなかったというのも事実。


 と、いうか。今ですら彼女の状態を鑑みて言うならば、授業など受けられる状態のメンタルではないだろう。


 部室の中に連れ込んでもなお、彼女の様子は未だ変わらず。目の焦点も合わず、心ここにあらずという様子で、ただ行き場のない謝罪と、そしてひたすらに大きな喪失感とを同時に感じているように見える。


「……とりあえず、こんな形でしか場を収めることができなくて済まないな」


 特に、強引な形で彼女を授業からサボらせてしまったこと。それから、彼女のイタズラがエスカレートしていることを知りながら、しかし俺が気を抜いてしまって、今回のことが起こってしまったこと。そのふたつについて、彼女に謝罪を告げる。

 俺の言葉を聞いて多少は落ち着いたのか、彼女は小さく「違う……」と言い、ゆっくりとこちらを向く。


「黒崎くんは、悪くない。悪いのは、私だ」


 その主張は、間違いではない。事実として、今回の事件の元凶となったのは彼女だ。

 そういう観点から今回のことを振り返るなら、彼女の主張で間違いはない。


 けれど、そうしてしまうと碧原が壊れてしまう。その確信があったからこそ、俺はその主張を飲み込むわけには行かない。


「碧原の様子が最近おかしいのは俺も知っていた。それに併せて警戒はしていたつもりだった」


「だからといって私の失態をカバーできなかったと黒崎くんが責任を負うのはおかしい」


「黒崎くんがなんとかしてくれるから大丈夫。と、たしかそう言っていたな」


 俺がそう告げると、彼女はピクリと反応する。

 それは俺が彼女のイタズラを諌めようとしたとき、碧原が言い訳っぽく放った言葉であった。しかし、今の俺にとっては不思議と好都合。使えるものは使わせてもらう。


「あの言葉は、すなわちあのイタズラ行為は俺への信頼からきているものであり、そして俺はその期待を裏切ってしまった。だから、俺に責任がないというのはおかしい話ではないか」


「……そんなの、詭弁だよ」


 ああ、そのとおりだ。ただの詭弁でしかない。いいや、詭弁と言うのもおこがましいくらいの、ただの無茶苦茶な理論武装だ。

 今俺は、どうにかしてなんとか自分にも責任があるように話を挿げ替えようとしている。どうにかして、彼女にふりかかる責任の一部を肩代わりしようとしている。


「……とはいえ、いつかは起こりうることではあった」


 実際、今回俺が反応できなかったように。

 仮に今日の事件が俺によって未然に防がれていたとして。しかしいつかは俺の反応が及ばない範疇で、同じような事件が起こっていたように思える。


「そういう意味では、本当にいいタイミングでいい状況で起こった事件だと思う」


 特に、今回の事件の被害者。それが遠野であってよかった。

 遠野には悪い話ではあるが、しかしよくも悪くも彼は話のわかる人間ではある。こちらとしては掴みどころがわかりにくく、碧原とは別ベクトルでやりにくさのある人間なのだが、しかしおそらく悪いようにはしないだろう。

 ある意味では彼とは同類である。そんな確信のある俺は、そう感じていた。


「しかしまあ、今回の一件でわかっただろう。慣れないことを。自分の理念に反することをすることが、いかに大変で、そして利がないのかを」


 俺がそう言うが、彼女からはなにも返ってこない。返ってはこないが、しかしその表情は、肯定そのものだった。


「このままイタズラし続けても、いずれはボロが出る。……なにより、このままだと碧原らしくない」


 俺の言ったその言葉に、碧原がここまででいちばん大きな反応を見せる。

 それははたして己の中に自覚があったゆえか、あるいは今言われて初めて自覚したためか。……いいや、今はそのどちらでも構わない。

 とにかく、彼女の行動を止めて。碧原が、碧原らしく振る舞えるように。


「……黒崎くんは、すごいよ」


 ポツリ、と。溢れるように彼女が漏らした言葉。


「私は、私のことしか見えてなかった。口先では黒崎くんのことを気にしているようで、その実は、黒崎くんのことを気にかけている私のことをばかりを見ていました」


 しかし、そのことに今の今まで。自分が過ちを犯すまで気づくことができず。そうして他人に迷惑をかけて初めて、自分自身しか見ていなかったことを自覚した。と、彼女はそう言った。


「それは、まあ、そうだな」


「その点、黒崎くんはクラス全体を見ていた。自分の立ち位置がどこに収まれば円滑に物事が進むのかを考えて、動いてた」


「…………それは」


 それは、違う。そう反論しようとしたけれど、それよりも先に碧原が言葉を続けた。


「それなのに私は、自分自身のエゴで黒崎くんの立場を危ぶめてしまった。大局を見て、調整していたはずの君の立ち位置を、なにも見ていなかった私のせいで、突っ込んで壊してしまった」


「碧原。それは、違う」


「違う、とは?」


「碧原はいつも俺のことを持ち上げようとするが、俺はそんなに優秀な人間でもないし、だから俺が大局を見ていたように見えたのであれば、それはただの錯覚だ。……なにやり俺は。俺だって、俺のことしか見ていなかった」


 俺のその言葉に、彼女は目を丸くした。

 そんなことない、と。反論をして来ようとした彼女に、しかし今度は俺が会話の主導権を握りに行く。


「碧原のそれがエゴだと言うのであれば、俺の行動もエゴでしかないのだろう。俺自身が傷つきたくないがために、勝手にどこにいればいいのかを判断して、そこに収まっていた」


 君の実力はそんなものじゃないだろう。もっと、すごいんだから、それをもっと見せようよ! そんな、俺のことを想ってくれていた言葉を無視して。そうして俺は殻にこもっていた。

 それに、大局を見ていたというのは流石に過大評価過ぎる。自分が傷つかない位置を、ただ自分のために探していただけ。

 それこそ、碧原と同じく、自分のことしか見ていなかった。


 俺がそう伝えると、彼女は今にも泣き出しそうなくらいに弱々しい表情で。しかし、それでもなお真剣な面持ちで。


「ねえ、黒崎くん」


 ひとつ、質問してもいいかしら、と。

 俺はコクリと頷く。


「黒崎くんは、辛くないの? こうして、自分を偽ることは」


 一瞬、その質問がどのような意図でされたものだろうかと考えた。

 そうして俺が悩んでいると、答えるより先に彼女が口を開いた。


「私は、とても辛かった。……いや、イタズラしているときは楽しいという感情が無くもなかったけれど、けれどもしかしたらという気持ちはあったし、なにより今回実際に事件が起こっちゃって。自分自身に背くことがどれほどキツイことかと感じた」


 だから、黒崎くんの本音が聞きたい。

 こうして自分自身を偽ることが辛くないのか、と。


 彼女は、そう尋ねてきた。


「俺、は――」


 辛くないのか。苦しくないのか。

 本当の自分を出したくはないのか。そんなことを、自分の中で自問自答して。


「俺は、慣れちまったかな」


 出した結論は、それだった。

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