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#109 少女は馴れないイタズラをする

 啖呵を切ってくるだけあって、それからの碧原の行動はエスカレートしていっていた。

 なにかと理由をつけては俺の周りにつきまとってくるし、わざとらしくミスをしては俺にそのカバーをさせようとしてくる。


 それが意図的なものだとわかりきっているから、基本的には無視をすればいいのだが、しかし俺たちの小競り合いに他人を巻き込むのは違う。

 だから、他人に迷惑がかかるような状況、例えば、ジュースを持った状態で躓き、近くの人に中身が掛かりそうになったであるとか。そういう状況を無視するのは俺としても不本意なわけで。


 パシッ、と。宙を舞っていたパックジュースを掴み取る。中身が溢れないように、力加減は慎重に。

 そして、それを隣にいるイタズラ娘へ渡す。


「……碧原?」


「ありがとうね、黒崎くん」


 ニヤリと笑いながらそう声をかけてくる彼女に、俺はジトッとした視線で返す。

 こうしたやり取りをするのも何度目だろうか。他人を巻き込むなとは何度か言っているのだが、しかしそのたびに「わざとじゃないから」と「黒崎くんがなんとかしてくれるから大丈夫」と、いささか矛盾をしているような主張をしてくる。


 そして、碧原による俺の生活への侵食は、部活にも及んでいた。


「……これを聞くのも数回目だが、なんで着いてきてんだよ」


「んー、なんとなく?」


「またそれかよ」


 旧校舎、2階。数学研究部の部室の前で。当然と言わんばかりに着いてきていた彼女に問いかける。

 いつも、というわけではないが。しかし、少なくない頻度で着いてきている彼女に、よくやるなあという感想が出てくる。


「というか、お前他に部活に入ってなかったっけ?」


「私? 入ってるけど」


「そっちに顔を出さなくていいのかよ」


「まあ、出さなくていいわけじゃないけど、黒崎くんは心配しなくていいよ、大丈夫だから!」


「……そういう問題じゃないと思うんだけど」


 おそらくは俺に着いて来なかった日に顔を出しているのだろう。しかし、頻度を考えると本来の部活とこちらに来る回数と、望ましい関係が逆転しているようにも感じられる。


「……好きにやれとは言ったが、しかしやっぱり他の人に迷惑をかけんじゃねえぞ?」


「言われなくても。黒崎くん以外にはかけないようにしてるから」


「ならジュースを他人の近くで溢しかけるんじゃねえよ」


「心外だねぇ。私はあくまでジュースを溢しそうになって、それを黒崎くんが拾ってくれただけじゃない」


 コノヤロウ、本当に……。


「なんでもいいが、とにかく他人に迷惑をかけるようなことをするんじゃねえぞ」


「うん! 黒崎くん以外にはかけないよ!」


「できれば俺にもかけてほしくはないんだが」


 あっけらかんと言い放つ彼女にため息混じりにそう言い返す。


 本当にやりにくい。碧原という人物は。


 しかし、それと当時に変な感じもする。


 俺の知りうる限りでは、碧原という人物は堅物真面目な優等生、それこそ委員長とかそういうタイプの人種である。

 実際周りからの評価もそんなものが多くて、別に学級委員でもなんでもないのに、悪ふざけに委員長というあだ名がついた時期まであったくらいだ。まあ、そのあだ名はわかりにくいし勘違いが起きかねないと、すぐに誰も使わなくなったが。


 そんな彼女がわざとらしくミスをするというだけでもなかなかに違和感のある話なのだが、それに俺が無視するからといって、他人を巻き込みかねないミスをするようになったというから、つまるところ、本当にらしくない、のである。


 そういう意味では、ある種の安心感が、この部室にはあった。


「お疲れ様でーす」


「おう。来たか黒崎、それに碧原さん」


「どうも、お邪魔しまーす」


 どうしてこうなったのかはよくわからないが、碧原は数学研究部に、よく受け入れられ、そして馴染んでいた。

 その上、この場にいる全員が事情を知っているからだろうか。別段俺を立てなくてもいいため、ここにいる間は、彼女はわざとミスをしようとしたりしない。

 元より友達関係なんかも良好な人間なため、牧坂とはすぐに仲良くなったし、鈍川先輩や白石先輩にもよくかわいがられている。

 紫崎先輩もこれといって避けようとはしていないし、黄乃ちゃんこそまだちょっと紫崎先輩の後ろにいるが、全く避けられていないだけ、十分に受け入れられていると言っていいだろう。


 こうして見ていると、本当にただの真面目ないいやつなのだが。どうしてここの外になると、ああもめちゃくちゃなことをしてくるのだろうか。


 ……いいや、原因はわかっている。俺だ。


 俺が頑として本当の自分を出すのを嫌がっているから、彼女はそれを引き出そうとあの手この手と試しているのである。

 その結果、彼女はらしくもないミスをするようになり、それどころか他人に迷惑がかかりかねないようなことまでするようになってしまった。


「……いったい、どっちが本来の様子を見せてないんだよ」


 ボソリ、と。吐き捨てるように俺は言った。

 これじゃあ本末転倒ではないか。

 碧原は、俺に本来の実力を出してほしくて、そのために行動した結果、本来の彼女が消えてしまっている。

 逆に、俺の実力が知れ渡っているこの部室内では、元々の碧原の本来の様子が見れているのが、なんとも皮肉な話である。


 この状況を、手早く解決する方法は1つある。

 俺が、隠すことをやめればいい。

 彼女の行動の原因が、俺が隠していることなのだから、それをやめれば当然彼女もそれをやめる。

 だが、こちらだって生半可な気持ちで隠そうとしているわけじゃない。


 俺が本来の俺を隠し続ければ、彼女の本来の彼女も消え続け。

 俺が本来の俺を出す決意をすれば、彼女の本来の彼女も戻ってくる。


 ギリッと、歯ぎしりをする。


 ああ、本当に、やりにくい。






 それは、本当に突然に。

 そして、不意に起こった。


 パシャッ、そんな音が鳴って。俺は初めて気づいた。


「雨宮、掛かってないか?」


「うん、私は大丈夫。でも、遠野くんが」


「ああ、俺なら問題ない」


 その日も碧原のイタズラは続いていたため、俺は警戒をしていないわけではなかった。

 しかし、ずっと気にしているというわけでもないので、気を抜いている瞬間ももちろんあるわけで。

 そして、その悲劇はそんな瞬間に起こった。


「……あ、あぁ……あっ」


 隣にいた碧原の顔が、どんどんと青ざめていく。


 彼女の持っていたパックジュースが、例によって手から離れ。しかし、俺はそれに気づくことができなかった。

 そして、そのパックジュースが向かった先は雨宮さん。瞬間、近くにいた遠野がそれに気づき、彼女を庇って、今に至る。


「あ、ごっ、ごめっ、あのっ……」


 おそらくは謝罪の言葉を絞りだそうとしているのだろう。けれど、まるで言葉になっていない。

 碧原とて、ジュースをかけたくてやっていたわけではない。俺へのからかいとして、そしていつもの企みとして、行っていたそれ。

 しかし、彼女の本来の自制を超えてエスカレートしていっていたそれは、本当の被害を引き起こしてしまったことにより、碧原に強い衝撃を与えていた。


「すまねえ、遠野。俺持ってたジュースが思わず手からすっぽ抜けてな。悪い、本当に!」


「いや、しかしアレは。……いいや、わかった。大丈夫だ、気にするな。幸い今日は体育があったから、先生に話を通してそっちを着させてもらう」


 ……相変わらず遠野は気がつく男だことで。どうやらどっちの持ち物だったのかは気づかれているようだが、しかし俺の言葉の意図を汲み取ってくれたようで、とりあえずその場を収めることには成功する。


 そうして、その場は収まりはしたものの。


「あっあぁ……」


 こっちは、ちょっとまだ、ダメそうだった。

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