#10 少女はテストを対策する
放課後のこと。
「じゃあ橘さん借りるぞ! ほんとにいいんだな?」
「いやだから、別に橘は俺の所有物じゃねえよ」
私と灰原さんは勉強をすることになった。
いろいろと不安はあったものの、2人きり、で。
そんなこんなで、図書室へと向かう。場所は遠野くんに何度も連れてきてもらったから、なんとなくわかる。近くまで辿り着ければ、きっとあとはなんとかなる。
この角を…………多分右に曲がって、階段降りて、降りた先の、右手? 左手? どっちだっけ?
むむむ…………多分、右?
全く持って自信はなかったが、とりあえず進んでみる。すると現れた景色に私の記憶が反応する。
あ、この景色は見覚えがある。きっとこの先に……!
「ごめん、道間違えた」
「いいよいいよ、そんな日もあるって」
焦った様子でそうフォローしてくれるが、それがかえって割と傷つく。
辿り着いた先にあったのは、全くもって人気のない視聴覚室だった。
灰原さんの反応を見る限り、以前授業でこの教室を使ったそうだ。そりゃあ見覚えあったろうに。
私は謝り謝り、謝りながらにもとの道を辿る。たぶん、さっきのところを左だったんだ。
だから、さっきのところを曲がらずにまっすぐ行って、そのまま道なりにずっと進んでいく。
そうして、たどり着いた先は、案の定図書室だった。
思わず安堵の息が漏れる。
「そういえば、どうして図書室なの?」
図書室の学習スペースに座った灰原さんが聞いてきた。
「私じゃちょっと不安なところがあるから、わからなかったらすぐに調べられるように」
昨日は遠野くんがいたけど、今日はいない。頑張らないと……
遠野くんがいたら安心っちゃ安心なんだけど、今思い返してみれば、記憶のある範囲では私、遠野くんに頼り切りになっちゃってるし、あんまり頼ってばっかもよくないだろうし。
正直、自信はないけどなんとかしないといけないなとは思ってるし。だからこそ、遠野くんに頼らず、かつわからなかったらすぐになんとかできる(と思う)図書室に来た。
なぜか今からするのは勉強だというのに、楽しみなのか、そわそわしている灰原さんだった。
「よーしっ! 頑張って赤点回避するぞー!」
「やる気満々なのは構わないけど……」
私は灰原さんの唇にピトッと人差し指を当てていった。
「ここは図書室だから、静かに、ね?」
そっと人差し指を離す。灰原さんは体を縮め、顔を真っ赤にして「はい……」と言った。
図書室はテスト前ということもあってか、人が多く感じられる。
とは言っても、普段がどの程度なのかがよくわからないので、これが多いのが少ないのかは実際にはわからないのだけれど。
「だからここはxの2乗を別の文字に置き換えて」
「…………? 別の文字って何にすればいいの?」
「なんでもいいんだけど。aとか、あとは大きいXにするのが多いかも知れないね。あ、書き換えるときは条件式忘れないでね」
「そうなんだー。あっ、xの2乗をaにしてみるとたしかに解ける! ……じゃあ、これでいいの?」
「あー、これじゃあまだダメだよ。ほら、ここが因数分解できる」
「本当だ! 危ない危ない……」
楽しい。なんか、凄く楽しい。
高校生活してるって感じがする。遠野くんと一緒にいるときも凄く楽しいけど、それとはまた違う感覚がする。
「えっと、これはさっきみたいにして……」
灰原さんは次の問題に取り掛かっているようだった。練習の成果か、それともさっきやったから覚えているだけか、どちらにせよさっきよりもスラスラと解けていることには違いない。
ふと、灰原さんは手を止めてこちらを向いてきた。なにか詰まるところがあったのだろうか? どこで躓いたのだろうかと、ノートを覗き込もうとしたその瞬間。
「そういえばさ、橘さんは遠野のこと、どう思ってるの?」
「えっ!?」
急な質問に私は狼狽えた。
「いや、いつも一緒にいるし、どう思ってるのかなーって思って」
どうしてまたこのタイミングでまったく関係ない質問なのだろうか。それも遠野くんをどう思っているか、なんて。
遠野くん、遠野くん…………
私は記憶の中の遠野くんを全力で漁り、見つかった情報から、なんとか当たり障りのなさそうな部分をつなぎ合わせる。
遠野くん、いろいろと気になるところはあるけど、なにより遠野くんと言えば、
「まあ、いい人だとは思ってるよ?」
おせっかいなところもあるけど、優しいし、てかおせっかいも優しさの延長なんじゃないだろうか? それに結構頑固なところもあるけど、そういうときって一貫して誰かのために頑固だったり。
それから、それから………………お弁当、美味しくて。
「唐揚げ美味しいし、玉子焼きも美味しいし」
って、なんで私はお弁当の話をしてるんだ。遠野くんのことを聞かれたはずなのに。いや、お弁当の話で濁してるのか。ん? なにを? なぜ?
なぜ、私は無意識のうちに。いったいなにを濁してるんだ……?
えっ……なんでだ?
「そうじゃなくて、好きなの? ってこと」
その灰原さんの言葉に、私は一気に現実に引き戻される。
「え? 好き? 遠野くんを……?」
「うん。違うの?」
えっと……
まず、好きってなに? それってどんな感情?
真っ先に浮かんだ疑問はそれだった。
***
「で、実のところはどうなの? 好きなの?」
私は目の前でフリーズしている橘さんに改めて聞いた。しばらくぼーっと放心状態だったが、三度繰り返して聞いたくらいでハッと意識を取り戻した。
「わからない」
橘さんはそう答えた。短くて、簡素な文。
当然私はその言葉を至極簡単に受け入れられるはずもなく、というか……え、嘘じゃん?
嘘だ。いやいやいやいや、そんなはずないじゃん。あのいちゃつきぶりだよ? 疑った私は追加で聞いた。
「そんなことないでしょ。ほら、遠野といるとなんか感じたりしないの?」
「え? あー、確かに脈拍が速まったり、後は話してると遠野くんから違和感を感じたりすることはあるけど」
絶句、数秒考える。そして私の中の常識と照らし合わせる。
ねえ、それを好きって言うんじゃないのかな?
言葉にこそ出さなかったものの、私はそう思って苦笑した。
橘さんに勉強を教えてもらい始めてから、どれだけの時間が経ったろうか。
時間どころか、どれだけの日にちが経ったろうか。
毎日のごとく勉強を教えてもらい続け、そして今日。
ついに、ついにこの日が来てしまった。
「もうやだ帰る」
教室の前、扉を開けることが嫌すぎて、というか中にはいるのが嫌すぎて。
「まだ始まってもしてねえだろ」
テストを前にして、現実逃避をしようとした私を罵るように隆俊が言った。
首根っこを掴まれて教室に引きずられていく。
「ったく、昨日まで橘さんに見てもらったんだろ? 頑張れよ」
そう言われて橘さんの方を見ると、頑張ってと言っているようなジェスチャーが返ってきた。
「…………頑張るか」
やるしか、ないのか。いや、やるしかないんだ。
キーンコーンカーンコーン…………
チャイムが鳴った。
かなり、絶望に近い鐘の音が。




