#106 笹色の連立方程式
「お姉……ちゃん」
振り返ると、そこにいたのは会いたかった姉。
視線はやや下を向いており、その表情からも不安が見て取れる。
「えと、その……久しぶり? って、家族に対して久しぶりってのも変だね? ハハハ」
なんとか無音の空気をどうにかしようと言葉を探してみるが、どうして意味不明過去としか言えない。ジョークにしても笑えない。
そもそもそんなことを言うために、会おうとしていたんじゃないだろう! そう自分に喝を入れ、大きく息を吸った。
「お姉ちゃん、その、俺はお姉ちゃんのことが好きだ」
「……っ!」
ボフッと、そんな音を立てて蒸気が立ち上りそうなほどに、お姉ちゃんの顔が一気に紅潮する。
「この気持ちはさっきも言ったように、家族としてのものでもあるし、それと同時に異性としてのものでもある」
心臓が、鼓動する。改めて宣言するそれは、本人の目の前だからということもあってか、今にも身体を突き破りそうなほどに暴れる。
「俺は、お姉ちゃんとともに在りたい。お姉ちゃんとともに生きたい。そうしたいと思ったし、そう在るべきだと考えた」
お姉ちゃんは、なにも答えない。
けれど、これは俺ひとりでは答えにたどり着けない。だから――、
「でも、これはあくまで俺のしたいこと。……大切なのは、ふたりの答え。だから、お姉ちゃんの言葉が聞きたい。お姉ちゃんの気持ちが聞きたい」
そう言い、俺は彼女の顔をじっと見つめる。やっぱり未だに迷っているのだろうか。お姉ちゃんは俯いたままで、目を合わせようとしてくれない。
けれど、ぽつり、と。言葉をこぼしてくれた。
「私、も」
微かな声。しかし、間違いなくお姉ちゃんの声。
「私も、氷空が好き」
ポロポロと、瞳から涙が溢れながら、しかし彼女はそんなことを気にせずに言葉を続ける。
「私だって氷空のことが家族としても好きだし、異性としてだって大好きだもんっ! ……でも、でもだめなの、だめなのっ!」
まるで、子供の癇癪のように、泣きながらに己の主張を繰り返す。
「私も、氷空と同じで氷空と一緒に暮らしたい、生きていたい、ともに在りたいっ! でも、だめなのっ!」
なんとなく、彼女が次に続ける言葉に予想がついた。それは俺たちが姉弟だからわかったことでもあるだろうし、なにより、俺たちが今まで苦しめられ続けてきたことだったから。
「だって、私たちは姉弟なんだから!」
彼女はそう言うと、ペタリとその場に座り込んだ。
そして、抑えていた堰が決壊したのだろう。大きな声を上げて、涙をとめどなく流し、感情を顕にする。
俺はそんなお姉ちゃんに寄り添い、ただ、特になにをするわけでもなく、隣に在り続けた。
そうしてひとしきり泣いて。気持ちがある程度落ち着いたのだろう。お姉ちゃんは鼻水をすすりながら、声をかけてきた。
「私たちは、姉弟なんだよ」
「うん」
「姉弟は、結婚できないんだよ」
「うん」
「だから……でも、それなのに……それでも私と一緒がいいの?」
「うん」
迷いなく、はっきりと。俺は肯定を返した。
お姉ちゃんは一瞬驚いたようで目を丸めて、しかしすぐに目を伏せ、そっぽを向いてしまった。
「俺も最初は、いつか俺たちにもそれぞれ相手ができて、いつかは別れなければいけないときが来ると思ってた」
「うん」
「もしかしたら、これから先、そういうことが起こるのかもしれない」
「うん」
「けれど、こうとも考えられると思うんだ。お姉ちゃんと、俺と。姉弟として、一緒に生きていくという選択肢もあるんじゃないかなって」
……返事はなかった。
「別に、結ばれるというのは結婚という形だけじゃないと思うんだ。ともに一緒に在り、ともに生きる。それもまた、ひとつの形だと思うんだ」
返事はない。
「けれどこれには、様々な制約が降りかかる。できないことも多いだろうし、周囲から奇異の目で見られる可能性だってある」
返事はない。
「だからこそ、これはとっても苦しい決断になる。とっても辛い決断になる。……俺は、それをお姉ちゃんに強いるなんて、できない」
……やはり、返事はない。
「でも、どうしてだろう。俺はその苦しみも、辛さも、飲み込める。その先の未来に、幸せがあると、思うから」
返事はない。
「そうしていろいろ考えてて、ふと、思ったんだ。……はじめのきっかけは、友達に尻を叩かれたとき。ふたつめのきっかけは、お姉ちゃんに拒まれたとき」
返事はない。けれど、ほんの少し、隣に座るお姉ちゃんの身体が強張った。
「もしかして、お姉ちゃんも俺と同じなんじゃないかなって」
返事はない。そんなお姉ちゃんが握る手に、そっと俺の手を被せる。
ピクリと、突然のことに驚いた様子はあったが、振り解かれたりすることはなかった。
「俺が自身への痛みを飲み込めるものの、お姉ちゃんへの痛みを認められないように、お姉ちゃんも自身への痛みをは許容できるけど、俺が傷つくのは耐えられないんじゃないかって」
触れる手で、そっとお姉ちゃんの手を撫でる。
ほんの少しずつ、歩み寄る。決して一気に近寄ってはいけない。少しずつ、少しずつ。
「お姉ちゃんの、定まらない気持ち。それは、俺と一緒にいたいという気持ちと、それだと俺を苦しめてしまうという気持ち、なんじゃないかな」
そう言って、もしこれで間違ってたらすごい恥ずかしいな、なんて。……いいや、今はそんなことどうでもいいや。もっと恥ずかしいこと言ったあとなんだから。
それよりも大切なことがあるから。
「お互いがお互いに、一緒にいたいけど。けれど、それで自分がどうなろうと構わないけど相手が辛い思いをするのが嫌。……なんて、改めて見るととんでもなく不毛だよね」
まるで罪人がお互いに自分の保身に走って自供した結果、両方により重い罪が降りかかるみたいに。僕らは相手を傷つけたくないというエゴを盾にした結果、お互いが苦しい判断をしてしまっていた。
でも、そのエゴに、過ちに、ジレンマに。俺は、俺たちは気づくことができた。ならば、正そう。僕らにとって、一番いい落としどころへと。
「お姉ちゃんの苦しみを、半分俺に頂戴? その代わりに、俺の幸せを半分あげる」
俺がそう伝えると、彼女は首を振って。こちらを向いた。……久しぶりに、目を合わせた気がする。
「氷空の幸せは私の幸せ。貰わなくても、大丈夫。だから、代わりに貰うのは、氷空の苦しみを、半分」
そう言うと、彼女は撫でていた俺の手を取り、ギュッと握ってくる。
「こんな姉だけど、どうか、よろしくお願いします」
「こちらこそ、こんな弟だけど。どうかよろしくお願いします」
そうして俺たち姉弟は、歪な関係を。しかし、しっかりとお互いに見つめ合い、お互いにとってのよりよい着地点へと。
「とはいえ、問題は山積みだよね」
すっかり気持ちも落ち着いて、俺のベットに並んで座っていた。
「問題、例えば?」
「いくら結婚無しの関係で留まるからと法律からは抜けられたとしても、隠し通すことは無理だよねってこと」
お姉ちゃんがそう言って、俺はたしかにと納得する。
元より仲のいいふたりだったから、多少イチャイチャしている程度ではなんとも思われない可能性はあるが、それがずっと、更にはエスカレートしていけば、なにかしらを疑われかねない。
もちろん、それを加味してお姉ちゃんに告白して入るが、できればあまりイザコザは発生させたくはない。
「とりあえず、お父さんとお母さんには、どうにか説明しないとだよね……」
「そうだね」
両親にとっては跡継ぎがいなくなるかもしれない、喫緊の課題だろう。そうでなくても、娘と息子が……という、親としてもあまり嬉しくない状況なのには違いない。
はたして、どうやって説得すべきだろうか。
俺とお姉ちゃんとでウンウンと唸っていると、ちょうどというべきか、タイミングが悪いというべきか。
玄関の開く、音がした。




