#100 ブラコン少女は思い悩む
自室。入試までもう少ししかないこともあって、試験勉強をしなければいけない。
「…………」
そう、わかっていても、進まない。問題に取り組もうとしても、それより先にどうしても氷空のことが浮かんでしまう。
「ほんっと、弱い」
自分で自分のことが嫌になる。つい2時間前くらいに割り切ったばっかりだろうと、自分自身を諌める。
開いた参考書を閉じて、天井を仰ぐ。
……時間というものは、どうしてこうも残酷なのだろうか。
『姉ちゃん! 見て! 合格したよ!』
今年の3月、そう言って大喜びしていた氷空の姿を思い起こす。
それから、もう9ヶ月も経とうとしている。――そして、そんな高校から私は3ヶ月もしないうちに卒業してしまう。
姉ちゃんと……私と一緒に通いたい。そう言って氷空は頑張って受験してくれたというのに、私と彼の間にある2年という差が、その必死の努力を1年と経たずに引き裂いてしまう。
私が中学を卒業するときの氷空の表情は、未だに覚えている。とても悔しそうで、とても寂しそうで。
『やっと追いついたと思ったのに、また先にいかれちゃったな』
私たちの力ではどう足掻いても覆すことのできないルールにもどかしさを感じながら受け取った卒業証書。あれほどに私たちの間にある2年を恨んだことはなかった。……今までは。
いや、せめて立場が逆だったら、いくらかマシだったろうに。そう思い、下唇を噛む。
あんまりこういう言い方はしたくないが、少なくとも氷空は私よりも勉強が苦手だ。
しかし、彼は私と同じ高校に通いたいという思いで同じ高校を受験し、そして合格した。受験勉強を始めた頃は中学の先生から無理と言われるくらいに成績が目標から乖離していたとも聞いている。
ただ、これだけを聞けば彼は頑張ったね。で、いい話なる。そして、なんら問題のないことのようにも見える。
しかし、そんな単純な話でもないのだ。
氷空は私と同じ高校に通いたいという理由。たったそれだけのために中学の2年間を犠牲にしたのだ。
私も両親から話を聞かされるまで知らなかった。両親も、3年のときに担任から相談されるまで知らなかった。……氷空が隠し通した。
氷空は、自分の実力より上の高校に受かるためだけに、部活をやめた。……辞めたことは知っていたが、彼の口からは部活の中でイザコザがあって、嫌になって辞めたと聞かされていたが、実際のところは勉強に充てるためだった。
しかし、それだけじゃなかった。彼は勉強するために交友関係の一切を断った。
その事実を両親から聞かされたとき、私はひどく驚いた。学校の先生から言われた両親も同じようだった。
なにせ、家での氷空は2年生の頃も、3年生になっても、1年生の頃と変わらなかったからだ。
いや、全く変わらなかったかというと、振り返って言うなら違っていた。たしかに、頑として彼は学校生活についての話題を触ろうとしていなかった。しかし、たしかに家の中での彼は「今までどおりの氷空」を演じきっていた。
きっとその裏には、私や両親を心配させたくないという思いがあったのだろう。
しかし、その事実を知った私が抱えた感情は、申し訳なさだった。
私のせいで――その思いが真っ先に生まれた。
私だって氷空と同じ高校に通いたいとは思っていた。それは氷空も同じだった。それ自体はなんて嬉しいことだろう、叶えばいいなと思った。
ただ、仮にそれを叶えるというのならば。なんて先行有利な条件だろうか。
私は「自分の行きたい高校」を選ぶことができた。しかし氷空は「姉の行った高校」しか選ぶことができなかった。仮にそれがどれほど自分の実力より上であっても。
自分の安易な考えで、どれほどの重荷を氷空に負わせてしまったのかと、痛く感じた。
これについて氷空に問い詰めても、きっとはぐらかされるだろう。あるいは、私のせいじゃないと告げられるだろう。
――氷空は、勉強が苦手だ。少なくとも私よりかは苦手だ。
返して言うのならば、こと勉強に限っていうのならば私のほうが良くできた。
逆であれば、どれほどよかっただろうか。氷空が先に高校を選ぶことができたなら、どれほど楽だったろうか。
しかし、この2年という時間は決してひっくり返らない。――大学を選ぶことができるのも、結局は私なのだ。
「もちろん、氷空が同じ大学を選ぶとは限らないけど」
仮にそうなったとき、私はまた氷空にとてつもない重圧をかけることになる。……前回の比ではない、とんでもない重圧を。
大学入試は高校入試のその比じゃない。自分の実力の少し上を狙うだけでも、相当の努力を要するものになる。
そうなれば、彼はまた高校で孤立してしまうかもしれない。そうなってしまっては、再び氷空を苦しめることになる。
だからといって氷空に合わせた大学選びなどしようものならば、それこそ氷空が許さないだろう。
「そうなると、やっぱり、弟離れをするべきなんだろうな」
そして、氷空も姉離れを。
なんてとんでもないブラコンだろうか。……そして氷空も、ものすごいシスコンだ。
自分でいうのもなんだが、すごい姉弟だ。
「やっぱり、なんとかしていかないと」
自分のためにも、氷空のためにも。
しかし、わかってはいても、気持ちの面ではとても難しい話だ。
どうしてこう、彼のことを嫌いとまではいかないでも、意識しないようにしようとしても思い出してしまう。今ちょうどやろうとしていた勉強にしてもそうだった。
……いつかは、そうしなければならないとはわかっているのに。
いつかは、彼と別れなければお互いの未来を拓くことができないとわかっているのに。
しかし、割り切れない。
「本当に、弱いな。私」
なんとかしてこの想いを忘れていかないと。
今一度、姿勢を正す。先程まで取り組もうとしていた過去問に再び向き合い、思考の端にいる氷空を必死に無視しながら、なんとか解き始める。
「ただいまー!」
玄関の方から声がした。氷空の帰宅を告げる声だった。
「おか――」
どうしてだろうか。迎え入れるための声を出そうとして、途中で止まる。
氷空も、きっと私から離れようと必死に努力している最中なのだ。……そんな彼に、私はどんな声をかけられるのだろうか。
それでも挨拶くらいはするべきなのだろうが、どうして声が出ない。
無視をしたくて無視をするわけではないが、氷空の声に答えることなく、私は再び机に向かった。
* * *
「そ、れ、でっ!」
バンッ! と強く机を叩き、彼女はグイッとこちらに身を乗り出してきた。
「それでって何? 麻衣ちゃん」
私はわざとそうやってとぼけてみせる。もちろん、そんな誤魔化しが聞くわけもなく目の前にいる麻衣ちゃんはムッと表情を悪くする。
「詩織? 何を聞かれてるのか、わかってるよね?」
「ハイ、ワカッテマス」
思わず、カタコトになってしまう。
土曜日。麻衣ちゃんに呼び出され、郷沢くんと私の3人が机を囲む形で。……否、正しくいうならば私を詰める形でふたりが対面に並んで座っている。
「それで? 遠野くんと一緒にお昼ごはんを食べるようになって、何か進展はあった?」
「進展って言われても、一緒に食べてるとはいえみんなで一緒にーって感じだし、特に何かあったってわけじゃないから……」
私がそう答えると、面白くなさそうに麻衣ちゃんがむくれる。見かねた郷沢くんが鎮めようと軽く声をかけるが、焼け石に水だった。
「もう。それじゃあ、なにか気づいたことでもなんでもいいから何かないの? この際ただの惚気でもなんでもいいからさー」
面白い話が聞きたい、というのがとてもわかりやすく伝わってくる。
「あはは……」
そんな彼女の様子に、私はただ笑うしかできなかった。




