受動的想像と能動的想像
今回の雑記は「へぇーそんな人がいるんだ」と思って貰えれば成功です。
特に意味は無いです。
受動的想像
能動的想像
私の考えた言葉です。
既にあるかも知れませんが調べてません、この話の中で通用する言葉と思って下さい。
W
X
Y
何に見えたでしょうか?
①アルファベットの羅列
②女性の体
③中学二年生の初恋の女子
①を選んだアナタは純粋無垢です、これからも汚れず生きて下さい。
②を選んだアナタは受動的想像です。
③を選んだアナタは能動的想像です。
改めて言いますが私が考えた分類ですよ?
小説を読むときの情景描写についてです。
皆さんはどのように想像して情景を自分の頭の中に描くのでしょうか。
●受動的想像
まず、真っ白いキャンバスを頭の中に用意し、情景描写が出る度にキャンバスに描き加えていく。
情景描写が終わったあとキャンバスに空白部分があると物足りなさを感じる。
作家の腕次第で落書きからデッサン、絵画、写真、動画にまで昇華される。
●能動的想像
まず、最初の1ワードで自分の中の引き出しから最も近い写真を頭の中に用意する。
情景描写が出る度に写真を交換、または一部を塗り替える。
結果的に空白部分はなく物足りなさは感じない。
作家の腕に左右されず小説を楽しめる。
恐らくですが圧倒的に受動的想像の人が多いのではないでしょうか。
能動的想像の人なんて本当にいるの?
私です。
変? そうかもしれませんね。でも実在するのだから仕方ない。
そんな人が小説を読むとどうなるのか。
例えば『登場人物二人が部屋に入る。机ある。壁に絵がある。話しをする。部屋を出る』という話しの流れとしましょう。
登場人物の会話が机と絵について何も触れず終わり、二人は部屋を出てしまう。
すると「え! 机は? 絵は? 伏線? なんで描写したの?」と、なります。
厄介でしょ?
推理小説ばかり読んでいると描写された物が全てトリックではないかと疑いたくなるのです。
まあ人によると思いますけどね。
なので情景描写の多い作品は読まないのです、いや読めないのです。
まるで消防車のホースから無理矢理水を飲まされているような感覚に襲われるのです。
さて〆ます。
冒頭に書いたように「へぇーそんな人がいるんだ」と感じてもらえたら御の字です。