表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/6

彼女の名は

「なんなんだ、いった――いッ!?」


 左手から生じた痛みが腕を駆け上り、鋭く脳天を突く。


 虚を突かれて目を見開き、すぐに視線は左手に向かう。


 痛みの原因、それは言うまでもなく貫かれた怪我が原因だ。だが、今までとは痛みの種類がまるで違う。この針で奥深くまで刺されるような、身の毛もよだつ感覚は明らかに可笑しい。


 痛みで霞む視界の中、それでも焦点を合わせて傷口を見る。


「あ――」


 引き抜いた筈の管や触手が傷口の中で蠢いている。


 残りの命を振り絞るかのように活動を再開していた。


 瞬間、駆け上がってくる。這い上がり、駆け上がり、痛みと同じ経路を通って、管が、触手が、脳を目指して急速に昇ってくる。


 廻り、巡る、感情の濁流。身の内側を侵される不快、焦燥、悪寒、嫌悪、恐怖、激情、絶望。


 様々な負の感情が背筋を駆け抜け、それは俺に再び鉄パイプを握らせた。


 この左手は、もう俺のものではない。化物だ。化物になってしまった。だから、殺さなければ。始末しなければ。殺される。殺される。殺される。いやだ。いやだ。いやだ。それだけは、絶対に。


「ああああああああああああああああああああッ!!」


 絶叫を上げて、振り下ろす。


 自分の左腕だったものを殺すために。


「待った」


 しかし、実行には移せない。


 振り下ろす段階で背後から誰かに腕を掴まれた。逆らえないほど強く、握られた。すぐに背後を振り返ろうとした。だが、それよりも早く体勢を崩され、抗う術もなく背中から地面へと押し倒される。そうして無防備になった所へ、腹の上に誰かが乗り右手を押さえ付けられた。


 自分の上に馬乗りになった謎の人物、それは同年代くらいの女子だった。


「これ、食べて」


 視界いっぱいに写るのは、目の前に突き出された丸い何か。


「ふざけるなッ!」

「ふざけてない、早く。時間がない」


 時間がないのは俺も同じだ。皮膚の下を這う化物は、もう首元にまでやって来ている。早く殺さなければ、殴らなければ、潰さなければ、壊さなければ、取り除かなければ、化物になってしまう。


 邪魔をするなら、容赦はしない。


「こ、のォ!」

「おっと、そうはいかないよ」


 精一杯の抵抗を試みたが、しかし不思議なことに身体はぴくりとも動かない。


 相手は女子だと言うのに、尋常ならざる力で押さえ付けられる。左手は元より自由が利かない。だが、右手は今でも健在だ。女子一人ていど軽く押し返せるはずなのに、それが出来る気がしない。


 いったい何者なんだ。何がどうなっている。


「あぁ、もう、頑固なんだから。しようがない」


 そう言った彼女は、何を思ったのか突き出していた丸い何かを口に含んだ。


 そして。


「むぐぅ!?」


 彼女以外が、見えなくなった。


 重ね合わさる唇と唇。強引にこじ開けられた口内に、噛み砕かれた固形物が流れ込んでくる。あまりに予想外で、衝撃的な行動。理解不能な状況に陥って抵抗もままならず、成されるがまま流し込まれた何かを呑み込んだ。


 喉が鳴り、呑み込んだことを確認したのか。彼女はその後、ゆっくりと離れていく。口元を隠しながら立ち上がった彼女は、二歩ほど俺から距離を取った。


「な、なんのつもりだ、これは」


 上半身を起こして、彼女を見据える。


「しようがなかったんだよ」


 そう言う彼女の頬は、すこし赤らんでいた。


「こうでもしないとキミ、死んでたし」

「……どう言う意味だ?」

「左手、見て見なよ」


 そう言われて、見るまでもなく気が付く。あの異質な鋭い痛みが消えていることに。それどころか傷口自体の痛みもない。遅れて視線を左手に写すと、あれだけ深い傷が跡形もなく消えていた。


 化物も活動を停止したのか、ぴくりとも動かない。動かないが、たしかにそこに存在していた。


「いまキミに……その、食べさせたのは、寄生生物の活動を抑制する実だよ。早く摂取しないと手遅れになる。だから……あぁしたの」


 口移し。


「そう……なのか」


 色々と信じがたいことばかりだけれど、現にこの寄生生物とやらは活動を停止している。していなければ、今頃あのホームレスのようになっていた。赤黒くておぞましい、あの化物に成り果てていた。


「その……なんだ。悪かったよ、あぁいうことをさせて」

「いいよ。キミは助かった」


 そう言って彼女は微笑んだ。


 感謝の言葉もない。だが、ここは素直にこう言って置こう。


「それと、ありがとう」

「えへへ、どういたしまして」


 疼きもなくなり、正常に戻った左手を支えに立ち上がる。


 その後、手の平を握ったり開いたりしてみたが、痛みもなく、違和感もない。しかし、いなくなった訳じゃあない。寄生生物は活動を抑制されているだけで、今でもこの手にいる。安心は、まだ出来なかった。


「……そう言えば、まだ名前を聞いてなかったよな? 立花尊人たちばなみことだ」

「私は玄狩百合くろかりゆり。高校二ね――」


 そこで玄狩は言葉を切る。唐突に、喋るの止めた。


「尊人くん。ゆっくり、音を立てずにこっちに来て」


 その言葉の意味は、すぐに理解できた。


 この耳に届く水音が、血を啜る音が、背後にいる何かの存在を明確にした。まだ生きているのだ。死んだかに思われた化物は、ただ気絶しただけだった。そして、今まさに意識を取り戻そうとしている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ