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蠢く何か

「う……うぅぅぅぅぅぅ!!」

「あ、おい、おっさん。大丈夫か?」


 状況把握もままならない中、ホームレスがまた苦しみの声を上げる。


 先ほどよりも症状が進行しているのか、その声音は濁っていた。今にも死にそうな、断末魔のような声。


 やはり言葉を無視して救急車を呼ぶべきだったと後悔した。此処がどこかわからない以上、救急車を呼ぶことは難しい。そもそも電波が通っているのかも怪しいくらいだ。


「あぁ、くそ。俺にどうしろってんだよ」


 一介の高校生に医学の知識なんてない。せいぜい、怪我の応急処置が関の山だ。病状も分からない人間を助けることなど出来はしない。そうこうしているうちにも、ホームレスの体調はどんどん悪くなっていく。


「た、どり……ついたんだ。また、もどって……これた。これで、たすかるんだ」


 譫言のように訳の分からないことを呟いて、洞窟の先を食い入るように見つめている。

 もはや立てる気力も体力もないのに、這いずってでも奥へと向かおうとしている。このホームレスの目的はなんだ? 前にも来たことがあるのか?


「うッ――うぅ」


 尽きない疑問を頭に浮かべて途方に暮れていると、素人にでもわかるような異変が起こる。

 手足の異常な震え、痙攣したかのように跳ねる身体、激しい発汗、喉が潰れたような声。いよいよ不味いと思ったのも束の間。


「――ああああああああッ」


 それは目に見える形で、発症した。


 無数に生え、蠢く何か。


 それはホームレスの服の下を這いずり回り、次第に人体の末端へと広がっていく。手先、足先、首へ頭へと浸食したそれは、その時になってようやく正体を露わにする。


 蠢く何かの正体は、赤黒く血に濡れた夥しい量の管、触手。まるで植物が発芽するかの如く、首筋から頭部にかけて赤黒く染まっていく。手足も同様に赤黒くなり、最後には服を突き破って管や触手が宙を彷徨い始める。


 そして、目から、口から、出口を求めるかのように、粘液と共に、血液と共に、管が、触手が、ずるりと這い出る。その姿はもはや、人の体を成してはいなかった。


「に、逃げ――」


 逃げなければ。この目の前にいる化物から、一刻も早く遠ざからなければ。


 頭ではわかっている。理解もしている。だが、未だ驚愕の渦中にいる身体が言うことをきかない。足が竦み、力が入らず、腰が抜けそうになる。後退ろうとはするものの、ほんの僅かにしか移動できない。


 悠長にしているうちにも、ホームレスだったものは更なる変貌を遂げた。


 糸の切れた操り人形のような歪な動きで立ち上がった化物は、その顔の半分が剥がれていた。ぼとりと、剥がれた皮膚が地に落ちる。露出した部分には、赤黒い管と触手が虫の群れの如く蠢いていた。


「た……ス、けて」


 変貌を遂げた化物は、言葉を模倣しながらにじり寄ってくる。


 一歩、また一歩と距離を詰めてくる。それが溜まらなく怖く、不気味で、耐え難い。


「ふざけるなッ! こんなことに俺を巻き込みやがって! 死ぬなら一人で死にやがれ!」


 恐怖を振り払うように感情的になり、怒りで心を上書きしようと試みる。


 無意識に言葉を荒くし、声を大きくし、全身に力がこもる。威嚇するように、怒鳴るように、感情を前面に押し出した。


「う……うぅぅぅぅ」


 だが、それが誤りだった。


「ぅぅぅぅぅううううううッ! あああああああああああああああああッ!」


 洞窟全体が震えるほどの声量。耳を覆いたくなるようなおぞましい奇声。怒鳴り声に呼応するかのように発せられたそれは、俺の身体を数秒硬直させるに余りあるほどの迫力を備えていた。


 だから、避けられなかった。


 硬直の最中を狙われた。動けない隙を狙って、化物は自身の一部を突くように伸ばした。それは束ねられた管と触手の集合体。複雑にうねりながら絡み付く、一本の槍。硬直が解けた頃にはすでに遅く、咄嗟に突き出した左手を貫かれる。


「う、ぐぁッ! う、でがッ――あああッ」


 手の甲から突き出した赤黒い槍は、直後にほどけて分散する。傷口から血を啜り、増殖しながらこの腕を這い上がってくる。激しい痛みと、身を侵される不快感が込み上げ、無理にでも引き抜こうとするが、管と触手が絡み付いて離れない。


 右手に握っていた鉄パイプで腕を削ぐようにしてみても意味はない。何度削いでも、何度剥がしても、体表を這う管や触手は一向に減ることはない。ただただ身体を侵され、支配され、徐々に自分の制御下から離れていく。


「くそッ、くそッ、くそッ!」


 このままでは奪われてしまう。


 俺の身体が、あのホームレスのように乗っ取られる。化物に、なってしまう。それは嫌だ。それだけは、絶対に。ただ死ぬならそれでいい。だが、化物に成り果てるのだけは、必ず阻止しなければならない。


 どうすればいい。どうすれば、化物に成らずに済む。どうすれば、人間のままでいられる。


「――あぁ……そうか……」


 貫かれた左手を握り締め、管を、触手を掴んだ。痛みで決心が鈍らぬように、自らの拳で決意を固めた。そして意を決して地面を蹴る。蹴って、前に出る。自分から距離を詰めて、化物に肉薄した。


 どうすれば人間のままでいられるか。


 答えは簡単だ。


 化物を殺せばいい。


 一息に懐にまで潜り込み、反撃の余地を与えることなく攻撃に打って出る。振るうのは鉄パイプ、狙うのは皮膚の剥がれ落ちた頭部。走り抜けた勢いをそのまま得物に乗せて、全力を込めた一撃を放つ。


 ぐしゃりと、肉と骨が砕ける音がした。


「ハァ……ハァ……ハァ……」


 眼下には、化物が倒れている。その頭は鉄パイプの殴打によって陥没していた。


 皮膚が裂け、頭蓋が割れ、衝撃は内部をも破壊されている。いくら化物でも生きているなら殺せるはずだ。頭を潰せば、死ぬはずだ。


「あぁ……くそ、最悪だ……」


 折れ曲がった鉄パイプを捨て、その手で自らを貫いた管や触手を引き抜いた。壮絶な痛みと共に血に塗れたそれが地に落ちる。活動を停止した赤黒い何か。それが繋がる先に変わり果てた姿で地に伏すホームレスが写る。


 人を殴った。人を殺した。


 いや、違う。


 化物を殺しただけだ。


 自分の身を護るためだった。


 正当防衛だ。


 殺さなきゃ俺が殺されていた。


 そう、思い付く限りの言い訳をしてみても、そのどれもがまだ受け入れられそうになかった。

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