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タイプライター

「タイプライターが異世界に、ねぇ」


 星の少ない夜空を見上げて呟いた言葉は、先ほどファミレスで友人から聞いたものだ。


 そのタイプライターは異世界に繋がっている。


 よくある都市伝説の話で、何処かにある特別なタイプライターに、とある言葉を打ち込むと異世界に行けるらしい。噂好きが話す与太話も、ここまで突拍子がなくなると笑い話にもならない。


「ふぁ……げ、もう九時か」


 欠伸を一つしつつ、何気なくみた携帯電話の画面は午後九時を示していた。門限はとうに過ぎていて、母さんからの熱い折檻は避けられそうにない。潔く諦めることにして、視線を携帯電話から正面へと戻す。


 その時だった。


「――うぅぁ」


 いま、微かに人の声がした。


「なんだ?」


 周りを見渡してみてもそれらしい影はない。だが、声だけは断続的に聞こえてくる。


 よく耳を澄ましてみると、それは左の方向から発生していた。自分の左側にあるもの。それは巨大な陸橋と、その下への立ち入りを拒むフェンス。


 声は、そのフェンスの向こう側から聞こえてくるようだった。


「……ホームレスでも棲み付いてんのかよ」


 もしそうだとして、だとしたら何故こんなに苦しそうな声を出しているんだ?


 病気なのか? 病院にいく金もなくて病状が悪化した、とか。だから、苦しんでいる?


「いや、いや、いや。俺には関係ないし」


 触らぬ神に祟りなし。


 聞かなかったことにしようと、止めていた足を動かした。一歩二歩と歩くうち、しかし耳にこびり付いたかのように苦しむ声が離れない。だから、考えてしまう。このまま家に帰ったとして、もし次の日の朝になってその誰かが死んでいたとしたら、と。


 それは、俺が見殺しにしたことになるんじゃあないか?


「あ」


 そして、言い訳が出来なくなるものをみる。


 開いているのだ。フェンスの向こう側へと続く、金網の扉が開いている。この道の先、すぐそこを曲がれば陸橋の下に行くことが出来る。行って苦しんでいる人の所へ向かうことが出来てしまう。


「あぁ、もう……しようがない」


 確認だけだ。確認だけして、すぐに戻ろう。どうせ何事も起こっちゃいない。起こっていたとしても些細なことに違いない。俺はそれを確認して、あぁやっぱり大したことなかったと、すっきりとした爽やかな気分で帰路に付く。それだけだ。


 心のもやもやを解消するため、道を逸れて陸橋の下へと足を運ぶ。


 月明かりの差し込まない暗闇の中を携帯電話の明かりで照らしながら、声がする方へと進んでいく。


「おッ……と」


 爪先に走る予想外の衝撃と、その後に鳴る金属音。明かりで蹴飛ばした何かを照らしてみると、そこには錆び付いた鉄パイプが転がっていた。すぐに周辺を照らしてみると、他にも空き缶や瓶が散乱している。


 流石は人が寄り付かない場所とだけあって荒れ放題だ。


「……護身用には、使えるかもな」


 そう思考が巡って、蹴っ飛ばした鉄パイプを拾い上げる。


 何かに襲われるかも知れない。なんてことは微塵も思っていないが、武器を持っているだけで安心した。小学生の頃に木の枝を装備した時の無敵感に近いものがある。


「さて、鬼が出るか蛇が出るか……」


 心なしか独り言を大きくしながら、なおも声の主へと近付いていく。


 数秒か、数分か、時が経つのも忘れて暗闇を歩く。その果てに行き着くと、そこで粗末な建造物をみる。陸橋の柱を支えに作られた、朽ちた木材や腐った段ボールの集合体。だが、たしかに人が生活していたという痕跡を残す、家。


 それが明かりに照らされて、暗闇の中でぼんやりと聳えていた。


「この中か……ホームレスだな、こりゃあ」


 窓がなければ、通気口もない。その子供の工作のような家は、外から中が窺えないような作りになっている。内部の様子を窺うには、入り口から入らなければならない。


 一度、大きく息を吐いて、鉄パイプを握り締める。あらゆる状況に対して備えをし、俺はゆっくりと家の入り口から内部へと侵入した。


「――おいッ! 大丈夫か!」


 声の主はすぐに見付かった。


 倒れていた。使い古したぼろぼろの毛布の上で、苦しそうに胸を押さえている。息が荒いし、顔色もよくない。このまま放って置いたら死んでしまう。そう思考が働いて、すぐに救急車を呼ぼうとした。


 だが、それはホームレスの奇妙な言葉によって遮られる。


「お……して、くれ。たの、むぅ」

「押す? 押すって何をだよっ」


 この緊急時に助けを呼ぶより優先することがあるのか。


 疑問の答えは、ホームレスが振える指先で指し示した場所にあった。急いで明かりをそちらに向けると、暗闇の中でそれが浮かび上がる。


「タイプ……ライター……」


 友人が話していた都市伝説が、今ここでフラッシュバックする。


 同じ言葉の羅列が脳裏を過ぎていく。


 そのタイプライターは異世界に繋がっている。


「たのむ……おして、くれ。Nを……最後のNをっ」

「い、いや、でも先に救急――」

「押してくれェェェエエエエエ!!」


 何がなんだか分からなかった。でも、それでもその男の鬼気迫る言葉に気圧され、指先はタイプライターに向かった。視線を彷徨わせ、男の言うNのアルファベットを押し込む。かちゃりと音がして上部の紙にNの文字が記された。


 そして、完成する。


「トランス……ミッション」


 TRANSMISSIONの文字列が出来上がった。


 それを口に出したが遅いか早いか、携帯電話の明かりが消えて視界が暗転する。


「明か――電池がっ」


 携帯の電池が切れて電源が切れた。


 咄嗟に下した判断は、しかし誤りだったと知る。携帯電話の電源は入ったままだ。画面は正常に現時刻を示しているし、明かりもきちんとついている。電源は、一度も切れていない。


 なら、あの暗転はなんだったのか。


 そこまで思考が巡った段階で、ようやく気が付く。手元がやけにはっきり見えることに、周りが異様に広く感じることに。視線を携帯電話から周囲へと移す、そして理解した。この空間が、満月の夜の如く明るいことに。


「なん……だ、これ」


 洞窟。周囲を一目見て抱いた印象は、無骨な岩肌が露出した洞窟だった。


 明るさの原因を探って見ると、天井の部分が淡く光っているのが見えた。星のように散りばめられた鉱石が光を放ち、月光のように洞窟内を照らしている。


 明らかに此処は、別の場所だった。ホームレスの粗末な家でも、光の届かない陸橋の下でもない。


 ここは、何処だ?

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