猫
とりあえず、マナミはロッカールームへタオルを取りに行った。
いくら自分勝手なタカヤとは言え、マナミにも人の情けというものがある。髪の毛からぼたぼたと水を滴らせている同居人を放っておけるほど非情にはなれない。
かといって、ドアの鍵を交換してまで締め出した手前、簡単に元通りにも出来ない。
何とも説明のつかない複雑な気持ちのまま、ロッカーからタオルを取り出し、足早にタカヤの元へ戻った。
そのタカヤはといえば、全く悪びれる様子も見せず、ロッカールームから戻ったマナミに向かってへらへらと手を振っている。
それを見たマナミは、タカヤの顔面に思い切りタオルを投げつけた。
「ちょっとちょっと、マナミちゃん。もう少し優しくしてあげなさいよ」
さっきマロのおかげで若干和らいだ怒りが再燃した。
経緯を知らないマルヤマは、当然のことながらタカヤをかばう。
それがまた、マナミには癪に障るのだった。
「いいんですよ、そんな奴。風邪引こうが何しようが、自分の好きに生きてるだけなんですから。人の気も知らないで暢気なもんだわ」
「あらやだ。喧嘩でもしたの?あんた達」
「そんなんじゃないです。タカヤのいつもの放浪癖が出たんです」
それを聞いたマルヤマは、いつも笑っているように見えるたれ目を寸の間丸くした。
「なら、何で怒ってるの?」
怒っている……?
マナミは、今自分を支配しているこの感情が『怒り』であることに、今更ながら不快感を覚えた。
タカヤが家に帰らない事など、一度や二度ではない。
『いつものこと』として、いつものように受け流せばいいのだ。
マルヤマもタカヤの放浪癖は聞いていたので、マナミが怒ることに驚いている。
理由は何なのか、マナミなりに考えてはみたものの、とんと分からない。
じくじくとした胸がむかつく感覚だけが、マナミの心を覆っていた。
「タカヤ君はまるで猫みたいだねえ」
唐突に、マルヤマがそんなことを言い出したので、マナミはまたしてもマロの顔を思い浮かべ、ぷっと吹き出した。
「やだ、マルヤマさん。そんな可愛い生き物じゃないですって、こいつは」
うちのマロとは大違いだ、とマルヤマに反論すると、
「だって、懐いたと思ったらぷいっとどっか行っちゃうって、猫そのもの。本当はマロちゃんと生まれる生物間違えたんじゃないの?」
閉店時間を知らせる『蛍の光』が、客のいない店内に響き渡る。
マルヤマはいそいそとレジ点検を始め、ものの数分で終わらせると、
「じゃ、お先にい」
マナミとタカヤを残し、従業員扉へ消えて行った。
二人の間に、一瞬気まずい空気が流れる。
それを打ち消すようにマナミはレジ点検を始めた。
タカヤはただ、黙ってそれを見ている。
一円の誤差も無いことを確認し終えると、マナミはタカヤに向き直り、溜め息をつきながら、
「……あんた、行くとこあるの?」
と問いかけた。
マナミの顔を少し見つめて、タカヤは首を横に振る。
(本当、私ってどこまでお人好し……)
心の中でつぶやいて、大きく息を吐いた。
「着替えたらお客様入り口に回るから、あんた外で待ってなさい」
いまいち意味を掴めていない顔のタカヤに、マナミはしぶしぶこう言った。
「傘が一本しかないから、入れてあげるって言ってるの」
タカヤの返事を待たずに、マナミはレジを出てロッカールームへ急いだ。
何だか、猫のいたずらを叱った後でやっぱり可愛くて許してしまうような、くすぐったい気持ちになっていた。




