決壊
思ってもいなかったタカヤの行動にマナミは一瞬パニックになり、思わずタカヤの腕を振り払ってしまった。服の袖でぐいぐいと涙を拭うマナミのその腕を、タカヤは力強く引き寄せる。
再び抱きしめようとしたその時、マナミはタカヤの胸を押しのけて言った。
「……誤魔化さないで。私、そんなに簡単な女に見える?」
マナミの言葉にタカヤはたじろいだ。
「あの人はタカヤにとって何? 私とは違うの?」
一度決壊した堤防は水の勢いを止められない。
自分の口から次々とタカヤを責める言葉が飛び出すのを、マナミはどうすることもできなかった。
「私あなたのこと、初めは何とも思っていなかった。只の居候で、弱いくせにお酒大好きで、すぐ酔っぱらって迷惑ばっかり掛けられるし本当に困ってた。だけど一緒に居たら楽しかったの。あなたはどうなの? 私のことどう思ってるの。都合のいい女、只の同居人、それとも母親?」
タカヤは困った顔をしながら、黙ってマナミの憤りを受け止め続ける。その態度にマナミの心は尚更ささくれ立ち、激昂した。
「……こんな時にさえ何も言わないのね。言い訳するのも面倒な存在っていうこと? もういい、分かった。私達、これきりにしましょう。あの人の所でもどこでも、好きなところに行けばいいじゃない!」
泣きながら激情を吐き尽くしたマナミに、掛ける言葉をタカヤは持っていない。只一方的に投げつけられる感情を一身に浴び、傷ついても傷ついてもじっと待つことしか、タカヤにはできなかった。それがマナミの望まぬことであったとしても。
だが、タカヤの心はもう限界だ。
はっきりと拒絶された。そのことが、彼には耐えられなかった。
マナミの顔をじっと、悲しい色の瞳で見つめると、背を向けて歩き始める。とうとう、タカヤの後ろ姿は闇に紛れて見えなくなった。
そこには、夜の静寂と、巻き戻せない時間の大きさに今更気がついた、一人の哀れな女性だけが残された。
呆然としながら、無意識に家へとマナミは歩き出す。壊れた彼女の心を慰めてくれるのは、もう、一匹の猫しかいないのだ。滂沱の涙を拭くこともせずに、重い心を引きずりながらマナミはタカヤのもう戻らない家に一人帰り着く。
玄関で、猫が主の帰りを待っていた。




