プロローグ
人は、一体どうやって現実とそうでないものとを見分けられるのだろう。
今自分が見ている風景は、触っているものは、聞いている音は、食べている食事は、果たして『本物』なのか。
誰が、現実を現実であると証明してくれるのだろうか……。
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「マルヤマさん、お先に失礼します」
「お疲れ様。また明日ね」
夕方の買い物客が一段落し、後は半額の惣菜目当ての、おそらく一人暮らしであろう人々がまばらな『スーパーあべ』である。
入り口から一番遠く、五番レジを締めると先輩レジチェッカーのマルヤマに声をかけ、精肉コーナー横の『従業員以外立ち入り禁止』と書かれたアルミの扉を押し開け、ロッカールームへと入った。
マナミ、36歳、近所の『スーパーあべ』のレジ係。高卒。容姿は十人並み。取り柄といったら丈夫な身体と図太い神経。
特に夢も無く、物欲も無く、結婚願望は無いわけではないが色恋にも縁遠い。
家族は雄猫。白地に焦げ茶のまだら模様で、額に眉毛みたいなブチがあるから名前は『マロ』。
マロとは3年前の雨の日、スーパーの駐車場で出会った。ガリガリに痩せて車の下に震えながら隠れていたのを、半ば無理やり連れて帰ってきたのだ。
初めは当然彼女に全く懐かず、部屋の隅に逃げ込んではシャーシャーと威嚇していたが、餌で釣ること一週間、微妙な距離を取りながらも同居人として落ち着いた。
それからは良く食べ良く眠り、今ではすっかり拾った当時の面影は無く、立派な身体を日がな一日、日当たりの良い窓際に横たえている。
あとは、ロクデナシが1人。
タカヤとは結婚している訳ではない。一緒に住んではいるが、男女の関係になったこともない。
年齢不詳、職業不詳、経歴も、本名さえも全く不詳の謎の男を、結婚前の女の部屋に何故住まわせているのか、今となっては彼女自身よくわからない。
はっきりしていることは、この男がロクデナシだということだけだ。
いつも、ふらりと居なくなっては突然帰ってくる。
ある時は行きずりのケバいギャルを三人、何の断りもなくいきなり連れ帰り、マナミに食事の支度とギャルの相手を押しつけ、自分はさっさとマロを抱えてマナミの寝床に潜り込んで寝てしまった。(いつもはソファで寝ているのだが)
当然、マナミもギャル達も気まずい雰囲気になったのだが、幸い三人共どぎついメイクや長いゴテゴテのネイルに反して、話の通じる相手だったため事なきを得た。(後々歳も近いことが判明した)
食事を共にし、布団はタカヤに取られたので仕方なく女四人で雑魚寝し、翌朝体の痛みで起床し、化粧もそこそこに出勤のため皆で家を出た。
今ではマナミの友人として、よく家に遊びに来る。
タカヤは本当に得体の知れない男だ。身なりは気にすることもなく、無精髭にぼさぼさ頭。服装は明るいグレーのスウェット上下にサンダル履きがデフォルトである。
よくまあこんな格好で女性に声を掛けられるものだと、呆れつつも感心するのだが。
女にだらしないだけならまだいい。……酒癖が悪い。
決して暴力を振るうタイプの悪さではないが、強くもないのに限度を超えて飲み過ぎるため、しょっちゅうあちこちに迷惑を掛けている。
マナミも、はじめのうちはしなくてもいいお節介を焼いて、潰れたタカヤを迎えに行き、店に謝り、飲み代を立て替えていた。
しかし、ある時はたと気が付いたのだ。
「何故、赤の他人の私がここまでしなければならない?」
当然の疑問である。むしろ何故最初にそう思わなかったのか、マナミはお人好しな自分を心底恨んだ。
大体どうして自分の所に連絡が来るのか。タカヤが勝手にマナミの連絡先をあちこちで触れ回っているからである。
先に断った通り、タカヤとマナミは夫婦ではない。つまり、タカヤの行為は立派な犯罪だ。自分の知らないところで個人情報を見ず知らずの人間にばらまかれている。
マナミはその日のうちに携帯番号を変え、ついでに家の鍵も変えた。