導かれて
そこには街があった。
逢ったことの無い大勢の人がいる街。
会話をした事も笑い合った事も無い人々が、何かを求めるように溢れる街。
そして、仲間が集う街だった。
そう。……だった。
俺は彷徨っていたのかな?
目的地も解らずにひたすら歩き続けているのだから、迷っていたのとは違うのだろう。
俺は何かを探していた。誰も教えてくれない何かが、きっと何処かにあるのだろうと思っていたのかもしれない。
理由なんて無かった。目的なんて大袈裟な言葉は恥ずかしい。
でも、それって見つける事が出来たのだろうか。今となっては良く分からないや。もう、あの街へは行けない。
霧が深いな。ここって何処なんだろう?
俺はまだ歩く。きっとあるだろう蜃気楼のような何かに向かって随分と歩く。名前も知らない男の人が言っているのを聞いたんだ。
「ずっと向こうの方に街があるんだよ。大勢の人が絶えず集まる賑やかな街さ。知ってるかい?」
その人が喋っている相手は俺じゃない。見知らぬ女の人に話し掛けていた。その女性は随分と若い。いや、若いと言うより、まだ幼い女の子のようだ。
その子は自分も今直ぐにでもそこに行ってみたいと、まるで跳ねるような答え方で、ぱっと何かが輝いたみたいだ。
「そこって、いっぱい人がいるの? 楽しいとこ? 意地悪な人って居ない? 行きたい! どこ? どこにあるの? ねぇ、私も連れてって!」
男の人は残念そうに、「僕も行った事が無いから知らないんだ。でも本当にあるらしいよ。とっても楽しくて、いい街だって聞いたんだ。でも、見つける事が出来なくて……」と声を落とす。
少女と二人っきりが不釣り合いなほど、その男の人は幼くはない。会話を聞く限り、まだ、それほど親しい間柄でもないようだ。きっと偶然出会ったその少女に聞けば、街の場所が解るかもしれないと考えたのだろう。
男の人が言っていた。まるで蜃気楼のような街で、案内を見たって人もいるけど、地図にも載っていない、とっても深い森の奥にあるらしい。
二人の話しは聞くとは無しに聞こえてくる。
その街を探そう。蜃気楼のような街を。
霧の中に1軒だけぽつんと建っている丸太で造られた喫茶店を見つけた。迷う事も無く重い扉を引くと、そこには10人も入れば一杯となってしまうような、山小屋風な粗くて狭い室内。暖炉の火がちろちろと燃えていて、その暖かさに誘われて足を踏み入れる。誰も居ない喫茶店。客も居なければ、店主の姿も見えない。
あれ? 準備中? それとも定休日?
壁には何枚もの写真が所狭しと飾られている。花だったり、山だったり、建物だったりと。不思議と人の写真は見当たらないけど、動物園のトラとかライオンの写真も並んでいる。きっと趣味で撮ったものを飾っているのだろうな。でも、これと言ったテーマは無いみたいだ。
A4サイズに統一された写真の中には、随分とピントが甘いのやら逆光のまであって、全部に日付が入っている。2年前のが一番新しい。
改めて店内を見渡すと、カウンターの奥に一冊の何の変哲もないノートが置かれているのに目が留まり、近づいてみると表紙に手書きで「雑記帳」と大きく書かれたノート。
手にとってペラペラとページをめくると、いろんな人の筆跡でノートの半分近くが埋まっていた。どうやら、この喫茶店を訪れた人が書き残していったものらしく、全部が詩とその感想のようだ。丸っこくて可愛らしい字体が多い。きっと女の子のお客さんが多かったんだろうな。
名も無い人の作った詩を読んでいると、洗練されていない言葉の奥から、その人の疼きみたいなものが見えてきて、妙に入り込んでしまう。
ある女の子の詩が目に留まる。
この子って凄い。読んでいるこっちが恥ずかしくなるような、心の奥のドロドロしたものをダイレクトな言葉を使って吐き出している。バランスやテンポも悪くって読み難い詩なんだけど、身を削りながら生きてる姿が浮び上がってきた。
「サリーって名前なんだ。幾つだろう? 高校生かな? 逢ってみたいな……あれ?」
サリーが書いた詩は幾つもあった。他の人の書いた詩を飛ばしてサリーのだけを読む。彼女の詩は、字体からでは無く内容で分かった。サリーの書いたものはそれほど独特で、多くの何かを身体の奥から引きづり出すように書き連ねている。
読み進むうちに、逢ったことも無い、見知らぬサリーという少女の輪郭が見えてくるような気がして、その幻をなぞる。
落ち着いたーーそれまでの詩とは違って和やかな詩を見つけた。これもサリーが書いたの? まるで女の子らしい詩だ。華やいでいて陰が無い。
その詩の後ろには同じ字体でコメントがある。
先週、凄い街に行ったの。そこには学校もあって、めっちゃ楽しいの。友達もいっぱい出来た。これ読んだ人いたらおいでよ。楽しいから。
そのコメントの下には簡単な地図が書き記してある。彼女が書いたのだろう。
サリーの詩はそれが最後だった。その後はこの喫茶店を訪れることをしなかったのか。雑記帳なるノートも、そのサリーのコメント以降は真っ白のままだ。日付けが書いてある。2年前だ。
サリーの書き残した凄い街と、前にすれ違った男の人が言っていた賑やかな街のイメージが重なる。同じ街のような気がした。でも、こんないい加減な地図で辿り着けるのだろうか? しかし、他に当てがある訳でも無く、俺は喫茶連を後にしていた。行ってみたい。何かがあるような気がして。
舗装もされてない道が真っ直ぐに伸びているのだが、濃い霧が歩く数メートル先をも隠している。
人が大勢いる臭いを嗅いだ。ざわめく声が聞こえる訳でも、多くの明かりが灯されているのが見えた訳でも無いが不思議と判った。賑わいだ、人通りの多い街がこの道の向こうにある。
行こう。
きっとある。
あの詩を書いたサリーに逢えるかもしれない。
巴里の凱旋門のような大きな門が出迎えてくれた。その門には「WELCOME 魔法の街へ」と書かれた看板が吊り下げられている。いつの間にか霧は晴れていた。
勝手に入っても良いものなんだろうか?
敷地を取り囲む壁が遥か彼方まで延びていた。入り口はその門だけのようだ。外界とは区切られてはいるけど、特別なセキュリティーがあるようには見えないな。
躊躇いながらも足を踏み入れると、それまでは壁に隠れて見えなかった立て札が幾つも地面に突き立てられているのが否が応でも目に入る。
なんだこれ? 随分いっぱいあるな。これって木製の立て札じゃないけど何で出来てるんだろう?
素材までは判らなかったっが、雨風に晒されても腐蝕することの無いような立て札が、これから歩いてゆく方に向かって、ずらっと並んでいる。最初のに目を通したが、それは妙にくどい言い回しで、俺は声に出してもう一度読んでいた。
この魔法の街は私有地です。全ては、わたくし、アリス個人に帰すものとなります。その権利を侵すものへは何人たりとて厳罰をもって処することと致します。
しかしながら、上記前文は来るものを拒む意思を示すものではありません。
この魔法の街では、訪れた方それそれが主役であり、かつ、全体の調和を重んじる、真の意味でのワンオブゼムを追求しております。女も男も子供も大人も、皆が平等であり、弱者など存在しません。
但し、この魔法の街で起きる、物質的、肉体的、又は精神的トラブル等々につきましては、アリス個人が一切の責任および関与を拒むことを、門より中に足を踏み入れた者全員が了承したものと理解致します。全てが自己の責任をもって解決を図り、その結果如何を問わず、それらに関する一切の異議申し立てを行なわない旨に同意した者のみの訪問を許可します。
又、別標に掲げるルールをもって、この魔法の街の法律と定めます。その定めが何よりも優先される事をここに、わたくしアリスが宣言します。その定めに異を唱える者の入場は、如何なる場合であっても認めるものではありません。
定めに対する違反者の特定、並びに対処法については、全て、わたくしアリス個人に決定権があるものとします。
最初の一段と大きな立て札にはそう書かれていた。次に並んでいる立て札には、きっと、この街の法律が示されているのだろが、あまりの多さに読む気を失せてしまった。
これを隅から隅まで読んで、全てを頭に入れている人なんてきっと居ないはず。
どう考えても、この街が出来た当初からあったとは思えないな。おそらく、次から次へと増えていったのだろう。全部を無視して、俺は街の中央へと向かっていた。
巨大なスクリーンが設置された中央広場に出た。そのスクリーンには横書きの文字が上へと流れ続けている。
玲子です。昨日はとても楽しいひと時を過ごさせて頂きまして、本当に有難うございました。初めてアリス様とお逢い出来てお話までさせて頂き、とっても感激です。なんて気さくで素敵な人なんでしょう。またお逢い出来ることを心からお待ちしております。
アーサーと申します。昨日はタッチの差でアリス様とお逢い出来ませんでした。残念で悔しくて眠れませんでした。いつかお逢い出来る日を心待ちにしています。
延々とスクリーンに流れる文字の群れ。どのコメントもアリスを讃美する言葉に溢れている。この街ではアリスが王なのか……