ケロ太のために
「推理」を選ぶにはへっぽこすぎるので、「文学」です。でもそんな高尚じゃない日常のお話です。
「ケロ太のために」
今日、カエルが死んだ。
三年一組の教室で、みんなで飼っていたアカガエルのケロ太のことだ。
俺が見た時にはもう水槽の水の中で腹を上向けて動かなくなっていて、全員がその前にたかっていた。赤茶色の体は、動かないせいでなんだか縮んだようにさえ見える。
「うっうっ……ケロちゃん……ケロちゃんが死んじゃった」
ケロ太死亡のニュースから早一時間、帰りの会が終わってもまだ泣きじゃくっている相手に、俺はため息をついた。
「もう泣くなよ。ったく、いつまでたっても泣き虫だよなスズは」
スズ――本名、栗原美鈴は、真っ赤になった目でそれでも俺をにらみつけた。勢いよく顔を上げたせいで、二つに結んだ栗色のやわらかい髪が揺れる。
「泣き虫じゃないもん。レンくんが冷たすぎるんだよ。どうして平気なの? おたまじゃくしから育ててやっとカエルになった大切な一匹だったのに、ケロ太のこと可愛くなかったの?」
俺が口を開ける前に、そんな美鈴を囲むのはクラスの男どもだ。正確に言えば、俺とよくつるんでいる亮太と賢人と晃の三人。まだ俺より背の低い亮太と晃が、にやにやしながら俺を見やる。
「そうだよ漣、ケロ太が可愛くないのかよ」
「あ、可愛いのは美鈴だけ、ってか?」
「ばっ、何言ってんだ。別に俺は――」
「お、漣の奴赤くなってんの~美鈴ラブだ美鈴ラブ!」
家が隣同士で、幼稚園から一緒の俺たち。去年までは大してみんな意識してなかったのに、なぜか最近こんな風によくからかわれる。しつこく絡まれて、否定する俺の声もでかくなった。
「ちげーよバカ! 誰がラブだ!」
給食袋を振り回して追いかけるが、逃げ足の速い亮太と晃は廊下に飛び出していく。そこで戻ってきた担任の千里先生に廊下を走るなと叱られ、しゅんとうなだれているのを見て俺はほくそ笑んだ。が、美鈴の鋭い目線に射抜かれ、あわてて神妙な顔を作る。
まったく、泣き虫なくせに怒ると気が強い、厄介なやつなのだ。
「さあみんな、ケロ太のことはかわいそうだけれど、いつまでも残っていたらだめよ。先生がお墓を作ってあげるから、一緒に来たい人だけついてきなさい」
まだ二十代の千里先生は、そうやって言葉だけは頼りがいのある言い方をしながら、水槽の前に立つ。けれどぷかぷか浮かんでいるケロ太を直視できず、どうやら職員室で調達してきたらしい割り箸でつまみあげようとする手は震えている。
見かねた俺が、横から素手でケロ太の死体を取り上げた。
「いっ、伊田くんったら、そそそ、そんな素手で!」
「今更何言ってんだよー先生は。俺たちはずっと素手で世話してたんだぞ」
「そうだよ。しかもおたまじゃくしの時捕まえてきたのも俺たちだろー」
さっき叱られたことなどもう忘れたらしい亮太と晃が横から言い添えて、千里先生は頬を引きつらせて笑う。
「そ、そうよね。そうだったわね。やっぱりみんなの手でちゃんと成仏させてあげないといけないわよね」
春の校外学習の時、発見したおたまじゃくしをクラスで飼いたい、と言った時と同じ泣きそうな笑顔だ。優しいから断れなかったのだろうけれど、内心はほっとしているのかもしれない。飼いはじめてほぼひと月、自主性を重んじるとか何とか言いながら、千里先生はケロ太の世話をほとんどしていなかったのだから。
鋭い美鈴は、それを察知しているみたいな微妙な顔で先生を見ている。それでも素直に校庭についてきて、スコップで花壇の隅を掘るのを手伝った。できあがった穴に俺がケロ太を置くと、また大粒の涙を流しながら美鈴が土をかけた。先生が用意してくれた木の札に『ケロ太のおはか』と丁寧に書いたのも美鈴だった。みんなで手を合わせ、もっともらしい顔で黙祷する。
「おたまじゃくしの時はまだしも、カエルの飼育ってね、実は結構難しいらしいのよ。ほら、生きた虫しか食べないでしょう。そうやって上げても食べなかったり、個体によっては育たないものもあるみたいだし」
だから、あまり気に病まないでね――そう言って先生は戻っていった。
「わたしたちが捕まえてこないほうが、ケロ太は幸せだったのかなあ」
ごめんね、と言った美鈴の涙声に、誰も答えることはできなかった。
そして帰り道。美鈴はようやく泣きやんではいたが、まだ目尻が赤いままだった。
なんとなく声をかけられないでいた俺と、変わらずバカ話ばっかりしてその場を明るくしようとする亮太と晃。せいぜいその程度しかできない年相応な俺たちとは身長も頭の中身も少々違う賢人が、ぼそっと呟いたのだ。
「ケロ太の死因を解明しよう」と。
賢人の思いつきが、先ほどの美鈴の後悔に対するものだとわかったのは、少し後のこと。ケロ太の死、という事実は変えられないけれど、その理由を知ることで多少なりとも美鈴の――そしてみんなの後悔を軽くできないか。賢人はそう考えたらしい。
こうして集まったのは賢人の家。今回の提案の言いだしっぺなだけでなく、単純に、クラスのみんなが集まれるくらい大きな家に住んでいるからだった。
「なあ、賢人。塾行かなくていいのか?」
クラス一の秀才は、毎日学習塾に通っている。遊び回る俺たちを横目に飄々と(最近覚えたばかりの言葉だ)、将来エリートの道に進んでいる賢人。それでも気取らず、意外と面倒見がいい性格が好きで、俺たちは仲良くしている。
「うん。今日は休みにしてもらう。来週の模試の準備だし、それだけなら家でも問題ないから」
「すげーよな賢人は」と口々に褒め称える男たち――ちなみに、電話で召集してやってきたクラスの半分ほどだ――をよそに、意気込んで本題を思い出させたのは美鈴とその仲良しグループ四人の女子だった。
「そんなことよりさ、早く始めようよ」
「そうそう、ケロ太の冥福を祈るためにも、真面目にやらないとだめだよ」
なーにが冥福だ。つい吹き出してしまった俺は、またも美鈴に冷たい目で見られる。
何だよ、ケロ太を捕まえてやったのは俺なのに。一緒にわくわくして覗き込んでいた美鈴の横顔を思い出し、なんとなく腹立たしくなる。そんな俺の内心に気づくことなく、美鈴は言った。
「賢人くん、始めて」
凛とした目を向けられた賢人は、こくりと頷いてホワイトボードを持ち出してきた。家にこんなものがあることが不思議なのだが、勉強に使うことがあるのだそうだ。
メガネを押し上げた賢人が、『議題』と書き出す。ちなみにまだどっちも習ってない漢字だったが、賢人が読み上げたからわかった。
『なぜケロ太は死んだのか?』
そう書いた次は、こうだった。
――予想死因一、自然死。
「自然死って何―?」
「あれじゃね? 心臓麻痺とかさ、そういうの」
「カエルが心臓麻痺―? あんのかよそんなの」
ガヤガヤとうるさくなったその場に、賢人の咳払い。なんとなく静まったみんなが、ホワイトボードに書かれた文字を読んだ。
「自然死=が、がい……」
「外傷」
「外傷や、ろう……何て読むんだよ」
「老衰。年取って弱っていくこと。つまり、ケガとか病気じゃなく、年取って弱って死ぬのが自然死。要するに、これはケロ太には当てはまらないってわけ」
当然だ。ケロ太はまだカエルになったばかりなのだから。じゃあ何で書くんだよ、と突っ込む前に、賢人は几帳面に説明した。
「ないことはわかってるけど、世にある死因としてまず挙げてみただけだよ。じゃあ次、予想死因二。これがさっき亮太たちの言ってた、心臓麻痺とかそういうものも含むよね」
――予想死因二、病死。
そのまま、病気による死だ。突然のものも、慢性の持病によるものも合わせるのだと賢人が語る。
――予想死因三、事故死。
これこそ突発的な事故による死で、何か外からの刺激が加わり死に至る(ケガとか)。そして最後の予想死因四は、
「他殺? ああ、それわかる! 誰かに殺されたってことだろー」
突如盛り上がり始める男たち。よく探偵アニメとかである用語だからだ。
「えー! ケロ太が誰かに殺されたって?」
「うっそ! でもあり得なくはないよなー」
一気に興奮する亮太たちをいさめたのは、またも女子たちだった。
「ちょっと! それが喜ぶことなの?」
「そうだよ、ケロ太がかわいそうじゃん」
おいおいお前ら、いつからケロ太のことそんなに想うようになったんだ? 世話もろくにしてなかったくせに。
ひそかに冷たい目線を送る俺だが、頷いている美鈴の手前、沈黙を守った。
「でもさ、どうやってそのどれかがわかるわけ?」
「……だよね。みんな気づいた時にはもう死んじゃってたんだし、死因なんてねえ」
沈黙はみんなに広がっていく。けど、そこはやはり賢人のこと。ちゃんと答えは用意してあったようだ。メガネの奥の切れ長の目を細め、クールに取り出したのは小さなメモ帳。ページを捲りながら、賢人はホワイトボードに書き出していった。
午後二時三十分、ケロ太の死亡確認。続く午後三時四十分、ケロ太埋葬。(その間は教室の全員でケロ太の水槽に誰も触れていないことを確認している)
いきなりテレビの推理モノみたいになってきた展開に、俺はちょっとわくわくする。もちろん口には出さずにだ。
「第一発見者は栗原さん。トイレから戻っていつものように水槽を見たら、ケロ太が浮いていた。そうだったよね?」
いつの間にやらこんなメモまで取っていたらしい賢人に念を押され、美鈴はおずおずと頷く。
「ということは五時間目が終わって、六時間目が始まる前の休み時間にケロ太が死んでいることがわかった、ってことだ。でも、みんなが気づかなかっただけで、その前に何らかの原因でケロ太が死んでいたかもしれないよね」
「あ、あたし朝来たばっかりの時、ケロ太が動いてるの見たよ!」
「俺は二時間目の終わりにケロ太にちょっかい出しに行ったー」
みんなの目撃情報を、賢人はホワイトボードに書き入れていく。ちゃんと時間軸に沿って、正確に整理されたことで俺にもわかりやすくなった。
「昼休みが始まった時に何人かでいつもみたいに餌を上げたから……最終的に目撃情報がないのは、五時間目が始まる直前と終わりのチャイムがなるまで。でも、授業中だとしたら他殺の可能性は限りなくゼロに近くなる」
先生もいるし、授業中の教室で犯行に及ぶやつはいないから。賢人の説明は明確で、本当の探偵みたいだ。
「もし授業中に死んでいたんなら、病死や事故死の可能性が大きいってことだね」
導き出された結論にみんな頷いていた時、俺はふと思い付いて口を開いた。
「あのさ、そうとも限らねーと思うんだけど」
「え? 漣? 何だよ横から~」
「そうだよ、せっかく賢人がすげーうまくまとめてくれたのに」
「いや、別に賢人の推理がどうとか言うんじゃないんだけどさ……ほら、よく探偵モノとかでも、毒をもって、時間差で死んだりするのあるじゃん。だから、授業中でも他殺の可能性はゼロじゃないんじゃないかなーって」
「ああ、そっか。そうだよね。うん、漣の言うとおりだ」
賢人が感心したように言ったから、男たちは尊敬の眼差しを向けてくる。俺もちょっと鼻高々な気分になりかけるが、美鈴の顔は一層暗くなった。
「そんな……ケロちゃんに毒なんて、そこまでひどいことする子がクラスにいるなんて思いたくないよ」
「だって、クラスメイトだけとは限らないだろ? 休み時間のうちに他のクラスのやつが入ってきて何かしたってことだってあり得るじゃんか」
「誰かそんなの見た人いるのー?」
「俺は見てねー」
がやがやとざわつき始めるメンバー。結論が出ない中、一人静かにしていた女子に賢人が聞いた。
「斉藤さん、他のクラスから誰か来たりしたか知らない?」
斉藤香苗――いつも静かに教室で本を読んでいるタイプの女子。そうだ、斉藤なら誰が教室に出入りしたか知っているかも。期待したみんなに突然注目され、おどおどと香苗は目を伏せた。が、きっぱりと断言した。
「誰も来てない……私、見てたからそれは確かだよ」
がっくりと肩を落とす残り全員。そんなひどい行為をする人間が自分のクラスにいるとは、やっぱり誰も思いたくないのだ。
「ちょっと待って。他殺って決まったわけじゃないよね。急な病気とかで死んじゃった可能性もまだあるもん」
一人の女子が言ってから、美鈴はぽつりと呟いた。
「……カエルの病気って、どういうのがあるんだろう。例えば本当に、心臓麻痺とかもあるのかな?」
「カエルの心臓は人と違って一心房一心室だって言うけど、特に若いカエルでそういうことが起こりやすいとか、実験してカエルの心臓が止まったとかいう検索結果があるから、あり得るんじゃないかな」
カタカタと、素早い動きでノートパソコンまで操り、答えを導く賢人。
「他殺か病死か事故死か……でもさ、本当にちゃんと死因解明しようとしたら、死体掘り出して解剖するとかしかないんじゃないの」
俺の発言に、みんなが「うえー」とげんなりした顔をする。怒りに燃えた美鈴の目が飛んできて、俺はまた内心怯えた。
「いいよ……やっぱり解明なんてしたくない」
膝を抱え、美鈴が俯いたことをきっかけに、その場の空気も重くなる。結局、子供の自分たちにできることなど何もないのだ。
そう思い知った気がした瞬間、俺の頭に閃くものがあった。ガタンと椅子から立ち上がり、同じく黙り込んでいた香苗のもとへ歩み寄る。
「お前さ、今日先生に呼ばれてなかったか?」
「え、あ、うん。そういえば」
香苗自身も忘れていたのだろう。今思い出した顔で頷いたのを見て、俺も確信を深めた。渡り廊下からぼんやり聞こえていた会話を、なんとか思い出す努力をする。
「そうだ。家庭訪問でも話できなかったって、あの……内海くんのことだよ。千里先生本当に困ってて、なんとか学校に来てもらえるように話したいんだって。私の家近くだから、一度行ってみてもらえないかって言われてたの、忘れてた……」
ケロ太のことがあってすっかり頭から飛んでしまっていたのだと、香苗は申し訳なさそうな顔になった。が、それはみんな同罪だ。だって、四月から一度も顔を見せていないクラスメイトのことを思い出す奴など、一人もいなかったのだから。
「内海、なんだっけ……名前」
「宇宙」
美鈴の声に、みんなが振り返る。
「そうだ、内海宇宙だよ! 思い出した。名簿見て、変な名前だなってみんな笑ってたじゃん」
最近はありとあらゆる名前があふれているから大抵は驚かないけど、それでもやっぱり名前が壮大すぎて笑えたのだ。
「ちょっと待って。やっぱり私、昼休みに見た子がいたかも」
記憶を探るように、香苗が言った。
「さっきは忘れてたけど、昼休みの途中で、先生に呼ばれて廊下に出たんだ。その後、一人で教室に戻った時……知らない男の子とすれ違ったの。他のクラスの誰かかなって思った。でも、もしかしたら教室に入ろうとしてたのかな」
「マジかよー」
「やっぱ他殺説浮上―?」
また騒ぎ始める男子にたじろぎながら、それでもはっきりと香苗は続けた。
「教室に入ったか入ってないかは、見てないから何とも言えないんだけど……でも、なんかすごく慌てた顔してたっていうか、急いで行っちゃったんだよね。そうだよ、それで、その子が落とした本拾ってあげたのに、すごい勢いでひったくって逃げちゃった。誰だったんだろう、あの子」
「本――」
賢人がメガネを押し上げながら、呟く。何やら俺たちには理解のできない推論を色々立てているらしい賢人の背中を、俺は軽く叩いた。
「頭で考えるのもいいけどさ、とりあえず動いてみるってのもアリだと思うぜ?」
「漣?」
「レンくん、どういう……?」
美鈴にも疑問の目を向けられる。注目を集めたことが照れくさかったけれど、俺は思いついたことをそのまま提案した。
その後、千里先生にメールを送って、返ってきた住所に俺たちは全員で向かった。
三階建ての、まだ新築のペンキが匂いそうな真新しい家。表札は、内海。そう、まだ誰も会ったことのないクラスメイト、宇宙を訪ねに来たのだ。
何と言っても、クラスの半数ほどがいきなりやってきて、どうしても宇宙に会いたいと訴えたもんだから、相手方も驚いたらしい。というか、両親不在で、いたのはお手伝いさんだったのだが。
十分ほど待って、やっと下りてきた宇宙は、ものすごくびくついた顔をしていた。やせて、背がひょろりと高い、いかにもおとなしそうな奴だ。
みんなが初対面の中、たった一人、香苗だけが声を上げた。
「さっきの子だ! あなたが内海くんだったの……!?」
その一言で蒼白になった宇宙は、ずるずると玄関に座り込んでしまった。ごめんなさい、ごめんなさい――そう連呼する宇宙の言葉を、俺たちは驚きと共に聞いた。
全員が通された広い広いリビングで、俺たちはケーキとジュースを出された。が、誰もそれに見向きもしなかった。あれほど謎に満ちていた今日の『ケロ太死亡事件』の思いもよらない真相がわかったからだった。
「ぼ、ぼく……ただ、餌を上げようとしただけなんだ。ち、千里先生が電話で一生懸命クラスのこと話してくれていて、最近カエルを教室で飼っているって教えてくれたから……ぼ、ぼく生き物が好きだから……それで」
しゃくりあげながら宇宙が説明した事情はこうだ。誰もが外に出ていた昼休み、先生にも言わずひっそりと学校へやってきた宇宙が、餌にと捕まえてきたミミズをあげようと水槽に手を入れた。元気に育つように、そう思って大きめのミミズにしたのだが――それを見た途端、いきなりケロ太が飛び上がって、くるりとひっくり返って水に落ちてしまった。そして、そのまま動かなくなった。慌てた宇宙は持ってきた生き物図鑑を抱えて、廊下に飛び出した。
その時遭遇したのが香苗だったらしい。
「それって……どういうこと?」
宇宙が話し終わり、なんとか泣きやんで、その後かなり経ってから美鈴が発言した。呆然としていたみんなの代わりのように、賢人が続ける。
「えっと……びっくりして、ショック死しちゃったってこと?」
それこそみんなのほうが『ショック死』みたいな顔をしていたのだが、ぽりぽりと頭を掻いた俺は付け加えてみた。
「わかんねえじゃん。もしかしたら溺れたか、落ちた拍子に飾りの石に頭打って死んだのかも」
「そんな……それって」
「どんだけ間抜けなんだよケロ太……」
ついに堪え切れなかったのか、それとも何も考えなかったのか、亮太が言った。言ってしまったから、みんなが爆笑した。
「嘘、カエルなのに溺死―?」
「餌がでかくてびっくりしたとか?」
「マジかよそれ。ってかさ、別に誰も悪くないじゃん」
ひとしきり盛り上がるその場の空気に、目を赤くしていた宇宙もほっとしたような顔をする。もちろん最後は、美鈴の一声でみんな沈黙することになった。
「笑っちゃだめだよ! 笑うなんて……そんなの……ケロ太が、ケロちゃんがかわいそう」
例によって愛ある美鈴の言葉に反発できる奴がいるはずない。確かに笑ってはかわいそうだ。でも、懸命に沈痛な面持ちをしようとしていたみんなの努力は、なんと怒っていたはずの美鈴によって台無しにされた。プッと、美鈴までも小さく吹き出してしまったのだ。
「ごめ……で、でも、やっぱり考えてみたらケロちゃんちょっとドジ、かも……」
その告白でみんながほっとして、また笑いの渦が巻き起こった。今日が初対面のはずの宇宙とも、俺は背中を叩き合って笑う。笑って笑って、笑い飛ばしてから、俺たちはやっとケーキに手をつけた。そして食べ終わる頃には、不自然でない静けさが訪れる。タイミングを見計らったように、遠慮がちに宇宙が取り出したのは、携帯の写真アルバムだった。
今日の日付で撮影された、ケロ太の姿。餌を上げる前にこっそり撮ったものだそうだから、これが正真正銘最後の、ケロ太の写真だ。映っているのは、こちらに背を向けて壁を眺める小さなケロ太。まるで自分の非業の運命を知っているかのような、哀愁漂う後ろ姿だった。
みんながしんみりとして、口々に生きてた頃のケロ太の話を始める。また泣き出した美鈴の頭をポンと叩いて、俺は笑った。わざと、明るく笑ってやった。
「これもさ、ケロ太のおかげと思えばいいんじゃね?」
「レンくん――?」
「かわいそうだったけど、でも……ケロ太のことがあったから、こうしてみんなが力合わせて何かやったわけじゃん。それにさ、こいつとも会えたんだから」
隣の宇宙の肩に手を置くと、照れくさそうな笑顔が返ってくる。
何だよ、いい奴じゃん。会ってみれば、話してみれば、別に何のへだたりもないんだ。忘れていた薄情な俺たちが悪いんだけど、こいつにもほんの少しの勇気が必要だったのかもしれない。その勇気をくれたのは、ケロ太だ。
学校に来れなかった理由を聞くと、転校してきた二年の時、名前のことで笑われたから。ただそれだけだった。もちろん、それだけのことが宇宙にはものすごく大きなことだというのがわかった。俺たちは、名前で笑わないことをひそかに心に誓ったのだ。
気づけば窓から夕日が差し込んでいて、俺たちもそれぞれ家に帰らなくてはいけない時間になっていた。お手伝いさんから連絡を受けたという宇宙の母親が帰宅して、何度も何度も俺たちは礼を言われて、宇宙と約束を交わした。明日から、ちゃんと学校に来るように、と。
「一緒にケロ太の墓参りしようぜ」
片手を上げると、宇宙が嬉しそうに手をパンと合わせる。
「ケロ太のためにも、ちゃんと出てこいよ」
俺の言葉に、宇宙は泣きそうな、それでもすごく明るい笑顔で頷いたのだ。
こうして二度目の帰り道、並んで歩きながら俺はまたため息をつく。無事死因もわかり、一応の一件落着を迎えてもまだ、ぐずぐずと泣いている幼馴染を見ながら。
「お前さ……そんなに泣いてると目なくなっちまうぞ」
「なっ、こ、怖いこと言わないでよ!」
「はあ? 嘘に決まってんじゃん」
「嘘でも怖いの! 想像しちゃうじゃない」
「そんなの想像しなくていいって」
「レンくんがさせたんでしょ?」
「するほうがわりいんだ、バーカ」
舌を出し、駆け出すふりをすると、美鈴が怒って追いかけてくる。
ほら、泣いたと思えばもう怒る。まったく忙しい奴だ。
気が弱いのに気が強くて、泣き虫なのにしっかりしてて、怒ったら厄介なのに、笑うとめちゃくちゃ可愛くて――。
「って、何考えてんだ俺。かっ、可愛くない可愛くない!」
つい立ち止まってぶんぶん頭を振ると、追いついた美鈴に思い切り耳を引っ張られた。
「あいでででで、離せよバカスズ!」
「バカって言うほうがバカだもんっ! レンくんなんて、大バカだよっ」
べえ、と舌を出し返され、今度は俺が追いかける。こんなところを亮太と晃に見られたらまたからかわれるかもしれない。でも幸い(生憎?)、夕暮れの帰り道には俺たちしかいない。追いついてきた美鈴に腕を引かれ、俺はのけぞりそうになる。あせる俺のほっぺたに押し付けられた、やわらかくて温かい何か。
予想外の出来事に固まった俺からすぐに美鈴は離れ、少し赤い顔に満面の笑みを浮かべた。
「……でも、ありがと」
「へ?」
間抜けなかすれ声が出た。俺の動揺を知ってか知らずか、美鈴は小さく続ける。
「ケロちゃんのことちゃんと考えてくれてるの、伝わったよ」
だからね、と囁きが耳に届く。
告げられた言葉に、俺の動揺はついに振り切れて――耳まで真っ赤になるしかなかった。
やばい。これは、明日から教室でどんな顔でこいつを見ればいいかわからないじゃないか。ますますからかわれて、困り果てる自分の姿が頭に浮かぶ。でも――。
頬に蘇る優しい感触は、いつまでも俺をあったかくしていて。
なんだか、自然に想いをはせた。
あの、小さな小さな生き物の命。笑い飛ばしたけれど、本当は心が痛かった、ケロ太の死に。
この胸の中にいつまでも残る苦い気持ちが、この痛みが、亡くした命の重みなのだろうか。悼むと同時に、ありがとうと思えた。
小さなケロ太のためにも、俺たちは、明日も胸を張って生きていくのだ。
共に笑い、共に泣き、共に過ごす大事な仲間と一緒に――。
(了)
読んでいただき、ありがとうございました。
ケロ太にはモデルがいます。
小さな命への哀悼も込めたこのお話、気に入っていただけたら幸いです。