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再会

 栄巣の予感は妄想ではなかった。2年ぶりの綾瀬との再会、しかし

一度距離を置いてしまった栄巣は綾瀬に話しかけることすらできない。

そして綾瀬はまた姿を消す。

     8月、9月、10月の間にムーンハイツの他の部屋に新婚夫婦がそれぞれ

    越してきた。若い世帯」に人気があるようだ。奈緒美の子供達もすぐに、彼

    等と仲良しになった。

     10月に入って、もはやその面影すら無くした更地となったアロームの引

    渡しが完了した。14年間、栄巣が働き家族と共に生活した痕跡は何処にも

    無かった。こういう時、男というのは実に弱いものだ。ムーンハイツに越し

    てからの栄巣は近所の生活道路でもあるアローム前を決して通らなかった。

     受け入れなければならない現実と分かっていても。解体されていくアロー

    ムを見た時、自分自身の感情のコントロールが出来る自信がなかった。

     アロームの引渡しが完了した翌日、栄巣は仕事帰りにその更地に寄った。

    よく晴れた秋の夜空に星が美しかった。フェンスに囲まれた更地の前に立ち

    過ぎ去った14年の時間を思った。悔いる事はいっぱいある。

    「ご馳走様!美味しかったよ!」

    と言ってくれたお客さんの顔を思い出す。14年間確かにここにアロームは

    あったのだ。たくさんのお客さんに喜んでもらえた。

    こういうのをセンチメンタルというのだろうか。しかし涙は出なかった。

     奈緒美は本来、来春学校を卒業する予定だったが、管理栄養価

    課の学校に編入したいといいだした。老人ホームの計画が頓挫したので、今

    後の就職の為にも管理栄養士の資格習得は理にかなった願いではあった。

     アローム売却での5000万は栄巣の名義の銀行口座で、実家の両親の元

    にあった。自分の収入では、学費は工面出来ない栄巣はその5000万から    

    使おうと考えたが、両親は、

    「あの金は置いておけ、学費はこっちが持つ」

    と、言ってくれた。5000万は実家の近所の銀行で栄巣名義の定期預金に

    入っていた。

    「こっちで預かってる訳にいかんから」と

    その銀行の貸金庫に通帳を入れた。それを使い込むほど素行が悪いわけでは

    ないが、どうしても自分達の管理下に置きたいらしい。

    無駄遣いするつもりはないが、自分名義であるにも関わらず手が付けられな

    いのもはがゆいものだ。唯一の救いは、50万円の端数がでたのを

    「どうしても困った時にこれ使ったらええ」と別口の通帳で栄巣は預かった

    のだ。{やった!!これ程大口のヘソクリはありがたい奈緒さんには内緒に

    しておこう}

     こうして奈緒美は栄巣の両親の援助によってもう2年学校に通うようにな

    った。

    「あんたとこ金湧いてんの?」

    学費の援助を受けることを聞いた奈緒美はあきれた。

    「離れの茶室の奥の井戸から毎日100万湧いてる。知らんかった?」

    「冗談に聴こえへんわ」


     2009年1月、栄巣はアロームを開業する前勤めていた製パン会社の

    面接を受けた。面接を担当したのは以前の栄巣の上司で今は工場長になっ

    ていた勤めていた頃何度か彼とは酒を飲んだ記憶がある。互いに若かった

    あの頃かなりひどい飲み方をしていた事を思い出す。栄巣より4歳若い彼

    は当時は派手なシャツにリーゼントをきめた、まるでカールスモーキーの

    の様だった。彼の取り巻きも皆同じような感じで、会社というより、町工

    場といった雰囲気を漂わせていた。

     2年前に立て替えた社屋は7階建てのビルになっていて。14年ぶりに

    訪れた栄巣を驚かせた。さすがに役職にも就き14年も歳を取った工場長

    は、髪も短くなり、すっかり変貌していたが、昔の面影が微かに残ってい

    た。過去に働いていたというコネまで使いたくはなかった栄巣は、あえて

    職歴をアピールせずに面接に臨んだが、工場長は栄巣の事をよく覚えてい

    て、すぐに採用が確定した。

     転職を決めた栄巣は2月いっぱいで居酒屋の会社を退職し3月から製パン

    会社に勤めた。月収は減ったが働きやすい会社だった。製パン会社には珍し

    いセントラルキッチンに配属され調理の仕事に就いた。

     ここでも綾瀬との再会はなかった。彼女との再会は自分の妄想なのか、い

    やこれは自分の単なる願望だったんだ。と栄巣は考えるようになっていた。

    しかし、それは栄巣の妄想ではなかった。

     新しい職場にも慣れ平穏な日々が続いていた。蝉の声も何時しか聞こえな

    くなり町には金木犀の香りが漂っていた。

     馴染みのレンタルビデオ店にDVDを返却に行った時だ。入り口すぐの所

    にある返却カウンターにDVDを差し出した栄巣をカウンター越しに対応し

    たのが綾瀬だった。

    {こ・こんなとこで}

    顔から火が出る思いだった。4本返却した内1本はAVだった。苦笑いすら

    出なかった。何も語りかける事も無くそそくさと、ビデオ店を後にした。

     綾瀬も間違いなく栄巣を認識したはずだ。しかし彼女も仕事中なので不用

    意に客に話しかける訳にもいかなかっただろう。しかもAVはさすがに気ま

    ずい。

     今度会ったら何か話しかけようとも思ったが栄巣は極端にシャイだ。知ら

    ない仲ではないのだが一度距離を置いてしまうともう親しげに話しかける事

    ができなくなっていた。行く度に{今度は話しかけよう}と思うのだが、ど

    うしても話しかけられないまま時間だけが過ぎていった。

     パソコン教室まで通って事務職に就きたいと言っていた綾瀬が何故こんな

    所でバイトしているのだろう?。結婚したのか、しかし名札は綾瀬とあった

    どんな生活をしているのだろう。幸福なのか。聞きたい事は山ほどあったが、

    結局なにも話しかけられないまま1年が経ち綾瀬はビデオ店から姿を消した

     綾瀬が姿を消す少し前彼女の左手薬指にリングを見た。結婚指輪にしては    

    華奢なものだったのでファッションリングなのかとも思った。とにかく

    真相が分からぬまま綾瀬は姿を消した。











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