出会い
一 章
恋愛を成就するとはどういう事だろう
思いを巡らせ
切なく苦しい日々を過ごし
やがて思いを告白する
相手が受け入れてくれれば交際がスタートする
互いに求め合う存在になり結婚する
子供が生まれ 二人は家族として絆を深める
これが本当に恋愛の成就というのだろうか。
彼は恋愛をした。一人の女性に恋をし切なく苦しい日々を過ごし
しかし彼は諦めていた。女性は自分よりずっと若く美しかった。だから
彼は平気で自分に縁談がある事も彼女に告げていたりもした。
4回目の縁談に失敗した時、彼は思った。今後も縁談はあるだろう。
きっと特に魅力も感じない相手とある程度のところで妥協し結婚する事
になるだろう。それが、結婚というものなのだろうと。
そして、彼は決断する。彼女に告白しようと。100%いや120%振られるだろう。
なんとも思わない相手と結婚する前に本当に恋しい人に振られよう。
その方が諦めがつくではないか。
「結婚してください」
交際もしていない彼女にプロポーズした。どうせ振られるのだから面倒
くさいことは抜きだ。サッサと傷ついて帰るつもりだった。
「考えさせて下さい」
それが彼女の答えだった。考える余地など何処にあるというのか?
以外だった。
あるいは即答では断らない彼女の優しさなのか。どうせなら、
一息にとどめを刺して欲しかった。
しかし、もっと以外だったのが、一週間後の彼女の答えだった。
「断る理由がないんです」
笑顔ではなく、どちらかと言えば困った顔で彼女は言った。
彼は驚いた。そして喜んだ{言うてみるもんや!}しかし
この時彼は気付いていなかった。
彼女は本当にとどめを刺さなかっただけなのだと。
彼は彼女と交際し、やがて結婚した。
彼女(奈緒美)を彼は奈緒さんと呼んだ。前述したが奈緒さんは美しい女性だった。
しかし彼は何より彼女の手が好きだった。小さく美しく、そして冷たい
その手に触れているだけで、いや見つめているだけでも彼は幸福だった。
彼は彼女を所有するわけではない。だから呼び捨てではなく、
さん付けで呼んだ。
僕が奈緒さんを幸福にするのではなく二人で幸福になろう。
やがて二人は一男一女の子宝に恵まれ家族として絆を深めた。
彼女にとって彼は生活上の重要なパートナーとなった。しかし、
彼女は彼を愛したわけではなかった。
彼女は恋愛を知らなかった。結婚するまで異性と交際した事がない
わけではないが恋愛関係と呼べるものではなかった。
彼は新婚時代に「好きと言って欲しい」と頼んだが
「嘘は言えない」と彼女は拒んだ。
求めれば性的接触を彼女は拒まなかった。しかし、それは二人の
結婚生活を破綻させない為だけのものだった。
彼女から求めることは一度も無かったし彼が彼女の視線に愛を感じることも
無かった。
彼は良好な結婚生活に努める事いずれ恋愛感情を抱いて くれるだろうと信じ待った。
しかし、それもかなわず、もうすぐ11回目の記念日を向かえる。
彼も彼女に愛を求める事に執着しなくなっていた。
記念日には新しいピアスをプレゼントしよう。
10周年には記念にピアスを開けたのだ。11年の片思いに彼も少し疲れていた。
ただ、当たり前の毎日だけが続いていた。
2004年5月
ゴールデンウイークを終え強い陽射しを浴びた木々の緑にはもう春の名残の薄かった。
「メロンパンが一つ、ミックスサンドが一つ、アンドーナツが一つ・・・これは?」
15歳、昨日から、この店デバイトを始めた北村麻衣子の手が止まる
「ヨーグルトサンド・菓子パンのとこ」
半袖のコックコートに背の高いコック帽を冠った星野栄巣がパンを包装しながら言う。
レジスターには、ほとんどの商品のキーがある。パンの名前と分類さえ覚えれば
値段は覚える必要はない。
新人アルバイトの研修もあと少し若い子は覚えが早い、たいていは3日で
レジを任せられる。
東大阪市、近鉄線の駅の裏手にあるこの店を開業してもう11年になる。
このところ前の通りの人通りは激減している。
狭い通りの向かい側に駐輪場があった頃の何分の一だろう。
東大阪市では珍しいベーカリーを併設したイタリアンレストラン、アローム、開業時は
盛況だったがいまは閑古鳥が鳴いている。常連客は多いが33坪の規模のこの店の維持は
ままならない。
赤いランドセルを背負った小学4年生の長女の美香が楽しそうに手を振りながらウイン
ドーの向こう側を店舗に併設した自宅玄関に消えていく。
店舗の3階部分が栄巣の自宅になっている。建設業を営んでいる栄巣の実家は地元で
有数の資産家で30歳の若さで資金提供を受けてこの店を開業した。
経営不振の今は週末以外はシフトで交代するアルバイト一人と栄巣だけで営業している。
開業当時からスタッフには自分のことをマスターと呼ばせている名前だけで相手を威圧
する店長という呼び名を栄巣は好まない。
先ほど美香が通り過ぎたウインドーの外に二人の少女が、こちらに笑顔を向けながら
自転車を止めている。二人とも学生服だ。{北村の友達か}直感でそう思った。
二人ははしゃぎながら店に入ってくる。元気というか子供っぽいというか、まあ、ついこの
間まで中学生だったのだ。背が高くおとなしそうな眼鏡っ子(上田昌美)と小さくてやたら
元気のいい(綾瀬逸美)後にアロームで働く事になる二人は数個のパンを買いレジカウン
ター越しに北村と雑談を始めた。他にお客さんがいたり度を越さない限り栄巣は注意した
りしない。物静かな北村を相手に綾瀬は春休みから上田とバイトしているファミレスの
店長の愚痴をまくしたてていた。
「ええなーここは店長、優しいから、ウチもここでバイトしようかなー」
「残念やな、今はシフトいっぱいや」
と言いながら栄巣はいずれ綾瀬がここで働く予感を根拠もなく感じていた。
数週間後、栄巣の予感は当たった。家族の急な引越しでスタッフの一人が抜ける事に
なったのだ。基本的には、友達同士の採用はしない方針だったが迷わず北村に綾瀬を紹介
してもらう事にした。綾瀬は鼻が低く決して美人ではなかった。しかし何時も元気で明
るい性格の笑顔が絶えない彼女が来ればこの店も明るくなるだろう、という思いはあった
が何より最初に会った時からの縁の様なものを感じていた。
綾瀬はファミレスのバイトをすぐに精算して7月からアロームのスタッフとなった。
仕事の覚えは早く彼女はすぐに戦力になった。
最初に感じた縁の事もあるが、明るく笑顔の多い綾瀬に栄巣は少しずつひかれていった。
しかし綾瀬はまだ16歳である。栄巣は彼女に対する思いを認識する度、心の中から
消去していた。{自分には家族がいるし綾瀬はまだ子供だ}と。
結婚し開業して11年。スタッフに若い女性の多いアロームで魅力を感じた女性は初めて
ではなかった。こういう気持ちの処理に栄巣は慣れていた。
栄巣は決してハンサムではない。女性の方から距離を詰めて来る事などなかったし、
彼も決して仕事以外での関わりを持たなかった。
今回も湧き上がる思いを無視していれば、いずれ彼女もこの店を辞めていく。そして
栄巣の心の中に大きな存在として残る事などない。・・・・はずだった。