後編
後編です。
◆光輝く水面The surface of the swimming pool sparkles.
八月十六日、午前。五日ぶりに会った晶は見るからに不機嫌だった。目を合わせてくれない。
「いったい何してたのさ」
いつもより低い声。笑わない晶はものすごく怖かった。白いコットンのショートパンツからすらりと伸びる脚が陽に輝く。カッコいい。
「メールも電話も無視してさ。あたしがどんだけ寂しかったと思ってんの?」
「ごめん! ホントにごめん!」
詳しい事情は話せなかった。祐樹は拝み倒すように頭を下げる。
「この通り反省してます。許してください、なんでもしますから!」
「ん? 今なんでもするって言ったよね?」
晶の目がギラリと光る。しまった、口が滑った! と思ったが後の祭り。
「プール行こう、プール! 今からすぐ!」
プールだって? 冗談じゃないよ、女の子の水着とか女子更衣室で着替えとか、ぜったい無理! そりゃあ祐樹だって(ちょっと前までは)思春期の健全な男の子だ。女の子の水着姿を間近で見たいし、女子更衣室に堂々と入れるなんて千載一遇のチャンスだ。でも……。
「そんな……。恥ずかしいよ……」
「なんで? 祐樹はスタイルいいからきっと目立つよ!」
それが嫌なんだってば! と心の中で叫ぶ。
「あ、そうだ! 僕水着持ってないから! だから無r「あたしの貸してあげる! 去年のやつ。少し小さくなったけど祐樹にならサイズ合うと思うよ!」
食い気味に押して来る晶。祐樹の性格ではこれ以上の拒否は難しい。結局自宅で水着に着替えてから行くことで妥協した。
「覗いちゃダメだからね!」
晶にひと言釘を刺し、自室で着替える。幸いにも水着のデザインはスクール水着のような大人し目のワンピース。ほんのちょっと胸がきつくてお尻が食い込む気がするけれど、ハイレグとかビキニとかでなくて良かった。
「終わった? 早く行こう!」
晶が急かす。行先はO市民プール。桜川中学校にほど近く、徒歩で行ける。晶に手を引かれ、虜囚のような気分で祐樹はプールの正面玄関の階段を昇った。
女子更衣室に入ると先客がいた。おばさん三人と高校生くらいの子が二人。そちらには背を向けてそろそろとスカートを脱ぐ。
晶が祐樹の目の前で勢いよくTシャツを脱いだ。
「わひゃっ!?」
変な声を上げて祐樹が横を向いた。怪訝な顔をして祐樹の顔を覗き込む晶。
「どうしたの?」
「い、いきなり脱ぐから。びっくりして……」
「女同士で照れることないっしょ。おかしな祐樹(笑)」
上だけでこれだ。下を脱ぐところなど立ち会えるはずもない。
「先に行ってるから!」
ロッカーに荷物を放り込み、祐樹は早々に更衣室を出た。
「早っや! そんなに楽しみだったのかなあ」
プールサイドで祐樹は晶を待っている。晶はどんな水着だろう。ここら辺は純粋に男子として興味がある。そこへ……。
「あれー! 祐樹ちゃん来てたのー?」
駄菓子屋仲間の女子三人、みつき、あやか、れなが声を掛けてきた。祐樹は驚愕して跳び上がった。晶しかいないからまだ耐えられると思っていたのに!
「み、みんな、いたんだねえ……」
祐樹はガクガクと震えながらあいさつした。なるべくそちらに目を向けないようにする。親しい女の子の水着姿を見るのが恥ずかしい。
特にみつきはイエローの大胆なビキニを着ており、中学生とは思えない谷間をこれ見よがしに見せつけている。
「祐樹ちゃん、スリムで羨ましい」
最近体重の増加を気にしているあやか。
「晶は? プールデートなんでしょ? 一緒じゃないの?」
れなが好き勝手なことを言う。僕らは付き合ってるわけじゃないよ。中身はともかく表面上は女同士なんだし。
それにしても男子がいなくて良かった。こんな姿を見られたら恥ずかしくて死んじゃうよ。……なんてフラグを立てたばっかりに。
「おー、みんな来てたんかー」
「みつきは相変わらず大胆だねえ」
「八神ちゃんにも会えるなんてツイてる!」
りょうたたちも現れてしまった。
「はわわわわ……」
今まで堪えていた羞恥心が一気に押し寄せ、祐樹はなんとか身体を隠そうと空しい努力を続けた。初めてワンピースを着た時には思わなかったことだが、男として大切な何かを捨ててしまった気がする。
そこへ着替えを終えた晶が登場した。造波抵抗の少なそうな体型にレーシングバックの赤い競泳水着がマッチしている。カッコいい。祐樹は思わず晶の背後に隠れた。
「相変わらずだねえ(笑)」
眼鏡を外したしょうが目を細めて二人を見ている。
「お前ら。祐樹に何かした?」
晶が(主にりょうたに向かって)問い質すとりょうたは震え上がった。
「いや滅相もない、偶然会えて嬉しいなーって言ってただけだよ」
「ほんとにぃ?」
「ホントほんと!」
「それより早く泳ごうよー」
祐樹は泳ぎが得意ではない。浮かぶことは出来るけど、水に顔を浸けるのが怖いのだ。父さんからよく臆病者と罵られたものだ。でも今日は晶が手を取ってバタ足の練習をしている。
「そうそう。上手だよー」
晶は教え方が上手いというか、褒めるのと励ますのが得意なようだった。時々沈みそうになりながらも、必死で泳ぎ続ける祐樹。
晶が足をプールの底から離し、背面で漂い始めた。祐樹が前に進むので自然に二人の体が重なる。水中で突然抱き締められて、祐樹はパニックになった。なんて大胆な……みんなが見ているのに。あとお尻も触られた気がする。
「ごめーん(笑)我慢できなかった(笑)」
怒る祐樹に笑ってごまかす晶。そんな二人を羨ましそうに見守る仲間たち。大笑いし、囃し立てながら持ち込んだ水鉄砲で集中砲火(放水)を浴びせてくる。
「やめやめ! お前らやめろって(笑)」
ひとしきり遊んだ後はプールサイドでおやつタイム。ここには食堂もあるし自販機も豊富だ。食堂の食べ物をプールサイドへ持ち込むことも黙認されている。いつの間にか颯斗とその仲間たちも合流していた。
さて、帰りである。帰るとなれば祐樹も着替えをせねばならない。ほかの女子たちは着替え専用のラップタオルを使っているが、祐樹はそんなものを持っていない。便利なものだと羨みつつ、更衣室の隅っこで普通のバスタオルを肩に掛けて不器用に着替える。因みに晶の位置からは祐樹のお尻が丸見えだった。
ようやく脱いだ水着をビニール袋に入れ、トートバッグの中に放り込む。
「あ、あれ?」
祐樹の動きが止まった。過呼吸を起こしそうになりながらバッグの底を探る。
「祐樹ちゃーん、まだー?」
みつきが声を掛けるが祐樹は返答できない。それに晶が気づいた。
「先に行ってて!」
一行を追い出し、祐樹に近づいた。耳元に口を寄せる。あまりの近さに、実質全裸の祐樹は頬を染める。
「あたしも玄関で待ってるから」
それだけ言うと晶はそそくさと更衣室から出て行った。晶には気づかれてしまったかな。替えのパンツを忘れたことに(←定番)
玄関では全員が祐樹を待っていた。颯斗の仲間も含めると十人を超える。昼ご飯にはまだ早いから、これからさくらやに繰り出すという。あとは帰宅するだけだから……と覚悟のノーパンを決めた祐樹には地獄のような提案だった。救いを求めて晶に目を向けたが、視線を逸らされた。
晶、明らかに楽しんでるよね?
さくらやに向かう道中。今日は風が強く、こんな日に限って一番生地が薄くて丈の短いスカートを選んでしまっていた。裾を押さえたいがあまり露骨な動きも出来ない。左手のバッグで前を保護し、右手でさり気なく後ろをガードする。
「祐樹お姉ちゃん、なんだかいつもより色っぽい気がする!」
颯斗が男子小学生らしい無遠慮さを発揮して、姉に頭を引っ叩かれた。
「ふえええん( ;∀;)」
心の中で泣くしかない祐樹であった。
さくらやに到着した。
「あら祐樹ちゃん、今日も可愛いわね」
店主のおばちゃんが褒めてくれる。ありがとう、おばちゃん。でも僕、いま絶体絶命の大ピンチ!
店内に入り、ようやく安心する。なんとか尊厳を守り切った! だがその油断が命取りだった。誰かが表のガラス戸を開け、そのタイミングで店主のおばちゃんが奥のサッシ戸を開けたのだ。店内を一陣の風が吹き抜けた。しかもその時祐樹は折悪しく口に咥えたチューペットを両手で把持していた。
スカートの裾が盛大に舞い上がった。けたたましいほどの喧騒に満ちていた店内が一瞬にして静まり返る。しょうの眼鏡がずり落ち、晶の口からホームランバーがポロリと落下した。
「わああああああああ!!!!!!」
「見んなやコラー!」
晶が祐樹を庇おうと一歩目を踏み出したところで誰かの脚に蹴躓いて転び、そこへ祐樹が頭を抱えてしゃがみ込んだ(カリスマガード!)
晶の目の前に、祐樹の股間があった。
こうして晶は天に召された。
「ぶはっ。祐樹ちゃん大胆過ぎィ!」
みつきが失笑した。
「わーん(泣)見ないでえ!」
しょうが眼鏡を直し、咳払いをする。
「ま、まあ夏だし? 涼しくていいんじゃないかな」
「しょうくんフォロー下手過ぎ(笑)」
あやかが爆笑する。
「こらりょうた見るな!」
晶がなんとか立ち直った。祐樹の肩を抱くようにガードを固める。
「お前ら忘れろ! 今見たこと全部忘れろ!」
「替えのパンツ忘れちゃったんでしょ? あるあるだよー」
「そういやれなも先月やらかしてたっけ?」
「忘れろ! りょうた忘れろ!」
店内が再び賑やかになった。
さくらや集会が解散しての帰り道。高台へ続く坂道を上る。風はまだ強く、祐樹は裾をしっかり押さえながら慎重に歩いていた。もうバレてしまっているから遠慮は要らない。
「颯斗くん、今日のことはなにとぞご内密に……」
小学生グループは主に店外に居たため、颯斗以外は決定的瞬間を目撃していない。祐樹は泣かんばかりに颯斗に縋り付いた。
「わかったー!」
実姉以外には物わかりのいい弟だが、代わりに手繋ぎを要求された。それくらいなら仕方ないねと同意する。
ルンルン気分で歩く弟に嫉妬したか、晶ももう片方の手を繋いだ。つまり、祐樹は期せずしてノーガードにされてしまったのだ。結果は推して知るべしである。
◇月の精の訪れGirls begin to grow with menarche.
そこはかとなく秋の気配が漂う、八月下旬のある日の昼下がり。祖父母の家の一番奥、祐樹の部屋には晶の朗らかな笑い声が響いていた。曇りガラスを通して差し込む柔らかな光が、畳の上に散らばったトランプのカードを照らす。晶がカードを集めながらニヤリと笑う。
「祐樹負けっぱなしじゃん! もう一戦やるか?」
祐樹は笑顔で頷こうとしたが、なぜかそれができなかった。楽しいはずなのに、なんか変。今日は朝から妙にイライラするし、頭が重い。
祖父・正樹はお仕事、祖母・信子は町内会の集まりで外出中。家には祐樹と晶だけ。晶と一緒ならいつも楽しいはずなのに。僕、なんでこんな気分なの?
晶がカードをシャッフルしながら話しかける。
「祐樹。さっきの負け、悔しいだろ? 惜しかったもんな。次は気合い入れろよ!」
その明るい声がなぜか祐樹の神経を逆なでした。なんで晶はいつもそんなに明るいの? 苛立ちを抑え切れず、祐樹は思わず声を荒らげた。
「晶うるさいよ! いつもそうやって勝手にはしゃいで!」
晶が目を丸くする。祐樹自身もハッとして口を押えた。なんでこんなこと言っちゃったの!? またやらかした。胸が締め付けられ、涙がにじむ。
「ご、ごめん、晶! 僕、なんか変で。……おなか痛いからちょっとトイレ行ってくる!」
祐樹は慌てて部屋を飛び出した。晶が「祐樹、大丈夫!?」と呼ぶ声が、背中に響く。
トイレに入り、ドアを閉めた瞬間、祐樹は下腹部の鈍い痛みに顔をしかめた。なに、これ? 何か変なものでも食べたっけ?
キュロットを下ろすと、下着に赤い染みが広がっていた。血!? なんで!? 僕、死ぬの!? 何か悪いことしたから!? それとも何かの病気?
祐樹は震える手でトイレットペーパーを握り、下着を拭おうとした。涙が溢れてくる。どうしよう、怖いよ。誰か助けて! だが祖父母は不在。そのとき、ドアの外から晶の声がした。
「祐樹、大丈夫? 何があったの? ドア開けてくれる?」
その必死な声に、祐樹の心が少し落ち着く。だが、恥ずかしさと恐怖で声が出ない。
「祐樹、怖いんだろ? いいよ、ゆっくりでいいから、話してみて」
晶の優しい声に、祐樹は震えながらドアを開けた。晶が心配そうに覗き込む。
「晶……僕、血が……おなか痛くて、血が出てて……死んじゃうかも……」
祐樹の声は涙で震えていた。晶は瞬時に状況を理解し、柔らかく微笑んだ。
「祐樹、落ち着いて。それは生理だよ。女の子なら必ず来るんだ。死んだりなんかしないから大丈夫」
生理? 祐樹はすぐには言葉の意味がわからず、目を瞬かせた。そういえばそうだった。本物の女子なら小学生の時にそういう授業を受ける。僕も知識としては知っていたはずなのに、他人事だと思っていたから忘れていた。女の子の体なのに、忘れていたなんて。晶がそっと祐樹の手を握る。
「この家、おじいちゃんおばあちゃんしかいないから生理用品なんてないよね。あたしん家近いから取りに行ってくる。ちょっと待ってて」
晶はそう言うと、走って家を出ていった。
数分後、晶は小さなポーチを手に戻ってきた。祐樹は便座の上で震えていた。晶が生理用品を取り出し、優しく説明する。
「これ、こうやって使うんだ。簡単だからやってみて。わからなかったら呼んでよ」
祐樹は真っ赤な顔で頷き、晶の指示に従った。慣れない感触に戸惑いながらも、晶の落ち着いた声が心を支える。晶はなんでこんなに優しいの? 僕は晶がいないと何もできない能無しなのに。
トイレから出てきた祐樹は、晶の顔を見たとたん涙が止まらなくなった。
「晶、ごめんね。僕、迷惑ばっかりかけて。こんなんじゃダメだって判ってはいるんだけど」
祐樹は晶に抱きつき、泣きじゃくった。自己否定の声が叫ぶ。こんな僕、すぐに嫌われるよ。だが晶は祐樹の背中をそっと撫で、穏やかに言った。
「迷惑なんかじゃないよ。あたし、祐樹の役に立てて、めっちゃ嬉しい」
祐樹は顔を上げ、晶の目を見つめた。嬉しい? 晶は少し照れたように笑い、続けた。
「でもさ祐樹、ちょっとだけ不満があるんだよね。祐樹はいつも我慢して、自分が何をしたいとか何が欲しいとか一切言わないじゃん。もっと我が儘言ってよ。あたしにできることはできるし、できないことはできない。それでいいじゃん」
祐樹の胸が締め付けられた。我が儘言えなんて、僕にはそんなことできないよ。父の叱責、母のヒステリー。いつも大人の顔色を窺ってきた祐樹にとって、自分の本音を表に出すのは恐怖以外の何物でもなかった。晶の言葉を額面通りに受け取ることも怖かった。
でも……。
晶は僕のこと、そんな風に思ってくれるんだ。信じてみたいと少しだけ思った。
晶の心にも葛藤があった。祐樹の自己主張の少なさが晶を不安にさせる。祐樹にはもっと自分を出してほしい。じゃないと、あたし、祐樹の本当の気持ちが、わかんなくなるよ。
母の「最高にかっこいい女になれ」という言葉を思い出し、晶は改めては決意する。祐樹のあの性格は、きっと自分を好きになれていないからだ。たとえお節介と言われてもいい。祐樹が自分を好きになれるよう、あたしが支える。
夕暮れ、祐樹と晶は部屋に戻り、並んで畳に座った。祐樹はおなかの痛みが和らぎ、晶の横で少し落ち着いていた。
「晶、ほんとにありがとう。僕、こんなこと初めてで、怖かったよ……」
「いいよ祐樹。初めは誰でもそうだから。祐樹なら大丈夫。あたしがいつもそばにいるから」
晶の言葉に祐樹の胸が温かくなる。晶はこうやっていつも守ってくれる。だが、またも自己否定の声が囁く。こんな僕じゃ晶に迷惑かけるだけだ。
晶が祐樹の肩を軽く叩き、笑った。
「祐樹さ。次、なんかあったら、遠慮なく言ってよ。あたし、祐樹の我が儘を聞きたいんだから」
「我が儘……僕、できるかな」
祐樹は小さく微笑んだ。晶がそう言うなら、ちょっとだけ頑張ってみようかな。
窓の外では、夏の終わりを告げる秋の風がそっと吹いていた。祐樹の心に、晶の優しさが小さな種を蒔いた。こんな僕でも、晶のそばなら変われるかもしれない。
◆希望と期待The girl passes through the gate with hope.
九月一日の朝、夏の名残を帯びた風が校庭の桜を揺らしていた。祐樹は新しいセーラー服に身を包み、祖母に連れられて校門をくぐった。スカートの裾が膝で揺れ、慣れない感触が不安を増幅させる。
転校は初めてではない。銀行員である父は転勤族だ。同じ支店に三年以上留まることは無い。
過去の三度の転校はいつも孤独だった。知らない顔、よそ者を遠巻きに見る視線。またはその反対に、うんざりするほどの好奇心。僕はいつも浮いていた。クラスに溶け込めるようになるころには学年が変わってまたクラス替えだ。
父の「そんな弱気でどうするんだ」 母の「どうしてちゃんとできないの」が胸を締め付ける。
だが今は晶がいる。その名前を思うだけで祐樹の心に小さな光が差す。晶と一緒なら怖くないかも。期待感が恐怖と緊張を押しやる。自己否定の声が聞こえるが、今は無視できる。
始業式が終わってから祐樹は担任に連れられて教室に入った。ドアが開く瞬間はどうしても緊張する。心拍数は上がり、呼吸が早くなる。教室はざわめきに満ち、好奇の視線が一斉に祐樹に向けられた。
「皆、こちらは転校生の八神祐樹さんだ。よろしくな」
担任の高崎先生の声に、生徒たちの目が輝く。「美少女!」「転校生、めっちゃ可愛い!」という囁きが聞こえ、祐樹の頬が熱くなる。だから可愛いとか言わないで! 僕はそんな人間じゃないんだから!
指定された席に着くと、隣の席の女子生徒が声を掛けて来た。
「祐樹! まさかクラスまで同じなんて、めっちゃ嬉しい!」
セーラー服を着た少女。さばけた髪、颯爽とした雰囲気。祐樹には一瞬、誰だかわからなかった。だがそのハスキーな声とニヤリとした笑顔に、祐樹の頭がパッと明るくなる。
「晶!? うそ、晶なの!?」
晶はくすっと笑い、首をかしげた。
「はは、セーラー服だとわかんないかー。まあ、普段着と違うもんね。びっくりした?」
祐樹の胸は、驚きと喜びでいっぱいだった。晶、私服の時はあんなにカッコいいのに、制服だとこんなに可愛くなるんだ。ボーイッシュな姿とのギャップに、祐樹はときめきを押さえられなかった。
「ご、ごめん! 僕、わからなくて。……でも同じクラスになれて嬉しいよ!」
「いいよ、祐樹のドジも可愛いからさ」
晶の軽やかな言葉に、祐樹の頬がまた熱くなる。可愛いなんて。なんでそんなに簡単に言うの?
始業式の今日は授業がない。解散になった後、晶が祐樹を引っ張るように立ち上がった。
「祐樹、校内案内してやるよ。転校生だと迷うだろ?」
「え、でも迷惑じゃない?」
祐樹の声は小さく、すぐに目を伏せる癖がある。晶の時間を奪っちゃダメだよね。だが、晶は歯を見せてニヤリと笑い、祐樹の手を軽く叩いた。
「だから迷惑とかないって。ほら、行くよ!」
晶の声は祐樹の心を軽くさせる。校舎の廊下を歩きながら、晶は楽しそうに話した。
「ここ図書室。静かすぎて眠くなるんだよね。で、あっちが体育館。今日はバレー部のやつらがうるさいけど、試合は結構面白いよ。全然勝てないけどね」
祐樹は晶の横顔を見つめ、思った。晶はなんでいつもこんなに楽しそうなんだろう。
晶の心にも揺れがあった。祐樹のぎこちない笑顔、ふとした瞬間に曇る瞳。この子、きっと辛いことがあったんだ。晶は母の「最高にかっこいい女になれ」という言葉を折に触れては思い出す。祐樹の不安定な様子はかつての自分と重なった。祐樹、もっと笑ってほしいな。だが祐樹の笑顔を見るたび、晶の胸には名前のつけられない感情が芽生えていた。ただの友達じゃ満足できない。
中庭のコスモスが風に揺れる。晶が立ち止まり、祐樹を振り返った。
「祐樹さ。この学校、悪くないと思うよ。なんかあったら、あたしに言ってよ。いつでも助けるから」
「晶……ありがとう。ほんと、晶に会えてよかった。ここに来れて良かった」
祐樹の声は心からのものだった。両親から見捨てられたときは、自分はなんて不幸なのかと思っていた。でも今は、それがかえって幸せなことだったと思える。晶の笑顔に、胸が高鳴る。またこのドキドキ。
そしてまたしても自己否定の声が響く。こんな僕が晶にそんな気持ち持つなんて悪いことだよね。親から掛けられた呪いはどこまでも深く、重い。
晶は祐樹の髪をくしゃっと撫で、笑った。
「祐樹、緊張してたよね? でもさ、めっちゃ似合ってるよ、そのセーラー服」
「え、うそ、似合ってるなんて……」
祐樹は顔を赤らめ、目を逸らした。本当に、晶は簡単に可愛いって言う。どうして、なんでそんなに似合うとか可愛いとかこと言うの? 言葉にできない感情が、二人をそっと結びつけていた。
翌日。一年A組の話題は言うまでもなく夏休みの思い出、そして美少女転校生だ。祐樹は自分の席で真新しい教科書を広げ、周囲の会話に何となく耳を傾けていた。
「あの後何したー?」
「俺海でナンパしてた。大量だった」
「おめーには聞いてねえ(笑)」
「嘘はいかんぞ、嘘は」
何人かの女子たちが祐樹の周りに集まって来る。昨日は晶に独り占めされて悔しかった、と冗談交じりに言う。
「ねえ八神ちゃん、夏休みの間はどうしてたの?」
レイム(祐樹がまだ名前を把握していないため仮名)が声を掛けてきた。
「うん、晶たちと遊んだり。……他はおじいちゃんの家でのんびりしてた」
「え? 祐樹ってじーちゃん家に住んでるんだ?」
マリサ(同じく仮名)がストレートに疑問を口にする。
「ご両親はご一緒じゃないんですか?」
サナエ(仮名)は言葉遣いこそ丁寧だが、思ったことがそのまま口から出るちょっと厄介なタイプだ。
祐樹は何も答えず、俯いた。微妙な空気が漂った。
祐樹が顔を上げ、笑顔で答える。
「……内緒……」
「え、なにそれー! 祐樹ちゃんミステリアスー!(笑)」
「変なのー! スパイとかやってんの!?(笑)」
「かっこいいですねえ!(笑)」
姦しさを取り戻すグループを傍から見ていた晶だけが気づいてしまった。祐樹の瞳は光を一切宿していない。夜の海のような瞳。
祐樹が抱えているであろう、心の闇の深さと暗さ。それを想像した晶は全身の肌が粟立つのを感じた。
祐樹……祐樹……。可愛い祐樹……。君はその華奢な体で、どれほどの重荷を背負っているの?
晶は小学生の頃に受けたいじめを思い出した。あの頃は本当に辛かった。でもきっと、祐樹はもっと辛い思いをして、それを誰にも打ち明けられずにいる。
あたしは本当に祐樹を助けられるの? 支えてあげられるの? そんなの、ただの思い上がりじゃないの? 砂上の楼閣のように自信が崩れていく。
晶はもう一度祐樹の目を見る。穏やかな笑顔に、何も語らない暗黒の瞳。祐樹が困ってる。この話をこれ以上続けたら、祐樹はもっと辛くなる。気力を奮い起こし、立ち上がる。
「やめやめ! この話はもうやめ! これ以上プライベートに踏み込むな!」
姦しトリオを追い払い、祐樹を振り返る。ねえ祐樹。あたしの対応、これで良かった?
三日目ともなると祐樹も新しい環境に少しずつ慣れ始め、女子グループの会話に加わるようになっていた。だが女社会の独特なルールに祐樹は戸惑うばかりだ。
「ねえ、祐樹、週末何か予定してる?」
「髪、めっちゃサラサラだね! シャンプー何使ってるの?」
「ねえ見て見て、新しいアクセ!」
そんな何気ない会話にも、どこか暗黙の了解を強いる空気がある。どう答えればいいんだろう。変なこと言ったら嫌われないかな。不安と恐怖が脳内にこだまする。僕、浮いてるんじゃないか?
「祐樹。あんまり気にすんなって。適当に相槌打っときゃいいんだよ。さしすせそ(さすが・知らなかった・すごい・センスある・そうなんだ)だよ」
晶はいつも祐樹の不安を軽くしてくれた。
女子グループの微妙な空気に気づかず話が逸れた時は、晶がさりげなく話題を変える。昼休みに祐樹がぼんやりしていると晶が「お弁当食べよう!」と引っ張ってくれる。
晶がいなかったら僕はとっくに不登校になっている。
祐樹はふと思う。もし晶が男の子だったらきっと好きになっていたんじゃないか。その思いに胸がドキリとする。いや何言ってるの、僕だって中身は男じゃないか。ダメだよ! 晶は女の子なんだから!
◇あきらめたらそこで試合終了ですよThe game isn't over until the moment you give up.
二学期最初の体育の授業でのこと。その日の時間割は三時間目が体育の授業で、当然ながら二時間目が終わると女子は更衣室へ移動し、男子はそのまま教室で着替えるのだが……。
祐樹がその場で服を脱ぎ始めたのだ。
「わっ、わっ、ストップ! ストオオオオップ!」
慌てて晶が止めたが、祐樹は既に男子の注目の的だった。一人残らず着替えの手を止めて祐樹を見つめている。
祐樹もようやく自分の立場に気付き、赤面して服を着直した。
「ご、ごめんなさい///」
大慌てでジャージが入ったバッグを持ち、立ち上がる。あーあ、またやっちゃった。きっと変に思われるんだろうな。
「びっくりさせないでよ~」
更衣室に向かう廊下で晶がささやいた。
「祐樹ちゃん大胆過ぎ(笑)男子みたい(笑)」
誰かの言葉に祐樹の心臓が跳ね上がる。
更衣室では祐樹は他の子を見ないように、部屋の隅でこそこそと着替えた。学校生活は、予想していたよりハードかもしれない。
体育の授業、教科担任は黒沢先生である。
「今日はバスケやるよー。身長偏らないようにねー」
背が高い順に一列に並び、これを三列に組み替える。祐樹も晶も同じチームになりたいと思っていたがどうにもならない。晶はAチーム、祐樹はBチームだ。
「じゃあ始めるよー。十分間マッチなー」
A対Cのゲームが始まる。
ジャンプボールが晶の真正面に飛んだ。ボールの飛来位置を予測していたとしか思えない。ドリブルで突っ走り、他の誰もボールに触れさせず五秒足らずで最初のゴールを決める。初っ端から全力全開だ。
晶はトリッキーな動きで相手ディフェンスを翻弄し、次から次へとゴールを決める。バスケ部員も顔負けの大活躍だ。祐樹も興奮し、飛び跳ねながら声援を送る。
あ、いま晶と目が合った! 晶の汗と笑顔が輝く。カッコいい!
「串崎ってスゲーよなー」
「なんでバスケ部に入らないんだ?」
隣のコートの男子の評価が聞こえてきた。
試合終了、二十二対八でAチームの圧勝だ。
続いてB対C。祐樹がコートに立つ。運動神経には自信がない。晶が声援を飛ばしてくる。みんなの足を引っ張りたくないし、少しは晶にいいとこ見せたい。必死でボールを追い、走ったが、ボールに触ることもできない。
パスが来た! が受け損ね、敵に奪われる。
「ちゃんと取れよー!」
誰かが叫ぶ。
ドリブルで突進してくる相手の前に立ち塞がろうとするがあっさりかわされ、追いすがろうとして転倒する。晶が心配そうに見ている。やっぱり僕はカッコ悪い。
十六対十で敗北。祐樹は肩を落とす。結局足を引っ張ってしまった。みんな、本当にごめん。
Aチーム対Bチーム、晶と祐樹の勝負が始まった。祐樹は既にバテバテだが、晶の動きは前にも増してキレッキレだ。ゴールに向かって突進し相手ディフェンスを引き付け、反対側にパスを送ってラン(仮名)に決めさせる。
晶が走る。祐樹が懸命に追う。全く追いつけない。
パスを受け、シュートを試みるがリングに当たって跳ね返り、それを晶がキャッチ。
祐樹が懸命に晶をマークする。あっという間に横を抜かれる。何が起きているのか、祐樹にはわからない。
後を追おうにも脚がもう動かない。立ち止まり、肩で息をする。スコアボードは二対十六。残り三分。
「まだ終わってねえぞ!」
晶が叫んだ。あれは僕への叱咤だ。必死に追いかける。負けるものか。負けるものか。僕は晶に追いつくんだ。晶へのパスをカットしようとして手を伸ばし、足をもつれさせて転倒する。カッコ悪い。
ホイッスルが鳴る。四対二十六の大惨敗。体育館の冷たい床に転がる祐樹。晶の手を借りて立ち上がる。
「よく戦った」
晶に背中をポンポンされ、祐樹は歩き出した。もう泣きたいよ。
授業が終わり、着替えの最中。ユカリ(仮名)が晶に話しかけた。
「くっしー(←クラスでの晶の愛称)さあ。もうちょい手加減してやれば良くない?」
祐樹のことが好きなんでしょと小声で付け加える。
「祐樹は全力だったんだ。手抜きなんて失礼だろ。それにさ」
晶が祐樹の肩を抱き寄せた。
「必死で食い下がる祐樹は、最ッ高にカッコよかったんだぜ!」
こうやってすぐにイケメンムーブをかます晶。やっぱり僕、晶のこういうところは苦手だなあ。
◆初戀The first love.
国語の授業は学級担任の高崎先生が教科担任を兼ねる。
「さて、次の朗読だが。……八神にやってもらおうかな」
指名を受けた祐樹の肩が震えた。隣で見ている晶は気が気ではない。ただでさえ気が小さくてプレッシャーに弱そうな祐樹。一人で朗読とか、耐えられるの? あたしでも緊張するのに。
祐樹が教科書を持って立ち上がる。うわあ。手があんなに震えてる。見ていて可哀そうになる。誰だよ、くすくす笑ってるやつら。後で〆てやるからな!
祐樹が、島崎藤村の「初恋」を読み始める。
「ま、まだあげそめし……、まへ……まえがみの……」
か細く、震える声。おぼつかない朗読。聞いていてハラハラする。
「聞こえないよー」
晶の前の席の男子、そういちろうが野次を飛ばす。
祐樹の動揺が伝わってくる。晶は腹を立てて無言でそういちろうの椅子を蹴り上げた。そういちろうが舌打ちし、振り返って睨んで来るが、嚙みつかんばかりの晶の形相に恐れをなして沈黙する。
「黙って聞けや」
晶がドスの利いたささやき声で叱責する。
祐樹を見ると目が合った。微かに笑みを浮かべている。祐樹が咳払いをした。
「済みませんでした。やり直します」
大きく深呼吸し、朗読を再開する。
『まだあげ初めし 前髪の
林檎のもとに 見えしとき
前にさしたる 花櫛の
花ある君と 思いけり……』
なんということだろう。艶と張りのある美声が、情感込めて朗々と響き渡る。間の取り方も絶妙だ。本当にこれがさっきと同一人物なのだろうか。
『やさしく白き 手をのべて
林檎をわれに 与えしは
薄紅の 秋の実に
人恋い初めし はじめなり』
こんないい声、初めて聴いた。今や教室内には咳払い一つ聞こえない。晶は内股に力を入れ、両手で股間を押さえて聞き入っている。
『わが心なき ためいきの
その髪の毛に かかるとき
たのしき恋の 盃を
君が情に 酌みしかな』
朗読が佳境に入る。詩人の心が祐樹の恋心と共鳴しているかのようだ。その声は秋の光に溶け込むように、甘く切なく教室を満たす。晶の子宮がキュンキュン締め上げられる。祐樹、こんな強いところを持っていたんだ。
『林檎畑の 樹の下に
おのずからなる 細道は
誰が踏みそめし かたみぞと
問い給うこそ 恋しけれ』
朗読が終わり、祐樹が席に着いた時、晶を含め数人が「ほぅ……」と大きなため息を吐いた。呼吸さえ忘れていたのだ。
高崎先生も呆然としている。
「驚いた。……いや、本当に驚いた。こんなのは初めてだ……」「いったいどこでそんな技術を……いや技術云々ではないな。八神は朗読の天才かも知れん……」「もっと聞いていたいが、授業中ではそうもいかんな。おいそういちろう、次お前読んでみろ」
「ええっ!?」
「八神の十分の一でもいいんだ、がんばれ」
「ハードル高すぎますよオ(泣)」
「黙らっしゃい、野次飛ばしたからには逃がさんぞ(笑)」
「せんせーやめてください(笑)せっかくの余韻が消えてしまいます(笑)」
笑いに包まれる教室の中で、祐樹は俯いて赤面している。
そして晶は確信した。
あたしは、祐樹に、恋してる。初恋のトラウマが蘇ったけれど、上書きできそう。
授業が終わり、祐樹が手洗いに立った。晶は火照った頭と体を冷やそうと思い、窓辺に立って風を受ける。ヤバい。あたし、コーフンしてお股がぬるぬるだ。
すぐそばで女子数人がひそひそとささやき合っている。
「八神ちゃん、ヤバかった!」
「わたし、イキそう……パンツびちょびちょ……」
そう言ったのはサクヤ(仮名)。机に突っ伏して呼吸を荒くしている。
「甘いな。ウチはもうイッた」
ヨウム(仮名)が同じく机に突っ伏し、痙攣しながら後を続ける。あたしだけじゃなかった、と晶は安心した。
こんな声も聞こえてきた。
「晶って、八神のこと好き過ぎない?」
「ずーっと見つめてるよね(笑)」
こっちは聞かなかったことにした。
祐樹が教室に戻ってきた。女子たちが熱い視線を送る。晶は恥ずかしくて目を合わせられずにいる。
「どうしたの? 顔赤いよ?」
祐樹が顔を覗き込んできた。破壊力が高い。
「にゃっ、なんれもないしゅよ!?」
晶の声が裏返った。
◇秋祭りの夜にOn the night of the autumn festival.
九月末、O神社のお祭りの日がやってきた。祐樹は祖母に手伝ってもらい、初めて浴衣を着た。秋用のもみじ柄の浴衣に赤い帯が映える。鏡の中の自分は本物の女の子だった。
「祐樹、よく似合ってるよ。もっと自信を持って」
おばあちゃんはそう言ってくれるけど、褒められるほど祐樹の心は沈んで行く。こんな姿、僕に似合うわけないじゃない。これが、自己肯定感を得られなかった者の特徴の一つだ。
約束通りの時間に晶が迎えに来た。颯斗は置いて来たと言う。
「祐樹と二人きりになりたくって」
照れ笑いする晶は男物の紺絣の浴衣に身を包んでいる。髪を後ろで結び、凛としたいで立ちは時代劇の若侍のようだった。クラスの男子よりはるかにかっこいい……。祐樹の目は、まるで恋する乙女だった。
「祐樹、いつもよりずっと可愛いね。その浴衣、似合い過ぎ!」
「え、うそ、ホントに!? 晶こそ、かっこいいよ……」
祐樹の声は上ずり、頬が熱くなる。晶は恥ずかしそうに頭を掻き、さらっと言った。
「まあ祐樹には負けるけどね。ほら行くよ、可愛いお嬢さん!」
市内中心部にあるO神社へはバスを乗り継ぐ必要がある。だが今日は正樹が車で送ってくれる。
正樹も本当は孫娘と一緒に祭りを楽しみたかったのだが、信子から「若い二人を邪魔するなんて以ての外」と叱られ、泣く泣く送迎役に徹したのだった。
日没までもう少し。夜店の明かりが参道を彩っていた。焼きそばの匂い、金魚すくいの水音、子どもたちの笑い声。祐樹と晶は、肩を並べて歩いた。
「祐樹、射的やってみる? あたし結構得意だよ」
晶がコルク銃を手に、自信満々に構える。祐樹はくすっと笑い、頷いた。
「うん、でも僕、こういうの苦手で……」
「いいよ、祐樹は見てるだけで可愛いからさ!」
また可愛いと言われ、祐樹の胸がドキドキする。晶、なんでそんなこと連発するの?
晶が射的で当てた、ボールチェーンが付いた小さなぬいぐるみを祐樹に差し出した。
「はい、プレゼント。祐樹に似合うと思うんだ」
「え、ホント!? ありがとう、晶……」
祐樹は目を輝かせ、ぬいぐるみを受け取った。その瞬間、晶の手が自然と祐樹の手を握る。恋人繋ぎになってしまった。え、なに!? 晶って普通にこんなことするの? 女ったらしだなあ。
だが晶の温かい手に、祐樹は抵抗できなかった。いいや。もう晶に全部任せちゃえ。
参道を歩く。
「見て見て、あの子たち可愛い」
「中学生かな? お似合いのカップルだね」
そんな声が聞こえて来る。だが誰も馬鹿にはしない。祐樹は驚きながらも胸が温かくなった。こんな僕でも、晶と一緒なら笑われないんだ。晶は祐樹の手をぎゅっと握った。
宵闇が辺りを包む頃、祐樹と晶は境内の端にある木陰にたどり着いた。提灯の光が遠くに揺れ、静かな風が二人の浴衣をそっと揺らす。晶がふと立ち止まり、祐樹を振り返った。
「祐樹、ちょっと話したいことがあるんだけど……」
晶の声はいつもより少し震えていた。祐樹の胸がドキリと鳴る。こういう時、祐樹の心に浮かぶのは期待ではなく不安だ。
「う、うん。なに?」
晶は深呼吸し、祐樹の両肩を掴んで目をまっすぐに合わせた。そして、震える声で言った。
「祐樹。あたし、祐樹のことが好き。女の子にこんな気持ちになるなんて初めてだけど、笑われてもいい、嫌われてもいいから、言わずにはいられなかった。祐樹がほんとに好き」
祐樹の頭は真っ白になった。晶が? 僕を!? 自己否定の声が叫ぶ。嘘だ。こんな僕を好きになるわけがない。からかわれてるんだよ。もしかしたら罰ゲームなのかも知れない。
だが晶の目は真剣で、大粒の涙をぽろぽろとこぼしている。晶、ほんとに……? 祐樹の胸に恐怖がよぎる。もし僕が元男だってバレたら、絶対嫌いになるよね。その秘密は祐樹の心に重くのしかかっていた。この学校、この居場所、晶との時間と記憶。すべてを失うかもしれない。
晶の涙が祐樹の心を揺さぶる。晶は僕のことをこんな風に思ってくれてる。自己否定の声が少しだけ静まる。こんな僕でも晶には必要とされてる。
僕も晶が好きだ。こんな気持ち、初めてで怖いけど……。晶が好きだから、受け入れたい。でも、それを言葉にする度胸がない。僕は、自分の気持ちを言葉にできない。
でもここで勇気を出さなきゃ。行け祐樹、晶の気持ちに応えろ祐樹。一歩を踏み出せ!
祐樹は目を閉じ、そのまま晶に抱き着いた。これが今の祐樹に出来る精一杯だった。
晶はそのまま空を見上げた。感動のあまり口をパクパクさせている。やがて我に帰り、そしてしっかりと抱き合った。
しばらくの間、二人は動かなかった。秋風が木々を揺らす。祐樹が顔を上げ、見つめ合う。
晶の顔が近づいてくる。祐樹は逃げなかった。二人は顔を寄せ、初めてのキスを交わした。晶の唇は温かくて柔らかかった。祐樹の心は、恐怖と喜びでいっぱいだった。こんな僕でも人を好きになれる。でも好きになってもいいのかな。
翌朝の食卓で、祐樹は顔を赤らめながら切り出した。
「おじいちゃん、おばあちゃん。……僕、好きな人ができた」
正樹が目を丸くし、信子がにこっと微笑む。
「ほお、祐樹に好きな人! そりゃめでたい! どんな子?」
「う、うん。晶って子で、同じクラスの、三丁目の串崎さんとこの。すっごく優しくて、かっこよくて……」
「男の子かい?」
「ううん、女の子」
「ほお?」
まさきは すこしだけ
こんらん している
「晶は女の子の僕を好きになってくれた。僕は……どっちなのか判んない。男として好きなのか、女としてなのか」
祐樹の声は小さくなる。祐樹は深呼吸し、続けた。
「でも、僕が……元は男だってこと。まだ晶には言えない。バレたらきっと嫌われちゃうから。だからこのことは秘密にして。ね? お願い!」
正樹と信子は顔を見合わせ、穏やかに頷いた。
「ねえ祐樹。どんな祐樹でも、ばあちゃんたちの宝物だよ。晶ちゃんだって同じだよ。だから想い合ってるんだ。秘密は守るから安心しなさい。」
「そうだぞ祐樹。じいちゃんたちはいつだって祐樹の味方だからな!」
正樹が笑いながら付け加えた。
「それにな祐樹、恋ってのはいいもんだぞ。晶ちゃんと目いっぱい楽しめよ!」
祐樹の目から、涙がぽろりとこぼれた。こんな僕でも、応援してくれる人がいる。だが、心の奥には恐怖が残っていた。もし、女になった時のように、突然男に戻ってしまったら……晶は離れていくよね。
女になったことで、祐樹は初めて自分を受け入れられるようになった気がしていた。それだけに元に戻る恐怖は影のようにつきまとった。
それでも、と祐樹は思った。今は晶と一緒にいられる。この先どうなろうと、今のこの気持ちを大切にしたい。秋の陽射しが窓から差し込む。祐樹の心に晶の笑顔が輝いていた。
(了)
ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
この作品では、「強くなれ」「普通であれ」という言葉に押し潰されそうになった心と、それでも誰かに受け入れられたとき、人はどれほど救われるのかを描きたいと思いました。
祖父母の存在、晶との出会いは、祐樹にとって“世界が敵ではないかもしれない”と気づくための小さな光です。
幼少の頃から心に刻み込まれた呪い、「自己否定」は、そう簡単には消えません。
でも、否定されない時間や、名前を呼んでもらえる居場所が積み重なっていけば、人は少しずつ前を向ける――そんな思いを込めています。
もしこの物語の中に、あなた自身や、かつての誰かの姿を見つけていただけたなら、作者としてこれ以上の喜びはありません。
感想などいただけましたら、とても励みになります。
ではまた、どこかでお会いしましょう。




