07
男は頭を左右に振りながら、混乱の渦中。
「クソっ!? いったい何がっ――!! ぬあっっ!?」
眼前に迫るは黒き影。
見事男の懐へと入り込んだユーステス。
握りしめたナイフを男の左腕に突き立て、押し込む。
鎧の関節部を狙った、正確な一撃。
「ぐああああああっっ!!!!」
男はうめき声を上げながら、苦悶の表情で睨み付ける。
「これで左腕は使えないな……!」
「ぐぅぅっつ!! なめるなああああっっ!! 小僧っっ!!!!」
自由の利く右腕を大きく振りかぶり、真下へと叩きつけた。
衝撃で陥没する地面、たまらず距離を置く。後方へと下がったユーステスを睨んだまま、男のヘルムからは怒気が溢れ出た。
「調子に乗るなよ、小僧っ……! 馬鹿げた事をしやがって!! 同じ手は食わんぞっっ!!」
「左腕を失ってからの方が威勢が良いな。随分と血気盛んな事だ」
「ほざけっっ!!!!」
皮肉るも、焦りは募る。
ギフトを用いた奇襲――からの渾身の一撃だった。
にもかかわらず、戦意が微塵も衰えぬ相手。その想像以上の胆力に、認識を改める。
この男、紛う事なき強者だ。
(流石は、宰相殿が白羽の矢を立てたってだけはあるな)
加えて、大量出血からの無理な疾走が祟った。
体中が悲鳴を上げている、限界が近い。
一連の攻防を見ながら、ドルマゲスは不服そうに唇を歪めた。ひじ掛けを握る指先に力が入り、爪が白く染まる。
「自分で手のひらを抉るとは…… 珍妙な真似をしおってからに……!!」
しかし、その焦りは一瞬。
(だが何をしようと、所詮は私の思惑通り。『これ』で全て、無意味だ……!)
唐突にひじ掛けを三度、人差し指で叩く。合図を受け、後ろに控えていた兵士が忽然と姿を消した。
直後訪れる、異変。
最初に口を開いたのはリーンベルだ。
「え、何…………? 雨……?」
ポツポツという雨音が、貴賓席を覆う。
降りしきる水滴――豪雨だ。
訓練場に集まった誰一人として気付かぬうちに、空には暗雲立ち込めていた。
男は天空を見つめながら、雨粒を防ぐ様に拳を顔前へ。ヘルムの隙間から侵入する水に、苛立ちを見せる。
「おいおい、通り雨かあ!? クソっ、前が見づれぇな……」
しかし、ユーステスの状況はそれ以上に深刻だった。
大量出血の中での豪雨。水に触れた傷口が、不快な痛みで疼きだす。
そして何より――
(やってくれるじゃないか、宰相殿…… こっちの弱点をよく分かっているな)
彼のギフト、【血性変化】が封じられた。
雨により血が洗い流されてしまうこの状況。雨天での血液操作は困難を極めるに違いない。
半ば当てずっぽうのようなドルマゲスの推理だったが、これが的を射た。どんな強力なギフトであれ、行使出来なくなってしまえば恐るるに足らず。
リーンベルは思わず椅子より立ち上がり、声を張り上げた。
「何よこれ!? こんな事ってある!? さっきまで晴れてたじゃない! こんなのズルよ、ズルっ!!」
「これは……ズルですなあ……」
隣のシグルドも、ゆっくり肯定した。決闘における謀略は良しとする。場外でいくら策を張り巡らせようと、それは自由だ。
しかし、試合の場には持ち込むべからず。これは互いの信念を懸けた、闘いの場。協力者を要請しての二対一は頂けない。
そう、これは二対一だ。
(この不自然な雨。まず間違いなく、アイムのギフトによるものだな…… 決闘の開催を急がせた真の理由はこれだったか。ドルマゲス殿、まさかここまで見越しておられたとは)
信念など、ドルマゲスの前では塵芥に等しい。反則上等、先ずは勝つことだ。いくら疑念を抱こうと、証拠が無ければ問題ない。後ほど追求したとて水掛け論。全て思惑通りだった。
騒ぎ立てるリーンベルを尻目に、独り言のように白々しく喋り始める。
「おやおやぁ? これはまた、随分と急な土砂降りですなぁ? そちらの騎士様はお辛そうな様子だ。天は私に味方しましたかな?」
ふてぶてしいその態度にキッと怒りの目を向け、リーンベルは語気を強める。
「ふざけないでっ!! あなたが何か仕組んだんでしょう!? こんな突然の大雨、どう考えたっておかしいじゃない!!」
「はてさて何の事やら? いわれのない中傷は止めて頂きたいですなあ」
もはや意地の悪い笑みを隠そうともせずに、はっはっはっと高笑いをしている。
「このっ――極悪宰相!! 許さないんだからっ!! ユーステスっ、気合見せなさいよー!!」
貴賓席より身を乗り出して、なりふり構わず必死に叫ぶ。雨に打たれようとお構いなしだ。
ユーステスはそんな主人の姿を一瞥した後、視線を隣へと移して問いかける。
「何やら裏で色々と根回ししていた様ですが。仕掛けはこれで全部ですかね? まだ何か隠しているなら、早い事出してしまった方が良いですよ。宰相殿?」
「…………なんだと?」
頼みのギフトも封じられ、圧倒的に不利なはずのこの状況。怯えろ、竦め、そして許しを乞え。それがあるべき反応だ。
だというのに、なぜこの野良犬は余裕な態度を崩さない?
底知れぬオーラに威圧され、形容しがたい悪寒が巡る。
不安の火種をかき消すように、大男を怒鳴りつけた。
「っつ――!! おいお前っ! 何をボサッとしておるか! その生意気なガキを早く片付けてしまえっ!」
男の雄たけびが、場内に木霊する。
動かなくなった左腕をかなぐり捨て、右腕一本で鉄球を振り回す。
肩で息をしながらも、狙いを定める。
ユーステスは――動かない。
「これで、とどめだあああああっ!!!!!」
大地を踏みしめる音と共に、放たれる鉄球。
雨粒を弾き、飛翔する鉄の塊。
迫り来る衝撃を前に、ユーステスがもう一つのギフトを解放する。
「奥の手は取っておくものですよね、宰相殿っ……!! 【瞬間活性】っっ!!!!」
目にも止まらぬ跳躍――
先程手放したロングソードの元まで、瞬く間に移動。
泥に塗れた右手で、柄を握りしめる。
この場に集った誰一人として把握していない。
方向転換、さらに加速。
筋肉がメキりと嫌な音を立てる。
これがユーステスの、新たなギフト――
「うおおおおおおおっっつ!!!」
顔前で両腕を交差させ、男の胸元目掛けて突っ込む。
全身を利用した突進が、鎧を揺らす。
体勢を大きく崩し、巨体が後ろへ倒れ込む。
「なん、じゃっ、そりゃあああああ!!!」
ユーステスは交差させた腕を解き、剣を構える。
狙うは、足っ――!
甲冑の隙間へと、その切っ先を押し込んだ。
「ぎゃああああああああああっ!!!!!」
肉を抉る確かな手応え。悲鳴が響き渡る。
鎧が地面に沈むと同時に、地鳴りが訓練場を包む。
数刻の後、訪れる静寂。
ただ雨が降りしきる音のみが、その場に残された。
泥にまみれた黒衣を翻しながら、ユーステスは告げる。
「足を潰した、そいつはもう立ち上がれない。勝負ありだ」
呆け顔だった兵士は己が役割を思い出し、高らかに宣言した。
「しっ、試合終了っ!! 勝者っ、騎士ユーステス!」
華麗なる逆転劇。一部始終を目撃していたドルマゲス。思わず椅子から落下し、口をあんぐりと開ける。
「嘘っ……! あれって、もしかして……!」
リーンベルは両手で自らの口元を覆い、驚愕の表情を浮かべるのだった。




