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地獄の親睦会から、数日が経過した。あれから特に大きな動きは見られず、ユーステスは未だ『血麗隊』に所属したのだという意識が希薄であった。
指に嵌めた黒紫の指輪。その暗い輝きだけが、あの日の出来事の確かな証として、手元に残っている。
(ヨランの奴……厄介事を押し付けやがって)
ヘルハウンドの討伐依頼。セブンの言葉を借りるではないが、正直面倒だ。そんな事をしている余裕はない。
(そもそも、何だって幻獣退治なんだ? わざわざ秘密組織とやらを動かしてまで、やる事かね?)
湧き出る数多の疑問、不満。
だが、信頼を勝ち取る事は最優先だ。
表向きは忠実な姿勢を崩さずに、先ずは組織の中枢へと潜り込む。第二皇子アーノルドに見初められるまでにならなければ、危険を冒している意味が無い。
(そして皇子を超えたその先に、きっと奴が……皇帝ルシウスがいるに違いない)
その為には、せいぜい従順な狗を演じようじゃないか。
手元に取り出した一枚の地図。親睦会の日の去り際、ヨランより手渡された物だ。ヘイムダルの北東に広がる大森林。その中に、三つのマークが記されている。
「巣の数は計三つ。ひとつ辺り十匹はいると仮定して……討伐数は三十ってとこか? 多いな……」
ヘルハウンドの戦力自体は、そこまで高い方ではない。幻獣全体で見れば、中の下といった所である。
だが、奴らは群れで行動する。そこが厄介だ。
通例ならば帝国お抱えの討伐部隊が組まれ、一斉攻撃にて殲滅するのが生業である。一頭でも打ち損じると、他の群れに合流される。長引く程に連携が強固となり、こちらが不利になるからだ。
こんな戦術は初歩の初歩、あの性悪男が知らぬはずはない。
だと言うのに、こちらにあてがわれた人員はたったの二人――
圧倒的な戦力不足。
馬鹿げた内容だ。
(奴の口振りからするに、この任務は入団テストの様な物だと感じたが……)
最初に提示される難易度としては、些か辛すぎると言うのが本音である。
「さて…… どうしたもんかね……」
思い浮かぶは、白き隣人。決闘終わりでそのまま雲隠れした、物言わぬパートナー。あれから一度たりとも、その姿を見ていない。
「ってか、あいつがどこにいるのかすら知らないんだぞ。俺……」
探そうにも、手段が無い。目の前から消えるのは勝手だが、せめて連絡手段ぐらい残して行って欲しい物だ。
「次から次へと、厄介事ばかりが舞い込むな」
ベッドから起き上がり、黒衣を纏う。今日はヘイムダルから去る者達の、見送りの日だ。もう関わり合いにはなりたくないのだが、立場上、顔を出さない訳にもいかない。
「嫌になるね、本当に……」
欠伸を噛み殺しながら、ユーステスは重い足取りで宿を出るのだった。
♢
刻限丁度に着くと、城門には人だかりが出来ていた。
「おや、ユーステス。来てくれたのですね!」
ここ数日聞き馴染んだ、優しき声音が耳に届く。儚げに佇む青髪の女が、にこやかに微笑んだ。ユーステスは軽く礼を返し、サッと周囲を確認する。
城門に並ぶは第一皇女セイレーンと、騎士レギウス。そして支援部隊の参謀、セクメト。リーンベル襲撃の報告を受け、真っ先に駆け付けた三名だ。
各々全員が為すべき事を終え、いよいよ自らの都市へと帰還するに相成った。
見送りにやって来たのは将軍シグルドと、騎士ヨラン。為政者トレロス。後は名も知らぬ兵士数名と、じゃらじゃら宝石を身に着けた貴族達。
(トレロスの奴はてっきり姿を現さないと思ったが…… 流石に、そこまでの無能では無かったか)
今にも噛みつかんばかりのイライラを滲ませ、前方を睨む小男。視線の先にはレギウスだ。集会の場でコケにされた事が、余程気に入らなかったと見える。怒りはまだ収まっていない様だ。
そのただならぬ気配を感じ取ったのか。セクメトは訝しげな表情を浮かべながら、隣の騎士へと耳打ちする。
「レギウス、お前何かやったのか? あの御仁、随分とお前を睨んでいる様だが……」
「まあ……例の集会の時にちーっとばかし…… あんまりにも常識が欠如してたんで、大人のマナーって奴を叩き込んでやりました。旦那があの場にいなくて正解でしたよ! 貴方なら、もっと酷い恨みを買っていたに違いありませんから」
軽口で返すレギウスに、皺を寄せる相貌。片眼鏡の奥に覗く瞳が、キュッと狭まった。
「中途半端な恨みは火種の元だぞ。やるなら徹底的に、再起不能になるまで潰すべきだ。反抗の意志など、金輪際持てぬ程にな」
「ひえっ! おっかないねえ。流石は『鉄血』の治療師さん。旦那は敵に回したくないですよ、本当に……」
肩を竦めるレギウスに、フッと鼻息を漏らすセクメト。そんな二人の密談も気に入らないのか。トレロスはわざとらしくチッと舌打ちをした。
Gruuuuuuuuuuu――!!!!!
突如、大きな唸り声が城に木霊する。トレロスは思わずびくりと体を震わせ、背後を振り返った。
「おっ、おっ、おっ……!!」
口をあんぐりと開け、言葉にならない奇声を発する。そんな間抜けな声を意にも介せず、唸りの主は歩を進めた。
二枚の羽を大きく広げた、朱き体躯。鮮血よりも更に紅く、輝きを放つ無数の鱗に覆われて。一つ歩く度に地面を揺らし、その声は鼓膜を震わせる。
これが生態系の頂点――
皇族の飼い慣らす寄皇龍が、兵士に手綱を引かれやって来た。




