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眠りについていたセブンを起こし、会はお開きとなった。ユーステス達が店を出るのを確認し、カウンターに腰掛けていた一人の女が振り返る。
揺れる乳房は机を圧迫、妖艶な二重瞼が店の出口を真っ直ぐ射抜く。溢れ出るこの淫靡さこそ、ギルド『宵闇の園』が頭目――イレーネの真骨頂だ。
「どうでしたかな? イレーネさん。例の青年は?」
マスターは渋い顔を浮かべ、顎をひとさすり。片やグラスを持ちながら、カッカッカと快活な笑い声が応対する。その笑いに連動するように、くせ毛が上下にゆらゆら舞った。
「ユーステスが言ってた通り、ありゃあ狸だ。なるべく関わり合いにはなりたくない、そんな人種だよ。ああいう輩は裏で何を考えてるか、分かったもんじゃないからね」
「同感ですな。終始物腰は柔らかでしたが、会話の内容は物騒極まります。他のお客様もいらっしゃると言うのに…… 少しは自重して欲しい物ですよ」
「まあ、自重はしていたんだろうさ」
首を傾げるマスター。イレーネは再度カカッと笑い、返答する。
「あの男……お喋りだが、弁えてる。結局、肝心な所は何も分からず仕舞いさ。あんな小さな子供を連れて来るなんて、いったいどんな了見だい?」
宙で静止したグラス。左右に振るにつれ、中の氷がカランと音を立てた。北方諸国、深雪の大地からもたらされた恵みの結晶だ。
「組織の構成員はどんな基準で選ばれてるんだろうねえ」
「あの様な幼子まで巻き込むなど、言語道断です! ユーステス殿に声を掛けたのも、何か思う所あっての事なのでしょうか……?」
腕を組み考え込むマスターを尻目に、イレーネは言葉を続ける。
「そもそもが話、奴らの目的は? アーノルド直属の部隊って話だが、奴さんの思惑がちーっとも見えて来ない。皇帝はそこんとこ、認知してるのかね」
「ふーむ……確かに説明不足、これから同胞となる者に対して、些か誠意に欠ける気がしますな。お二人の会話はどうにも脱線しがちで、中々核心に触れる話題は出て来ませんでしたね」
「ま、そういう事さ! 今日喋ったのは、周りに聞かれても良い様な内容ばっかりなんだろうね」
グラスをあおり、イレーネはにやりと唇を吊り上げた。
「ご丁寧な事に、アタシ達みたいに聞き耳を立てている人間にまで、事前に配慮してくれてたって訳だ」
中身を飲み干し、テーブルにゆっくりと戻す。残された氷が再度音を立て、カランと鳴った。
「思った様な収穫はありませんでしたかな?」
「いや。あの指輪……偽神触媒の存在が割れただけでも、儲けもんだよ! 祝福者と違って、触媒は秘匿がし易いからね。中々ギルドまでは情報が回って来ないんだなあ、コレが」
金貨を一枚テーブルに置くと、イレーネは席を立った。
「この場を用意してくれたユーステスに感謝だね! アタシらが立ち入れない部分まで、あいつなら目が届く。これ以上無いってくらいのアドバンテージさ!」
グラスの横で輝く金貨。飲み物の代金にしてはあまりにも高い、その金額。マスターは困り顔を浮かべながらも、一礼をして懐に忍ばせた。
「ユーステスの出会いにはね、必ず意味があるんだよ。昔っからそうさ。あいつの強い想いを軸に、皆んなが導かれている。そんな気がするよ」
「彼の周りには、数奇な縁が多いですからな」
「眉唾に聞こえるかもしれないけどね…… 少なくとも、アタシはそう感じるよ。たとえ相手が、狸であろうともね」
マスターはふふっと笑う。
「嫌悪感が滲み出ておりますな」
「タヌキは苦手なんだよね。ほら、あいつも猫の一種だろ?」
瞬間、店の奥で抗議の鳴き声。イレーネはビクッと体を震わせ、たまらず退散を決め込む。
「……どちらかと言えば、犬に近かったと思いますが?」
その場にひとり残されたマスターの呟きが、空しくもカウンターに響き渡るのだった。
♢
店を出た一向。日は傾いているが、辺りはまだうっすらと明るい。思っていたより時は経っていなかった様だ。退屈な時間はかくも長く感じる物かと、愕然とする。
「本日はとても素晴らしき集まりでした! 残念ながら此度来られなかった残りの二人を含め、次こそは五人全員で語り明かしたいですね!」
「ああ、そうだな……」
次があってたまるか。
「それと、去り際のご連絡になってしまい申し訳御座いませんが…… ユーステス殿には早速、初任務を言い渡します!」
にっこりと微笑みを携えながら、ヨランは宣告する。
「…………」
思考が追い付くまでに、暫しの時間を要した。言葉の意味を数度反芻――飲み込み終わると、自然と右頬の筋肉がピクつき始める。
「……今、ここで言う事か? それに任務は指輪を通して言い渡されるって、さっき説明を受けたばっかりなんだが?」
「通常であればそうですね。ですが、今回の任務は殿下からの物ではありません。あくまで私が個人的に、ユーステス殿に依頼する形となります故」
昨日の今日で、流石に急展開が過ぎる。もともと疑念に大きく傾いていた天秤が、ここへ来て一気に振り切れる。
(何が個人的だ、ふざけやがってっ……! そんな事がまかり通るのか?)
皇族直属の部隊を好き勝手に動かせること自体、もはや異常。組織を私物化しているとも取れる発言、無茶苦茶だ。こうなって来ると、『血麗隊』の存在そのものすらも疑わしく感じて来る。
信じるべきはヨランが身に着けていた記章と、龍印の指輪の存在。騎士の称号と、皇族との繋がり――その二つだけが、この男の身元を保証する唯一の生命線だ。
「何でこのタイミングなんだ。せめて酒場で言えよ……」
「機を逸しているのは重々承知です。ですが、先程はセブン?さんがお休み中でしたので…… 二度手間になってしまうでしょう?」
その場で起こせば良かっただろうが。
いや、それよりも――
「…………別に、無理して呼び名を変える必要は無いと思うぞ。『七番』じゃなかったのか?」
「折角ユーステス殿が名付けてくれたのですからね。相棒さんのご意見は尊重しないと! ねえ?」
並び立つ少女に、同意を求めるヨラン。動きにつられ、ユーステスの顔も下を向く。
「ふぁあ……」
向けられた二つの視線を意にも介さず、セブンは大きな欠伸をひとつ。あれだけ熟睡しといて、まだ眠り足りないのかコイツは。
(この能天気なパートナーは放っておくとして…… だがまあ、こいつは好機かも知れないな)
未だ得体のしれない集団だが、既に片足を突っ込んでしまった我が身。先ずは情報収集が不可欠だ。任務の内容によっては、組織の全貌を推し量ることが出来るかもしれない。
「それで? 任務ってのは?」
「ヘイムダルの近郊には、ストラダ大森林がありますね? ほら、一度迷うと二度と出て来られないと噂の……あの樹海です」
「ストラダね……」
ストラダ大森林。
帝国と共和国に跨る様に群生する、大陸最大級の森林地帯。高さ云メートルもある木々が乱立し、小川や洞窟、滝に至るまで、あらゆる地形がごった返す。
豊かな土壌は様々な生き物を呼び寄せ、森の奥地では幻獣達の縄張り争いが絶えない。腕利きの討伐部隊が何度も返り討ちにされ、いつしか未踏の地として定着した。大国も、極力この区域には不干渉だ。
「ここ最近、ヘルハウンドの動きが活性化しているとの情報を受けています。お二人には、その対処をお願いします」
「ヘルハウンド? おいおい、幻獣退治ってか? そういうのは帝国軍の仕事だろ?」
「組織への適性や力量を見定めるのも、私に課せられた役割なのですよ。今しがたパートナーを組んだ者同士なのですから、先ずは手頃な任務から始めるのが良いかと思いましてね」
そこまで言い終えると、ヨランは簡易な地図を取り出した。ヘイムダルの北東、ストラダ大森林の座標に当たる部分には、幾つかの黒印が打たれている。ヨランは印を指でトントン叩きながら、顔を上げた。
「奴らの巣はこちらで既に把握しております。奇襲して、群れを掃討して頂きたい」
「掃討は別に良いんだが…… 群れの規模はどうなんだ?」
「さあ?」
肩を竦めやがった。
(ふざけるな! こっちは二人しかいないんだぞ! 幻獣の掃討作戦なんて、軍でも本腰入れて対処する様な案件じゃないか!)
どこが手頃な任務だ、このペテン師め。
喉元まで出かかった言葉を飲み込むのに窮していると、更なる追撃を受ける。
「群れの規模については何もお答え出来ませんが……期日は設定させて頂きますね。ズバリ、私がヘイムダルを離れるまでとします! それまでに巣を壊滅させて、成果をお知らせ下さい」
「具体的に言えっ! いつ頃までだ!」
「そうですねえ。まだ幾つか用事が残っておりますので…… まあ、半月程でしょうかね?」
怒りで語尾が強くなるのを、のらりくらりと躱すヨラン。ニタニタと嫌な嗤いを張り付かせ、完全に奴の術中だ。弄ばれている。
「この地図に記された巣を全て破壊し、群れを掃討したら報告を願います。私は基本、城におりますので」
「報告だけか? それじゃあ信憑性が無いだろ。首ぐらい持って行かないと――」
「要りませんよ、そんなもの! 私はユーステス殿を信じております!」
あれこれと問答を続ける内にようやく意識が覚醒して来たのか、セブンにも反応が見られ始めた。げんなりとした顔で、何やら物申したそうだ。良いぞ、不平不満をぶつけてやれ。
「それって私もやらなきゃダメ? 新しく組織に入ったのはこの人なんだから、一人で勝手にやれば良いんじゃないの? 面倒くさい」
駄目だ。
ここには敵しかいない。
「まあまあ、そう仰らず。パートナーとの相性を見るのも、任務の一環ですよ? それに――」
抗議の目線を向けるセブン。その耳元に口を寄せ、ヨランは囁く。
「…………目的は…………ですので」
「あの人には…………良いの?」
「…………ないでしょう」
何やらこそこそと談義している。酒場でも見た光景だ。別に構わないが、そういう事はこちらの目に付かぬ所でやって欲しい。嫌味のひとつでも飛ばしておくか。
「また内緒話か?」
「ええ、内緒話です」
悪びれもしない返答。追及は止めだ、相手にするのも馬鹿らしい。こいつらの何一つだって、信頼には値しないのだから。
♢
去り行くヨランの背中。たらふくワインを飲んでいたにもかかわらず、その足取りは軽やかだ。それに引き換え、アルコールを口にしていないユーステスの方がふらふらだった。
(今日は疲れたな……)
酒場の中に戻ろうと身を翻すと、意外な相手からの待ったが掛かった。
「ねぇ。ちょっと付き合って」
白き少女はそう言うと、つかつかと歩き出した。用件を伴わない、横暴なその一言。しかし、不思議と無視する気にはなれなかった。
親睦会の大半を眠って過ごしたこの女が、今さら自分に何の用があると言うのか。
湧き出る純粋な疑問に後押しされ、ユーステスはセブンの後を追うのだった。




