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紆余曲折ありながらも、ヘイムダルの統治については定まった。各々思う所はあれど、皇帝の決定は絶対だ。誰も口を挟めない。
(ルシウスの気まぐれひとつで、帝国の土壌はいとも簡単に揺らぐ。その点だけは同情するよ)
この件に関しては、これ以上の会話は無意味だろう。セイレーンは目下残ったもう一つの問題、皇女襲撃の件へと話を移す。
「未だに……夢なのではないかと思います。これは全て、悪い夢――そうであったならば、どれだけ良いか……」
重苦しい静寂が場を包む。指一本動かす事すら躊躇われる、それ程までに沈んだ空気。
「我が妹は目覚める事なき傷を負い……そして離宮の警備に当たっていた尊い二名の兵士も、その犠牲となりました」
セイレーンから言葉を引き継ぐように、シグルドは口を開いた。
「姫様の離宮の警備には、熟練の兵が付くのが生業でした。殺害された内の一名は、我が隊にて副長を務めていた……儂もよく知る男です。もう一名も、長年帝国軍に従属する良き兵士でありました……」
拳の震えが伝わり、机がかたかたと音を立てる。憤怒に蝕まれ、身体の制御が出来ていない。彼をよく知る人物であるならば、目を疑う光景だろう。
「二人とも、確かな実力を持った自慢の部下でした。あの二人を退け、あろう事か、姫様すら毒牙にかけた痴れ者を……儂は未だに野放しにしている。この身の無力さを、これほど呪った事は御座いません……」
深く頭を下げるシグルドを、青磁色の瞳は優しく諭す。
「顔を上げて下さい、シグルド。貴方も旧知の仲間を失い、辛い心境でしょう。そんな中でも、部隊の長としての役目を全うする貴方に――私は敬意を表しますよ」
「セイレーン様…… 本当に、申し訳御座いませんっ……!」
帝国において、兵の命とはあまりに軽い。皇帝が重視するのは、祝福者との血の契約。ギフトを持たぬ兵は、言うなれば消耗品だ。どれだけ息絶えようとも、直ぐに代わりの者へと挿げ替えられる。
(いや、違うな。ルシウスが真に執着しているのは大陸の統一……それだけだ。たとえ祝福者であっても、敵対する者には容赦しない)
従属すれば外れぬ枷を、抗えば死を。それが帝国に生きる者達の、残酷な定めである。
「もう良いのではないか? こんな茶番に付き合う為に、私はこの集会に出席した訳ではないぞ?」
シグルドが頭を下げ続ける中、隣の小男――トレロスはフンっと鼻を鳴らした。先刻レギウスに名乗りを促され、彼の名は漸くこの場で認知されていた。
「私も暇ではないのだ! 答えの出ている問題にいつまでも付き合ってやる程、気は長くない!」
「何言ってやがんだ、てめぇ……?」
殺意の籠った眼光を飛ばすレギウスを無視して、トレロスは声高に語り始めた。
「聞く所によると、件の襲撃者は暗殺に使用した獲物をその場に落としていったのだろう? しかも『黒きユニコーンの刻印』付きと来たもんだ!」
してやったりと言う風に、拳を握る。
「ならば、話は早いではないか! 賊は致命的なミスを犯したのだ! これ以上好き勝手に動かれる前に、こちらから仕掛けるべきだ! 今こそまさに、反撃の時!!」
握った拳を天高く掲げる道化。残念ながら、追従する者はいなかった。この場に集った者達にとって、そんな事は周知の事実。
舐め回す様な視線は場を旋回し、先ずはセイレーンへと絡み付く。
「妹君を失ったセイレーン様のお気持ち、私奴の胸にも届いておりますぞ! ええ、ええ、痛み入りますとも! なればこそ、直ぐさま行動に移しましょうぞ!」
移ろう視線がシグルド、そしてユーステスへと定まった。なるほど、気色の悪い目だ。他者を値踏みする事しか考えていない、不快な双眼。レギウスが声を荒げるのも、頷けると言う物。
「このヘイムダル近郊にも、奴らの根城はあるはずだ! 当然、お主らも把握しておるのだろう? これは好機だ、攻め入ろうぞ! 元凶を根絶やしにしたと知れば、陛下も喜ばれる! 娘を失ったそのお心も、少しは救われるに違いあるまいっ!!」
呆れる程に滑稽だ。娘を失い嘆くのならば、文のひとつでもよこすのが道理だろう。こいつは首都で何を見て来たんだ?
熱量が上がり続けるトレロスを制止し、シグルドが言葉を被せた。
「あの獲物は確かに、かの悪名高きギルドの物でしょう。しかし、儂にはどうにも違和感があるのです。そもそもの前提――暗殺対象の傍らに、わざわざ自分の使った獲物を残し、その場を立ち去りますでしょうかな?」
その声音はまるで幼子に言い聞かせるかの様に、努めて冷静だった。
「意図的に置いて行ったとは思っとらんわ! 動揺してその場に置き忘れたのだと言っとるんだ!」
「これ程用意周到な襲撃をやってのけた奴が、そんな凡ミスを犯すとは思えねぇけどな」
さらりと付け足すレギウスに、キッと怒りの視線を向けるトレロス。いよいよ場は混迷としてきた。
(ま、意図的に置いて行ったんだがな……)
ひりつく空気が肌に刺さる。この場は沈黙が是、余計な口出しは無用。ただ話の流れに任せるのみだ。
「離宮は城の本陣と比べれば、確かに警備が手薄…… ですが、ゼロではありません。先程も申し上げた様に、常に手練れの兵が付いていた」
「そんな事は――!!」
怒鳴りかけたトレロスを、突き出した手のひらにて遮った。無言の威圧。ともすれば、覇気が滲んでいたのだろう。傍目からは分からぬが。
「違和感はまだあります。いかに夜間の犯行とは言え、巡回兵の誰一人として、不審人物の目撃情報すらない。これは如何なものか?」
「私は文に記載されていた内容しか知りませんでしたが…… 確かに、将軍の仰る事は尤もですね」
これまで聞き入っていたヨランが、同意の意を示す。まあ、普通に考えれば行き着く疑問だろう。
トレロスの顔は酷く歪んできたが、シグルドは構わず説明を続けた。
「当時城門の警備に当たっていた者からも、話を聞いております。あの夜は特に怪しい者は見かけなかったと」
「外から入って来るとするならば、門を通るより他ありませんからね。あの高き塀をどうにか出来るのならば、話は別でしょうが……」
深く頷くセイレーン、こちらもシグルドの言葉に全面同意と言った所か。かの将軍はカリスマだけでなく、人を説得する術にも長けている。厄介な事だ。
(シグルドから接触があったのか…… イレーネ、二人への褒美はドンと弾んでやってくれよ)
トレロスの引きつった唇からは、言葉が漏れる。
「先程からごたごたと…… いったい何が言いたいのかな、将軍?」
シグルドは、ひとつ大きく深呼吸。
眉間に深い皺を刻みながら、告げた。
「…………儂は、此度の襲撃。城の内部に実行者、もしくは犯行を手引きした者がいると踏んでおります」




