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皇女リーンベルの命により、ヘイムダルには離宮が建てられた。皇女は私的な時間の大半は離宮へ籠り、公の場に顔を出すのはその日の気分次第。
皇族は城に住まうのが通例ではあるが、そんな習わしは歯牙にもかけず。勝手気ままな振る舞いであった。
(まあそのおかげで、密談部屋には事欠かない訳か……)
ユーステスは少年を先導する。始めは涙で震えていた背中も、部屋に入る頃には幾分平静を取り戻していた。
手近な椅子に腰かけると、少年にも座る様にと促す。僅かの後、おずおずと椅子を引く音が部屋に響いた。
暫しの静寂、少年はおもむろに口を開く。
「取り乱してごめんなさい…… 僕、ずっとユーステスを探してたんだけど、中々会えなくって。それで……」
「構わないさ。それよりも、いったいどうしたんだ? アイム」
俯く少年――アイムの顔を覗き込みながら、そう問いかける。彼が訪ねて来た理由については、大方見当が付いている。だが、あえてこちらから打って出る様な事はしない。
そんな残酷な事は、するべきではない。
アイムは一瞬唇をぎゅっと結ぶと、ぽつぽつと話し始めた。
「ユーステス、この間決闘したんでしょ? あの日、訓練場に雨が降ったよね……」
喉をごくりと鳴らし、一拍。
「あれをやったのは…………僕、なんだ。僕の……ギフトで…… ごめん……ごめんなさいっ! ユーステスっ! 僕がっ……!」
震える声音で、そう捲し立てた。
それはユーステスが想像していた通りの――
苦渋に満ちた、悔恨の言葉であった。
(やはり、裏から根回ししていたか。決闘ってのは神聖な果し合いじゃなかったのかね、全く……)
あの急な雨に、違和感を持つなという方が無理な話だ。観客の中にも、気付いた者は相応数いたに違いない。そもそも隠す気など無かったのだろう。
(証拠が無いと言われてしまえば、それまでだからな)
脳裏に浮かんだ(元)宰相殿を追い払い、知らぬ存ぜぬにて会話を通す。
「落ち着けって。何をそんな必死に謝ってるんだよ? でも……確かにそうか。言われてみれば、急な大雨だったな」
腕を組んで、天井にやや目線を向けながら。あたかも当時の記憶を掘り起こしているかの様に、空とぼける。
「こっちは戦うのに精一杯で、天気なんて気にもしてなかったぞ? 雨が何だって言うんだ? 大袈裟だな、アイムは」
噓も方便。
だが、悟られるな。
「あの日、突然ドルマゲスさんがやって来て言ったんだ。『訓練場の掃除をしたいから、合図があったら雨を降らして欲しい』って……」
目線を下に向けながら、アイムは続ける。
「掃除が終わるまでは、部屋に居てくれって言われて。兵士さんと二人きりで、待ってたんだ。少ししたら合図があって…… それで、近くに雨雲を……」
(なるほど。どうやって協力を取り付けたのかと思っていたが。掃除、ね……)
言い得て妙じゃないかと、一人納得する。城を去った後からでも不快感を押し付けて来るとは、恐れ入る。
祝福者の扱うギフトは、多種多様。戦闘に秀でた者もいれば、補助に徹する者、一見すると用途不明なギフトまで。数多存在する。
アイムのギフト【天象操作】は、天候を意のままに操る。雨天、雷雨、果ては降雪に至るまで。
空を掌握する、まさに神の御業。
帝国はこの力を有益と判断し、彼を軍へと縛り付けた。
「部屋から出た後、噂話が聞こえてきて…… 丁度僕が雨を降らせた訓練場で、ユーステスが決闘をしてたんだって――」
アイムがぱっと顔を上げる。その両目には再び、零れんばかりの涙が溜まっていた。
「ユーステス、傷だらけだったんでしょ! ずぶ濡れでひどい有様だったって、みんな言ってたよ!」
涙がぽろぽろと落下し、床を濡らした。目の前で小さな頭が俯き、震えている。思わず手を差し出すも、僅かに逡巡。
血に汚れたこの手で、触れてしまっても良い物だろうか――
(それぐらいは、許してくれるよな……)
その無防備な頭の上に、ユーステスは優しく手を置くのだった。
ヘイムダルの外れに存在する、名も無き小さな村。アイムはその村の一員であった。物心付き始めてから幾ばくか、彼はギフトを授かった。
太陽照り付ける暑き午後、村には突如として雪が降ったと言う。
噂は瞬く間に帝国の耳に入り、彼は軍に身を置く事になる。抵抗は意味を為さない。一度でも目を付けられたら、それで終わりだ。
「知らなかったんだ、僕っ……! 決闘してただなんて、そんなっ……!」
傷口が雨で濡れた? それ自体は大した問題では無い。ギフトが使えなくなった事こそが、致命的であった。
ドルマゲスの思惑はただ一つ、ユーステスのギフトを封じる事。【血性変化】が使えない状況下、単純な力比べとなれば敗北は濃厚だ。
だがアイムの思考は、そこまでは届いていない。下種な企みに利用されたなどと、夢にも思っていないだろう。
(知る必要もないな、そんなくだらない事は……)
彼は被害者だ。
これ以上、罪の意識で苦しむ必要など無い。
「本当は直ぐにでも謝りに来ようと思ったんだ。でも……」
言葉に詰まるアイム。悲痛の表情を浮かべ、顔をくしゃくしゃに歪める。
「リーンベル様が、あんなっ……あんな事になって……! だからっ!」
思わず、その小さき体を抱きしめる。
「もう良いから…… もう良いんだよ、アイム」
心優しき少年だ。
だからこそ、彼がこんな所にいるのは相応しくない。
年端のいかぬ子供であっても、有益とみなせば利用する。より多くの祝福者を囲い、軍事力として手懐ける。それが今の帝国のやり方だ。
アイムは支援部隊の一員として任務に就いてはいるが、自身の能力が戦争に利用されている事は伝えられていない。
ヘイムダルは大陸東の大国家、ラント共和国との国境に位置する。長年帝国と争いを続けている、因縁の国だ。将軍シグルドの宥和政策の下で、その国境沿いは守護されている。
そこに一役買っているのが、アイムのギフトだ。
(地の利は如何なる時も、ルミナリアと共に在り……ね)
長期に渡って降り頻る雨は、敵の持久力をじわじわと削ぎ落す。川を増水させれば、それだけで敵の侵攻はピタリと止まる。まさに天然の要塞という訳だ。
「落ち着いたか?」
背中をさすると、こくりと頷く。
「無理をするなよ。お前のギフトは体に負荷がかかるんだ。どこか、おかしなところは無いか?」
「うん…… 僕なら大丈夫だよ。あれぐらいの雨雲なら、何て事ないから。ありがとう、ユーステス!」
体を離し笑いかけると、アイムもぎこちなく笑顔を返した。
なんて儚く、健気な事だろう。
攫われの身である境遇を嘆く事も無く、いつも気丈に笑顔を振りまく。並大抵の精神力ではあるまい。
「アイム、お前は優しい奴だ。もし、お前が自分を悪い人間だと思っているなら、それは間違いだぞ」
胸に刻め。
この腐った世界を生み出している、その元凶は。
「お前にそう思わせるように仕向けた奴らこそ、一番の悪人なんだ。だから、もう気にするなよ!」
死の呪いを以てして、祝福者を飼い殺す。
皇帝、ルシウス・エッデ・アーデハルト。
貴様こそが――
♢
笑顔が戻ったアイムと別れ、城を出た。すると、城門付近で何やら騒ぎを目撃する。視線の先には、見知らぬ二人の男の姿。
「何だアレは……」
中でも一際目を引いたのは、門兵向かって怒鳴り散らす恰幅の良い小男。
禿げ上がった頭には余程の血が上っているのか。顔全体が真っ赤に染まり、地団駄を踏む度に贅肉がぶるんぶるんと揺れている。
「おいっ、何度言わせる気だ! 早く中へと入れんか! 私は皇帝陛下より遣わされた、この都市の新たなる統率者なのだぞ!」
「はっ、はあ……? 統率者……ですか……?」
門兵は怪訝な表情で応対、至極真っ当な反応だろう。あれは不審者以外の何物でもない。あんな輩とも取り合わねばならぬとは、城の警備ってのは随分と難儀な事だ。
「何だその気の抜けた返事は! 先ほど龍騎兵からも説明があっただろうが! 何を聞いておったんだ、貴様らっ!」
「いえ、あんな説明では納得出来かねます。それに詳細を聞こうと思ったら、直ぐに飛び去ってしまったではありませんか」
埒の明かぬ問答に、遂には業を煮やしたのか。たまらず自身の懐をまさぐる。
「ちっ、馬鹿どもが……! ええい……これを見よっ!!」
取り出したるは、一つのスクロール。封蝋には『龍』の刻印。門兵二人はごくりと喉を鳴らし受け取ると、中身を見聞した。
「なんだこれっ、嘘だろっ!」
「だがこの刻印は…… それに、殿下の名も……」
一通り読み終えると、たちまち姿勢を正す門兵達。先程までの頑なさはどこへやら、深々とお辞儀をしながら小男を中へと誘導した。
「余計な時間を取らせおって……! 寄皇龍に乗って来たという事実だけでも、私の立場は推して然るべきだろうが! ヘイムダルの改革に当たって、先ず真っ先に奴らは解雇だな! 解雇っ!」
ぶつくさと文句を垂れながら、小男は城へと歩みを進める。すると後方にて順番を待っていたもう一人。
「さて。無事問答は終わりましたかね?」
目の覚める様な美青年が、ゆらりと前へ歩み出た。
門兵の視線が引き寄せられる。
男の胸元に輝く――朱き記章の元へと。
「貴方は……ヨラン殿ですよね! よくぞいらっしゃいました! 先日手記も届いておりますよ! アーノルド様の代わりと伺っておりますが」
「理解が早くて助かります。暫くの間滞在しますので、どうぞよしなに」
第二皇子アーノルドの名前が耳に入り、ユーステスは眉間に皺を寄せた。ヨランと呼ばれた男の胸元を、ジッと凝視する。
(あの記章……皇族騎士か? まさか、皇子アーノルドの……!? 奴は騎士は取っていなかったはずだが)
呆然と立ち尽くすユーステスの視線が、すれ違いざまにヨランと交わる。
ヨランは一瞬目を細め不敵な笑みを浮かべると、軽く会釈。亡霊の様な足取りで、その場を立ち去るのだった。




