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『何においても、先ずは腹を満たすこと! 腹が満ちてりゃ、人生なんて何とでもなるもんさ!』


 したり顔でそうのたまう、イレーネの顔が脳裏に浮かぶ。当時は適当な事を教える女だと思っていたものだ。目の前の少女の幸せそうな顔を見ると、あながち間違いでもなかったかと痛感する。


 思わず緩んだ口元を縛り、先ずは至極真っ当な疑問から始めた。


「お前、何だってあんな大通りでぶっ倒れてたんだ?」


 一瞬、ジトりとした視線が絡み付く。気のせいか? アリシアは俯きながら返答した。


「私、ここよりもずっと南の方から来たんですよ」


(南と言えば……死の大地か? いや、流石にそれは行き過ぎか……)


 両手の人差し指をツンツンと合わせながら、言葉を続けた。


「街道をふらふら彷徨いつつ、何とかこの街までやって来たのは良かったのですが。お恥ずかしながら、お金の方が…… あと私、すっごくお腹が空きやすい体質と言いますか、何と言いますか……」


 顔を赤らめながら、もじもじと口ごもる。なるほど、実にシンプルな理由だ。


「路頭に迷って、腹ペコで倒れたと。お前、見た目によらず食いしん坊だったんだな」


 アリシアはたまらず顔を上げる。ジトッとした視線がユーステスを射抜いた。今度は気のせいなんかじゃない。


「ユーステスさ~ん。女の子に『お前』っていうのはダメなんですよ! 私はアリシアです! アリシアって呼んでください!」


 言い終えるや、ハッと一息。「あと食いしん坊ってなんですか!」と付け加え、隣でヤンヤン騒いでいる。何をそんなに怒る事があろうか。


(飯を食う割には、「見た目は華奢」って事だろう? 誉め言葉のつもりだったんだがなあ。良いじゃないか、食いしん坊。遠慮して食わない女より全然良い)


 たまらず上を仰ぎ見る。なるほどこれは面倒だと、心の内で再確認。これまで極力関わり合いを避けて来たタイプの人種だ。なぜ今日に限って声をかけてしまったのか。


「そんな細かい事、気にするなよ……」

「ユーステスさんが無神経過ぎるんですよ! 乙女心は複雑なんですっ!」


 何より――そのはつらつとした姿が、()()を想起させた。


『ユーステス、あなたって本当に乙女心が分かってないわよね! 騎士うんぬん以前の問題よ! 先ずはそこんとこ、しっかり学びなさい!』


 無邪気な笑みが去来し、ズキりと鈍い痛みが胸を蝕む。先刻イレーネに指摘されたばかりだと言うのに、この体たらく。復讐者が聞いて呆れる。


 いつまでも成長しない自身に苛立ち、下唇を噛んだ。


「わかったわかった、悪かったよ! それでアリシア。金が無いってなら、これから先どうするつもりなんだ? 放っておいたらまた行き倒れるんじゃないかと、こちとら不安になるぞ?」


 問いかけに、腕を組んで考え込んでしまった。余計な事に首を突っ込んだなと、遅まきながら後悔する。


 長考の末、アリシアはパッと閃く。


「そうだ! ユーステスさん、パン職人なんですよね! 私を雇ってみませんか! 私、バリバリ働いちゃいますよ~」


 細い腕に力こぶを作ろうと息まき、フンスと意気込む。



 天然物こそ、この世で最も恐ろしい――



 ♢


 ユーステスは懐から数枚の金貨を取り出すと、アリシアへと手渡した。呆ける事、数秒。慌てて手を振り、ユーステスの胸に金貨を押し付けた。動揺であたふたとしながら、喋り始める。


「ダメですよ! こんなの私、受け取れません!」

「それだけあれば当面は凌げるだろ。その間に、どこか働き口を探すんだな」


 そこまで言う後、逡巡する。


「おまえ――アリシアは、読み書きは出来るのか?」


 ジロりとした視線を感じ、直ぐに訂正する。追撃はされなかった。ギリギリ合格と言った所だろう。言葉の意味を分かりかねるアリシアは、小首をかしげながら返答した。


「はい……出来る、みたいですよ? それがどうかしたんですか?」


 ほっと胸を撫で下ろす。最低限、()()()はいない。読み書き可能であれば、取り敢えずは何かしらの職が見つかるだろう。選り好みしなければだが。


「いや、何でもない。幸いな事に、ここヘイムダルは大都市だ。必死に探し回れば、その日暮らしの金を稼ぐ術ぐらいは見つかるだろうさ」


 ユーステスは胸に押し付けられていたアリシアの手を取ると、その手のひらを無理やり閉じて金貨を握り込ませる。


「ユ、ユーステスさぁんっ……!」


 震える声。アリシアは瞳を潤ませながら、ぎゅっと自身の胸の前で手を組んだ。


「私、このご恩は一生忘れません! 貴方から頂いたパンと、このお金。いつか返せる様に、頑張りますからっ!」

「もう道中でぶっ倒れるなんてのは止めてくれよ。治安は良い方とはいえ、この街にもおかしな事を考える輩はいるからな」


 片手を上げ、その場を去る。予想外の脱線だったが、気分は存外悪くない。背中に謝礼の言葉を受けながら、城を目指して歩き出す。


 すると、腹の虫が一つ鳴いた。


(食いしん坊に、あてられたかね?)


 行き先を食事処に変更する。心なしか、その足取りは少しばかり早くなっていた。


 ♢


 昼下がり。城へと足を踏み入れたユーステスは、そのまま一直線に執務室へ向かった。最も苦手な相手との対面、自然と顔も強張った。動揺せぬ様に、より一層心を引き締める。


(さっさと終わらせるか)


 扉の前で、軽く深呼吸。心を落ち着かせた後、ノックをして中へと入った。


「おや、ユーステス。どうか致しましたか?」


 儚い微笑みを向けながら、椅子に座る青髪の女。第一皇女セイレーンは、優しき声音でそう問いかけた。


「失礼します、セイレーン様。少しばかり私用にて、足を運ばせて頂きました」


 机の上には、雪崩を起こさんばかりの文書の山。セイレーンの姿は先日話した時よりも、若干やつれて見えた。目の下には薄っすらとクマも見える。


 隣に控える騎士レギウスは、難しい表情を浮かべながらスクロールに目を通している。あれは遊撃部隊の兵法書だ。将軍シグルドが貸し与えた物だろう。


 重苦しい沈黙。

 部屋全体の空気が、どことなく淀んでいる。


「僭越ながら。少し……休まれた方が良いかと思います。特にセイレーン様。酷く憔悴している様に見受けられますよ? 今貴方が倒れられては……」

「ヘイムダルは今、苦境に立たされています。ルミナリア皇族として、私がこの都市を導かなくては――」


 そこまで言葉を紡いだ後、セイレーンは傍らに羽ペンを置いた。


「とは言いつつも……そうですね。ユーステスの言う事ももっともです。少し、休憩をしましょうか」


 レギウスがユーステスを横目で見て、片目をぱちりと瞑る。どうやら、意図せずナイスアシストをしていたようである。


 現在ヘイムダルの統治は、暫定的にセイレーンが行っている。皇族、若しくは宰相に等しき人物が、各都市の政治を取り仕切る。これがルミナリアの生業だ。彼女もまた、自身の統括する都市を持つ身。あまり長居は出来ないというのが実情だった。


「それで、ユーステス。今日はいったいどの様な用件なのでしょうか? 集会の開催日はまだ先ですよね? 休憩を促しに来た、という訳でもないのでしょう?」


 文書を脇へと除け、青磁色の瞳がユーステスの目を覗き込んだ。


「突然の訪問で申し訳御座いません。本日はこちらの――記章を返却しに参りました」


 胸元で輝く朱き記章を外し、机の上に置く。


「その記章は、騎士の――」

「私は、リーンベル様を守れなかった…… 彼女がいない今、この証は私には相応しくありません」


 レギウスは黙して兵法書に目を落としながらも、その面持ちは沈痛であった。同じ騎士として、彼もまたこの行為の重みを理解している。セイレーンは机の上をジッと見つめると、記章を手に取り握りしめた。


「…………わかりました。第一皇女セイレーンの名のもとに、記章の返還をここに承ります」

「妹君を守れなかったのは、私の不徳の致す限りです。必ずや襲撃者を暴き出し、この手で断罪する事を約束します。それでは」


 深く頭を下げると、直ぐに身を翻した。なるべく早く部屋から出たい。深層心理の想いが、ユーステスの歩みを速めていた。


 部屋から退出する間際、セイレーンの呟きが耳に届く。


「……律儀、なんですね」


 その一言は、小さな棘のように。

 ユーステスの胸へと、確かに突き刺さった。


 ♢


 記章の返還は終えた。皇族騎士という肩書を失った今、目下悩みの種となるのは今後の振る舞いについて。


(このまま放逐という訳でもあるまい。恐らくは……)


 遠からず、帝国軍へと吸収される未来が待ち受ける。それだけは、何としても避けねばならない。何かしら手を打たなければ。


 皇族騎士であることの最大の利点は、行動の自由にあった。騎士は(あるじ)からお呼びが掛からない限り、基本はどこで何をやっていても咎められない。帝国軍とは大きく異なる立ち位置だ。


(そんなあやふやな制度だからこそ、付け入る隙があったんだがな)


 騎士という役職自体、設立されてから間もない。制度を作ったのは、何を隠そう現皇帝のルシウスだ。その歴史は三十年にも満たない、短きもの。


 もし帝国軍へ入れば、当然軍の規律がある。これまでの様に、好き勝手に動き回ることは困難。裏で暗躍するユーステスにとって、これは致命的であった。


(女神様が微笑んでくれるのを、待つしかないか……? さて、どうしたもんかね……)


 廊下で思案していた折、突如として腰のあたりに衝撃。


「ようやく見つけたっ、ユーステスっ!!」


 何事かと顔を下にやると、腰の回りに手を回して顔をうずめる少年の姿があった。


「ユーステスっ!! ごめんなさい、僕…… 僕っ……!!」


 嗚咽を漏らしながら肩を震わす少年。突然の事態に一瞬は困惑したが、声を聞くと理解した。


 これは、宰相殿の置き土産だと。


「大丈夫だ。俺は大丈夫だから。少し場所を変えようか、アイム」


 震える少年の背中を撫でながら、ユーステスは彼を城の空き部屋へと誘導するのだった。

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