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 ユーステスが羞恥で頭を抱える中、廊下をぱたぱたと走る足音が近づく。扉を大きく開け放ち、笑顔の眩しい陽気な女が部屋へと踏み入った。


「あねさ~ん、話し合い終わりましたか~ って……うえっ、蜘蛛っ!!」


 女の視線は八本足の死骸へと移ろい、ひとつ後退り。


「ってか、壁っ! なにコレ! 刺さってんじゃん!!」


 そこに刺さったナイフを指さして、わなわなと震え出した。


 震えが収まると振り返り、イレーネへとにじり寄る。にこにことした表情を浮かべながら、ゆっくりと近づく女。


「こりゃ拙いね……!」


 無言の圧に押されたか。イレーネはたまらず足を一歩引く。勢いあまって机の角にぶつかり、体をくの字に曲げながら悶絶した。顔を上げると、眼前に迫った作り笑顔。ご愁傷様だ。


「あねさ~~~ん?」


 一転して鬼の形相に変貌し、大声で怒鳴りつける。


「ナイフ!! 投げんなって、何度も何度も言ってんでしょう!」

「ちょっと待ちな、メノウ! なんでアタシがやったと決めつけるのさ! ユーステスの仕業かもしれないだろ!?」


 自慢のくせ毛が、しゅんと萎える。流れるように罪を擦り付けるその面の皮、天晴だ。メノウと呼ばれた女はユーステスをちらりと見やり、ぴしゃりと言い放つ。


「ユーステスはこんな事、し・ま・せ・ん! それに、あねさんには前科があるでしょうが! これ以上壁に穴開けるってんなら、出入り禁止にしますよ!!」


 酒場宿『山猫亭』の看板娘、メノウ。普段は酒場の接客を手伝っている彼女だが、その裏の顔はギルド『宵闇の園』の構成員。ヘイムダルに広がる娼館の統治を任されている。


 ”エデンを味わいたくば、ヘイムダルを訪れるべし”と言う格言がある。


 ヘイムダル近郊に存在する、大陸最大規模のスラム。そこは大国に見捨てられた者達が、最後の最後に流れ着く先。言うなれば墓場だ。『宵闇の園』の存在理由が弱者救済にあればこそ、彼女達がこのスラムに最も近い都市へと拠点を置くのは道理であった。


「いたたたたっ!! 暴力反対だよ!」

「こーやって耳の穴おっぴろげたら、少しは聞き分けも良くなるってなもんじゃないですかね!」


 メノウは若干二十四という若さながら、娼婦長を務める。ヘイムダルの娼婦長とはすなわち、娼館経営のトップと同義だ。ギルドのヘッドはイレーネだが、自由人故に雑務は向かない。諸々の事務処理は、実質メノウが切り盛りしていると言って相違ない。


「店の中では刃物厳禁!! 次破ったら、こんなもんじゃ済みませんからね! あと蜘蛛! ちゃんと片付けておく事!」

「ここは宿屋だろ? 部屋の中に出るなんて、管理が行き届いてない証拠――」

「――な・に・か、言いましたか?」


 圧にやられ、黙りこくる。それで良いのか、頭目よ。


 メノウは娼館と酒場宿、そしてスラム。三つのはしご役として、日々あくせく走り回っているのだ。対するは、勝手気ままな風来坊と来た。頭が上がらぬと言うのも、まあ自業自得と言った所だろうか。


 ♢


「これ、ここ数か月分の売り上げです。そろそろ受け取ってくださいよ」


 メノウは巾着袋を取り出すと、イレーネの手のひらへと乗せた。ズシリと重い、金貨の感触。


「…………」


 イレーネは無言で巾着の口をつまむと、それをそっとメリルの手の中に戻した。


「ちょっと!! あねさん、いい加減に――」

「その金でパンでも買って、スラムに持ってってやりな。腹を空かしてるチビ達は、まだまだ沢山いるんだろう?」

「それはそうだけど…… これはあねさんが受け取るべき、正当な配分です! あねさんにだって生活が……」

「良いんだよ、アタシの事は」


 微笑むイレーネ。スラムには、身寄りを無くした子供達が大勢いる。年々苛烈さを増す、帝国の侵略戦争。その余波を最も受けるのが、国境沿いの大陸東部。皆が劣悪な環境に身を置きながらも、今日という日を必死に生きている。


「育ち盛りには、腹一杯食わせてやんないとね」


 スラムに身を寄せる子供達はイレーネにとって家族であり、宝物だ。その笑顔を思い浮かべるだけで、頬は自然と緩んだ。


 ベッドに腰かけるユーステスへ、ちらりと顔を向ける。


「じゃあね、ユーステス。また何か動きがあったら教えなよ。汝に、マルクトの加護あらん事を! なんてねっ!」


 去り際の言葉を残し、そそくさとその場から退散した。メノウが引き留めようと動いた時には、既にもぬけの殻。陰すら踏ませぬスピードだ。


「ああ、ちょっと!! もう、本当に……あの人ったら……」


 メノウはやれやれといった風に首を振ったが、その口元は笑っていた。今しがたイレーネの立っていた場所まで移動してしゃがみ込むと、取り残された狼を撫でる。


「コルク。あんたの主人、またあんたをほっぽり出してどっか行っちゃったよ。ほんと、どうしようもないったら……」


 コルクは大きく欠伸をし、グルルと鳴いた。

 我関せずを貫く、気高き狼だ。


「ユーステス……あんな団長さんだけど、今後もしっかり面倒見てあげてね」

「保証は出来ないぞ。イレーネの行動は、俺の物差しでは測りかねる。今度会ったら、灸でも据えてやるんだな」

「――やっぱり、首輪でも付けておくべきかな?」


 真剣に考え込んでいる。どうにも、洒落を言っている雰囲気では無さそうだ。首輪を付けたイレーネか。それはそれで、()()()()()では色々と需要がありそうだ。まあ、提案する勇気はないのだが。


 ♢


 情報交換を終え、ユーステスは店の外へ踏み出す。今日はこのまま城へと向かう予定だ。


(セイレーンがこの街に留まってる内に……な)


 目的は記章の返還。皇族騎士でなくなったユーステスに、これはもはや無用の長物。主を護れなかったボンクラ騎士の烙印を、いつまでも引っ提げている必要もないだろう。


 ふと空を見上げると、澄み渡った青が眼前に広がった。室内に居ては感じる事の出来ない、心地の良い風。呼吸をする度、少し冷えた清々しい空気が肺に満ちる。


 よし、行くか――


 爽やかな天候を存分に味わい、視線を前へと向けると……



 目の前に現れたるは、行き倒れの少女。



 万歳のポーズで全身を伸ばし、道に這いつくばっている。うつ伏せで頭から地面へと突っ込み、ピクリとも動かない。


(おいおい……嘘だろ…………?)


 胸が上下しているので、息はある。だがあの体勢……土塊相手に、余程熱烈なキスをしているに違いない。あられもないと言う表現が適切かは分らぬが、ともかく酷い有様だ。


 思わず顔が引きつる。


 通り行く人々は一瞬ギョッと目を開き、すぐに視線を逸らす。まるでそこに罠でも仕掛けられているかの様に。皆器用に少女を迂回して、先へと進む。


「あっはっはっは! 何だアイツ! こんな道のド真ん中で、伸びてやがるぞ!」

「ぷっ!! マジじゃねぇか!! おい、誰かちょっと声かけてみろよ!」

「馬鹿っお前、あんなの近づいたらやべぇだろ!?」


 数人の心無い者達は、道すがらに少女の姿をあざ笑った。あまり気分の良い光景ではないが、まあ致し方あるまい。


「ねえ、ママ――」


 中でも無垢な瞳を向けながら指を差す、子供の姿が印象的だった。



「アレって、死んでるの?」



 さすがに……不憫であった。


 ♢


「――っ!! ――!!」


 口の周りに食べかすを付けながら、必死にパンをかじり続ける少女。その表情は鬼気迫る。食欲以外の全てが、置き去りにされているに違いない。


 極限の空腹から来る行き倒れ。スラムでは特段珍しくもない光景ではあるが、このヘイムダルでは訳が違う。


(厄介な事が起こる前に、無事連れて来られて良かったな)



 遡る事、数刻――


 倒れ伏していた少女を助け起こし、街の広場へと誘導したユーステス。少女を噴水の縁石に寝かせると、真っ青な顔から呟きが漏れる。


「お腹――が――、」

「どうした? 腹が痛いのか?」


 ふるふると首を振る。


「空き、ました…………」

「…………」


 暫し雲隠れ。次に現れた時には、色とりどりのパンがその手の中に。


「あっ――! あぁ――それ、はっ――!」


 瞬間、少女の首がぎゅるりと回る。さながら獲物を見つけた鳥類か。虚ろな目で袋の中身を見つめると、途端にグウと腹の虫が鳴き騒いだ。


「食っても良いんだぞ」


 袋を手渡すユーステス。虚ろな目が一転、キラキラと輝き始める。


「ほっ、本当に良いんですかっ!」


 無言で頷くと、瞬間かっさらわれた。

 目にも止まらぬその動き、【瞬間活性(エンハンスモーメント)】の如く。



 ひとしきり食べ終わると息をつき、少女は意気揚々と話し始めた。


「この度は、美味しいパンをありがとうございました! 貴方は命の恩人です!」


 にこりと微笑む少女。初対面に向けるには、あまりにも隙だらけな満面の笑み。太陽の光を受け、より一層に眩しく輝いて見えた。


 ウェーブした長い黒髪を揺らしながら、数回うんうんと唸り言葉を紡ぐ。


「私は、ええと……アリシアって言うみたいです。貴方は――?」


(みたいってなんだよ……)


 引っ掛かりを覚えつつも、返答する。


「俺はユーステス。この通り、しがないパン職人だ」


 空となった袋を持ち上げて、肩を竦める。自己紹介は第一声が命、イレーネの教訓だ。軽い笑いを生み、先ずは会話の主導権を握るべく。


「ユーステスさんですか~ 素敵なお名前ですね〜」


 アリシアはにへらと笑う。悲しきかな、パン職人にはノーリアクションであった。


 言わなければ……良かったか?


 渾身のボケも不発に終わり、出鼻をくじかれた。終始ほんわかした雰囲気を漂わせる眼前の少女の姿に、ユーステスの直感は告げる。


 これは――苦手な人種だと。

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