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怒気は無い。ただそれは真っすぐな、呆れを孕む。
「ヘイムダルを気に掛けろと、私がお前に命じたか? お前は与えられた役割にだけ注力していれば、それで良いのだ。いつになったら共和国を攻め落とせる? アーノルドの手綱を握るのはお前の役割だろう? いつまで法国への不干渉を続けるつもりだ? よもやセイレーンの世迷言に、賛同した訳ではあるまいな? 兄弟姉妹を統率するのが、第一皇子であるお前の責務であろう? 忘れたか?」
これまで幾度となく紡がれた、嫌味の言葉。もはや気分を害するなどと言う次元に無い。あの好き勝手に動き回る同胞を、長男だと言う理由だけで御し切れと? 下らない、あまりにも。
「ヘイムダルの安寧は我が国の安寧。そう思っての進言です。各国に挟まれたあの都市が盤石であればあるほど、ルミナリアの威光を広く知らしめる事が――」
ウルジオの弁明は空しく広間に響くのみ。対するルシウスは、既に興味関心を失っていた。対話をする気はとうにない。
(害虫が…………)
これは怒りではない、嫌悪だ。首都での政治をこちらへ押し付け、自分は玉座で踏ん反り返るだけ。御大層な騎士を侍らせ、更にはあの痴れ者の好き勝手を許容していると来た。ちらりと視線を向けると、鼻歌交じりでグラスを傾ける金髪姿が目に入る。
「――♪ ――♪♪」
皇族への敬意も知らぬ阿呆が。なぜあんな者がこの謁見の間にいる?
重い静寂が広間を包み込む。
皆が黙り込むその空気を、打ち破るは珍客。
無遠慮で、浅慮な叫び声。
「陛下っ!! 皇帝陛下っ!!」
突如として謁見の間に侵入してきた、謎の男。元来ならば近づく事すら忌諱される大広間。好んで訪れるは余程の命知らずか、はたまた無能か。その両方か。
「おいお前っ!! 無礼であろう!! 第一皇子ウルジオ様が謁見の最中であるぞ!! 弁えよっ!!」
「もっ申し訳御座いません…… しかし、陛下っ!!」
隣に皇子の姿を認め、一度は謝罪をするも束の間。男は興奮を抑えきれずに、大声で続けた。恰幅の良い禿げ上がった頭部からは、滝の様な汗が伝っている。
「ついにサイレス地区が陥落致しましたぞ! 長らく掛かりましたが、私奴の采配に、奴らいよいよ恐れ戦きましたわ! 間もなく捉えた祝福者共がやって来ます故、是非とも選定の議を執り行って頂きたく――」
「貴様っいい加減に――!!」
「お前でよい」
その呟きは、集まった全員の耳朶を打った。
ルシウスは玉座に肘を付きながら、腕を折り曲げる。拳の上に頬を乗せながら、酷くつまらなそうな顔つきで続けた。
「そこのお前。急ぎヘイムダルへと向かい、政を取り仕切れ」
ウルジオは目を見開く。あまりの急展開に、ただただ唖然。とち狂ったか、この愚帝は。正気を疑うぞと、危うく喉元まで出かかった。
対して、隣では呆け顔が際立つ。彼は皇帝の言葉を飲み込むまでに、幾分時間を要した。ようやく理解が及ぶと、至福が全身を駆け巡る。夢見心地といった風に体を震わせ、深々とお辞儀をした。
「ははっ!! 身に余る光栄っ、ありがたき幸せっ!! 私目、必ずや陛下のご期待に応える事を約束致しますぞ!!」
「たっは♪♪!!」
笑いを堪え切れなくなった金髪の男は、遂に決壊。思わず頓狂な声を上げた。同時に丸い寸胴を翻し、軽やかな足取りでその場を去り行く珍入者。突如として降って湧いた、皇帝からの勅命。その栄誉を噛み締めながら、彼は上機嫌な足取りだった。
(やったやった!! やったぞ!! いよいよ私の時代が来たっ!!)
ヘイムダルと言えば、隣国エオス法国と、宿敵ラント共和国との国境。皇族、宰相、将軍と、帝国の要人が集う大都市だ。そんな区域の政治を一任された、これ以上の誉れがあろうかと。
自身がこれまで積み上げてきた成果がついに認められたのだと、男の心は弾む。都市での華麗なる活躍を夢想しながら、男は帰路へと着くのだった。
「宜しかったのでしょうか、ウルジオ様…… あのような者に、ヘイムダルの統治などと」
帰り際、隣を歩く兵士がウルジオに囁いた。誰にも聞かれぬ様に、最小限まで抑えた声量で。皇帝の決定に疑問を持つ、その事自体が危険と隣り合わせ。自然と会話には緊張が走った。
ウルジオは冷めた眼光を飛ばす。言われるまでもなく、問題しかない。問いかけを行う兵士に、寧ろ苛立ちが募った。
(馬鹿が………… 凡愚しか居ないのか、この国は?)
他者に意見を求めなければ、そんな当たり前の事にも確信を持てぬ無能。これを愚か者と言わずして何と言うか。礼節を弁えぬ者、自身で思考せぬ者、国の統治を放棄する者。どいつもこいつも愚者ばかり、反吐が出る。
「かの都市にはシグルド様もおられます。将軍に委ねるのではいけないのでしょうか?」
「目的をはき違えるな。軍の主戦力であるシグルドが何の為に首都を離れ、遥か遠東まで足を運んでいると思うか? 共和国への睨みを利かせるのが、彼の役目だ。都市内部の動向に目を向けて如何とする?」
兵士は押し黙った。彼とて帝国軍に在籍する身。当然その辺りの事情は把握している。しかしそれを踏まえた上でも、あの采配には苦言を呈さずにいられなかった。
「ヘイムダルをあのまま放置はしない。リーンベルの穴はアーノルドに埋めさせる。手記は俺の方でしたためておく。事を急げ」
静かに、それでいて怒気が滲む声音にて。ウルジオは兵士にそう告げるのだった。
♢
城での動乱から一夜明け。ユーステスは馴染みの宿で眠っていた。皇女セイレーンとシグルドを筆頭として、近々集会が設けられる。状況の整理とヘイムダルの行く末について。話し合うべき事案は枚挙に遑がない。ユーステスもリーンベルの騎士として、その場に同席することを求められていた。
彼が現在身を寄せる酒場宿、名を『山猫亭』。疲れで泥のように眠る意識が、僅かに覚醒する。重い瞼をゆっくりと開けると、そこには見知った顔がひとつ。
ニヤリと人好きのする笑みを浮かべながら、眼前の女は口を開いた。
「おや、偽りの騎士様。ようやくお目覚めかい?」




